2
それから、どこをどう走って、どうやって迷い込み、どう一夜を過ごして、どうして親たちに見つかったのか。正直なところ、アスレイはよく覚えていなかった。
気付いたときには両親たちに『何故村を飛び出したのか』と叱られており、ミリアには謝られながら泣かれて、妹たちもまた号泣していた。
そしてアスレイ自身も、何度も謝罪しながら瞼が腫れ上がるまで泣いた。
それほど、このときの彼はまだ青く幼い少年だった。
村の大人たちは今回の騒動―――アスレイが村を飛び出して行方不明になったこと―――をミリアの責任とし、彼女を責めた。
そもそも村のものである新聞を無断で持ち出し、しわくちゃにしてしまったのだ。この時点で彼女が咎められるのは無理もない話。
しかし、アスレイが起こした騒動はアスレイの責任であるはずなのに。彼より6歳年上ということだけで、全てがミリアのせいになってしまった。そんなミリア自身も自分の責任として受け入れており、むしろアスレイを擁護していた。
アスレイにとってそれは、とても悔しくて、情けなくて、仕方がなかった。
小さな嫉妬のせいで彼女を傷つけただけでなく、更には彼女に全ての責任を押し付けてしまった。そのくせ自分は大した御咎めもなく、皆から心配されるだけ。
それがアスレイにはどうしても許せなかった。
次の日、アスレイは居ても立っても居られず、ミリアの家を訪ねた。
彼女が何かしらの罰を受けているのでは、と心配してのことだった。
だが、そんなこともなく。アスレイの予想に反して、ミリアはケロリとした様子で家の手伝いに勤しんでいた。
それも当然だった。子供が行方不明になったという大騒動こそ起こったものの、その原因は所謂子供同士のケンカ。
ならば当人たちが許し合い、仲直りが出来ればそれで完結。罰など必要ない。
むしろ反省している時間を与えるくらいなら、手伝いをさせて忘れさせた方が早いというのが大人たちの考えだった。
『考えるために休むより、一働きしてから考えた方が良い案は浮かぶ』というのは、この地方の格言だ。
「あのさ、ミリア…」
アスレイの呼び声に、畑仕事をしていた彼女の手が止まる。
見上げたミリアと交わった視線に怯え、思わず視線を逸らしてしまうアスレイ。
と、ミリアは苦笑を浮かべ、言った。
「ちょっと向こう行こっか」
移動した先―――小高い丘の上―――でミリアは、持って来ていたビスケットを取り出してアスレイに手渡す。
今朝作ったばかりだというそれは、口の中で甘く、けれどどこかしょっぱく感じた。
「…昨日はごめんね。我ながらムキになって大人げなかったと思う」
「俺もごめん」
ビスケットを食べる手を止め、アスレイはミリアに向かって深く頭を下げた。
するとミリアは笑みを浮かべ「これで仲直りだね」と言ってくれた。
が、アスレイとしては、これで許されたとは思っていない。
大好きで大切な彼女を傷つけ、村の大人たちに責任を負わせてしまったのだ。
ならばこのことは一生、絶対に忘れてはいけない。もう二度とさせてはいけないと、アスレイは心に深く刻み込んだ。
彼女に言えば「そこまでしなくても良い」と言うだろうから、彼女に告げることはなく。
これが彼女のための罪滅ぼし、彼女を泣かせないための誓いなんだと、アスレイは自身の心の中だけで強く誓った。
アスレイが心に誓いを立てていた一方で、ミリアは突如、大きな声を上げながらその場に寝転がった。
空を仰ぎ見、そして今度は囁くような声で言った。
「けどさ、あんな小さなことで口ゲンカなんかしちゃってさ…私たちもまだまだ子供だよね」
アスレイは静かに頷き、彼女の隣で彼女と同じように寝転がる。
雲一つない青空が、山の向こうまでと続いていた。
「―――ホントはね、一昨日からじゃないんだ。『天才魔槍士』様について知ったのって」
「え…?」
おもむろに語り出すミリア。
自然とアスレイの視線は青空から彼女へと移る。
「もっと前から知ってたの。その名前が新聞に載り始めた頃から」
「じゃあ…なんで急に、一昨日俺に教えたの…?」
あたかもその日、その時に知ったかのように。あんなにも熱心に。
しかし、後々考えてみれば彼女は新聞には載っていない情報まで、詳細に語っていた。
アスレイがもう少し大人であったならば、彼女のそんな矛盾に気付いていたかもしれない。
と、ミリアは顔を紅く染め、それを隠すように指先で頬を掻きながら語った。
