第三話 リンという女性あり
宿屋。それは、至福の一時である。一日の疲れを癒し、全ての事を忘れ一心に睡眠にふける。そんな素晴らしい場所だ。そう、とても素晴らしい場所なのだ。たとえそれが狭いボロベットだろうとも……。
「……んっ……ふわああぁぁぁ、ぼろいベットの割にはよく寝れたな」
俺は布団を半分折り畳み下半身だけ布団に被った状態で上半身を起こす。その場で大きく「んんー!」と伸びをして体を解す。程よく窓から差し込む朝日が心地良い。そして、腕を下す。下ろすと同時に「むにゅう」という柔らかい感触が左手に伝わる。
「ん? 何だこの感触は……って完全にベタなんだよなあこれ……」
さて、一呼吸。一応念のためにもう一度「むにゅう」という柔らかい感覚だけは味わっておく。今日の未練はもうない。意を決して、柔らかい感覚のする方へと視線を向ける。そこには予想通りというか、リンがいた――裸で。そして、左手はその豊かな胸をしっかりと掴んでいた。俺は、リンの胸を掴んだまま一度瞑目する。
「ふう……予想通りだが今日もか……。しょうがない諦めるか……」
俺はやっと胸から手を放す。そして、今度は深呼吸。ここからが大事だ。今日で異世界に来てから十五日目。その実、半分以上は今日みたいなことが発生しているのだ。俺自身、損はしていないから別にいいのかもしれないがもう少し、俺の師匠として品位を保ってほしい。
「すうぅ…………起きろ、リン!」
「ふえぇ……? 何朝から大声張り上げてんのさ? 人が気持ち良く寝ているというのに……」
リンは目を擦りながら俺と同じように上半身を起こした。俺はこの異世界に来る前からも数えて通算何度目になるか分からない指摘をする。
「リン何度も言ってるが、自分のベットがあるのに俺のベッドに入り込んでくるな。全裸で寝るな。後自覚を持て、一応女だろうが」
「え~~? いいじゃん、ここにはハルしかいないんだしさあ~。な~に~? それとも私のこと意識してるの~? ハルも年頃の男の子だもんね~」
リンはそう言って、肩を俺の肩に押し当ててきた。最初はドキッとしたものだがこの頃はもう慣れた。俺は冷静に上半身を前に少しだけ倒す。そうすると、予想通りリンはそのまま俺の背後にそのまま肩から倒れこんだ。長い白髪を寝癖で無造作に跳ねさせたリンは「う~」と言葉にならない言葉を放っていた。そして、今度は俺の腰回りを両腕でがっしりと捕まえてきた。もしかして、この女――。
「もしかして、酔ってんのか? 昨日の晩、俺が寝た後に酒でも飲みに行ったのか?」
「えへへーそんなに飲んでませーん!」
「はあ…………どこで飲んできたかしらんが相当に酔ってんな。リン起きろ、体を起こせ」
俺はリンの腕を掴み、自分の腰から引き離そうとする。しかし、寝ている割には全く引き剥がせない。相変わらずの馬鹿力だ。俺は、もう一度リンに言った。
「なあ、頼むから早く起きてくれよ。午前中にチェックアウトしなきゃいけないんだからさ」
「えー分かったよ……もう可愛くないんだからあ」
リンはやっと俺から腕を放し、体をゆっくりと起こした。そして、ベッドの上をのそのそと動き、俺の正面までやってくると、俺の首元に抱き着いてきた。リンの豊かな胸が体に押し付けられた。俺はもう諦めた。もうリンの気が済むまで放っておくことにした。結局はこれがいつものパターンなのだ。だが、俺自身も少なからずリンのスキンシップを心地よく思ってるのも事実である。俺はそのまま後ろに倒れこみ、リンと二人で重なるくらい寄り添いあってそのまま二度寝を開始した。
一時間ほどしてからリンは両腕を伸ばして伸びをしてからベッドから降りた。リンは十分に寝て酔いもすっかり冷めたようだ。リンは全裸のまま洗面台の鏡に向かい髪を解かしていた。俺も続いてベッドを降りて、パジャマを脱ぎ普段着に着替える。俺は、カウンターに置かれた水を一口飲み、いまだ洗面所の鏡に向かっているリンに声を掛ける。
「リン、今日は予定あるのか?」
「うーん、私は何もないよー? ハルはなにか予定あるの?」
「いやさあ、喫茶店の掲示板に指名手配犯の賞金首の情報が載っててさ、これが報奨金それなりにあるようなんだよ。金稼ぎに行かない?」
俺は、リンの方を向く。彼女もちょうど洗面台での用事が終わったようでリンもこちらを向いた。すっかり長い白髪もストレートに伸びている。そして豊かな胸が横に揺れる。リンは興味深く俺の話に食いついてきた。
「本当!? 面白そうね。行こう行こう。そろそろ金尽きそうだしね」
「だろ? アジトの情報も載ってたから行こうぜ」
「うん、そうだね! じゃあ、少し待って。着替えるから」