「ずっと一人で心に秘めながら憧れてたんだけど…どうしても誰かに話したくて共感してもらいたくて。だからね、アスレイなら理解してくれるかなって思ったの。でも、結局自分の考えを勝手に押し付けようとしてただけだったよね。ごめんね」
そう言ってミリアはアスレイに頭を下げた。
不意に哀し気な彼女の瞳が見えてしまい、アスレイは胸の奥が抉られるような気分になった。
『傷つけたのは自分の方だ』と直ぐに謝罪したかった。
が、それを言おうとすれば目頭が熱くなってしまう。嫌でも涙が出てしまう。
そんなカッコ悪いところはもう見せたくないと、幼いながらに男を見せようと、アスレイは出かかっていた言葉と共にぐっと感情を呑み込み、押し込めたのだった。
それからアスレイは言えなかった言葉の代わりに、一つ気になっていたことを尋ねた。
「…ミリアは、その『天才魔槍士』が好きなの…?」
直後、一瞬だけ目を見開き、きょとんとした顔をするミリア。
こんな質問をすることが意外だと思ったのか、それとも愚問だと思われたのか。
彼女は直ぐに破願すると大きく頷いて答えた。
「うん―――大好き。いつか絶対会ってみたい。みたい、じゃなくて会うの」
彼女が見せる―――まるでおとぎ話の王子様やお姫様に憧れる子供のような、純粋な瞳。
しかし、子供のそれ以上に彼女の焦がれる想いは本物なのだと、アスレイは実感する。
たかが文面で読んだだけの存在。出会える可能性なんて皆無と言える存在。されどそこまで熱い想いを抱かせてしまう存在が、アスレイには悔しくて、妬ましくて仕方がない。
だが同時に、そんな文面の彼がとても羨ましくて、強い憧れを抱いてしまったのもまた事実であった。
幼馴染みが本気で恋い焦がれる『天才魔槍士』という存在に、アスレイも同じように熱い羨望を抱いた。
それは、『天才魔槍士』に自分は勝てないのだろうと言う敗北感があったからこそ芽生えた感情でもあり、だからこそ彼のようになりたい、彼を超えたいという―――『天才魔槍士』をライバルだと認識した瞬間でもあった。
「―――じゃあ俺はその天才魔槍士に勝つよ」
「は?」
「ミリアが憧れるくらい強い、その天才魔槍士より強くなって、勝つ!」
まさに子供が抱く、単純明快な思考だった。
『強い相手よりも強くなって勝つ』。そうすれば大好きな人に認めて貰えることが出来る。ミリアに誉めて貰える。そんな幼稚な野望だが、アスレイは本気であった。
本当に、彼女が憧れ焦がれる存在を超えたいと、そうして彼女に自分を認めてもらいたいと、思ったのだ。
「私相手にも勝てないのに? そんなの無理だよ」
強く拳を握り締めながら決意表明するアスレイを、ミリアは大声を上げて笑う。
その声は丘の向こうにあるミリアの家に届くかというくらいだった。
馬鹿にされた気がしたアスレイは、顔を真っ赤にさせてミリアを睨む。
「無理じゃないって!」
そう言ってアスレイは大人げなく口先を尖らせ拗ねる。
と、ミリアはそんな子供な彼の頭を優しく撫で、優しく頷いた。
「そっか。だったらアスレイになら出来るよ。私は信じるからね」
彼女から受ける力強い眼差しに、アスレイの顔がみるみる熱くなっていく。
アスレイはミリアの『信じる』という言葉が、大好きだった。
彼にとってその言葉は、勇気をくれる魔法の言葉だった。
「ありがとう、ミリア」
「じゃあどっちが先に夢を叶えるか、競争だね」
「えー、でもそれってミリアの方が有利な気がする…」
「そんなことないって。人生何が起きるかわからないんだから。だから夢に向かって、お互いに頑張ろう」
ミリアはそう言うとアスレイに向け、自身の手を差し出した。
大きく頷き、アスレイは服で拭った掌をミリアへと向ける。
固く交わされる握手。
約束の証。
二人は互いに顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。
この日を境にアスレイとミリアは、事あるごとに『天才魔槍士』の話をするようになった。
ミリアが『天才魔槍士』の記事を見つけては歓喜の表情で告げ、それに対してアスレイは内心闘志を燃やしながら耳を傾ける。
その傍ら『彼』を超えるべく、アスレイは独学で修行や訓練をし、体を鍛えてはミリアに挑み敗北を繰り返した。
そんな毎日をアスレイは愚直に続けたのだ。何日も何年も。
信じてくれた彼女の期待に、約束に応えるために。
そして、気が付けばその日常が、彼にとって新しい幸福の形となっていた。
そんな幸せは、ずっと続くと、続くはずだとアスレイは心の何処かで信じていた。
―――だが、その日常は突然終わりを告げた。