そう言って、ようやく服を着始めた。さらに時間が経ち、荷物を出発の準備が終わらせた。宿部屋を出て、ロビーでチェックアウトを済ませ、宿を出た。そして、賞金組を捕まえるために目的地へと向かった。ハルとリンは横に並んで歩いていた。その最中にリンは俺に聞いてきた。
「ところで、その賞金首のアジトとやらはどこにあるの?」
「情報によると、この街の外れにある山奥だそうだ。大体、歩いて二時間くらいの距離みたい。でも、そこには野生の獣がうろうろしてて一般人は中々立ち寄れないそうだ」
「なんでそいつらは賞金が掛けられてるの?」
「どうやら、タチの悪い窃盗犯らしくてな時折、町に来ては盗みを繰り返しているそうだ。無賃飲食なんかも頻繁にしているそうだ。だけど、本人はがたいがよくて中々手は出せないんだとか」
「ものすごいやってることはチンピラ風なのにね……。でもまあなるほどね、居場所まで分かってて捕まえられないのはそういう理由なのね。まあ、私達の手に余るようなレベルじゃないと思うし、さくっとアジトまで向かってさくっと賞金首を捕らえましょう」
リンは両腕をぐっと握って気合を入れる。俺も気持ちだけ気合を入れた。
それから、二人は街外れの山の麓にまでやってきた。
山はそれなりに急斜面となっていて、背の高い気が立ち並ぶ中に細かい木枝が無造作にたくさん地面に散らばっており、歩くたびに大きな音が鳴りそうであった。
そして、山の奥の方からただならぬ雰囲気が出てるのが伝わってきた。
「おお、中々気合入った気配を感じるわね!」
「そうだな、気合入ってるようでなによりだ」
ハルとリンは二人して大げさに頷いて見せた。しかし二人共ニタリと笑い、まるで相手のことなど気にも留めていないようだった。
さっそく、ハルとリンは山に足を踏み入れた。
道中は特に問題は起こらず、無難に歩みを進めることが出来た。途中に野生の獣――ドーベルマンのような風貌――が何匹か出てきたが、ハルとリンは錬金術を使い、あっさりと追い払うことに成功した。歩みを進めること一時間で目的地に着いた。
山頂付近のとある地面が一か所だけやけに固くなっていた。リンが怪しく思い、地面を掘ると、鉄の扉が現れた。地面に設置されたその鉄のドアはまるで防空壕に繋がっているかのようだ。ちょうど、取っ手もついており、恐らく引っ張り上げて開くタイプのドアなのだろう。俺はドアをまじまじと見た。
「これが例のアジトかな?」
「さあ、分からないけどこんなところにあるんだし間違いないんじゃないかしらね。じゃあハル、開けなさい」
「俺が?」
俺は不満を漏らす。鉄のドアは見るからに重そうで明らかにリンが持ち上げるべきだろうと考えた。女に任せるようとするのも男として情けないのかもしれないが、リンの方が強いしゴリラなのだから仕方がない。リンは俺の方を見て、真面目な顔をして鉄のドアを指差した。
「結構重そうだし、修行の一環として開いてみなさい。私なんかこんなドア楽勝で開けられるから意味がないわ。ハル、あなたが錬金術を使って開けなさい。初歩的な付加術で簡単に開けられるようになるはずよ。腕力強化系と脚力強化系ね」
「くっ、こんなところまできて修行かよ……。仕方ないな」
そう言って、俺は精神統一を始めた。そして、自らのバックから錬金術用の細いキャップ付きの試験管を取り出した。それを口に含み、四肢を丁寧に揉む。その後、鉄のドアに手を掛け、力を入れた。
そうすると、鉄のドアはゆっくりと持ち上がり、開いた。鉄のドアの向こう側は下へ降りるための梯子が設置されておりその先には舗装された狭い通路が見えた。人一人分くらいは通れそうだ。それを見て、りんはにっこりと笑い小さく拍手をした。
「はい、よく出来ました。上出来ね」
「ふん、当然だよ。さっさと、中に入ろうぜ。梯子がついてる丁寧ぶりだ」
そして、二人が中へ入ろうとしたその時、後ろから大きな声が響いてきた。
「あー! あんた達、何者!? ひょっとして、賞金首の仲間ね!」
二人は後ろを振り返る。そこには一人の少女がこちらを指差し立っていた。その少女は――少女といっても俺と同じくらいの年ごろには見えるが――金髪碧眼で髪は肩まで伸ばしている。背は低く、ハルより僅かに小さく見える。恐らく百六十程だろうか? そして、その少女は明らかにこちらに敵意を向けている。もしかして、発言から察するに俺たちがこの賞金首の仲間と勘違いしているのだろうか? 少女はつづけて言う。
「悪い奴らは許さないよ! おとなしく、金目の物をこの私に渡しなさい!」
何か、面倒くさそうな相手だった。