唯我独尊レイヴンシーフ
登場人物紹介も兼ねたプロローグ的なお話なので、少し長めです。
よろしくお願いしますm(_ _)m。
──あの日、骨董店で見た硝子のカラスは、緑色の目をしていた。
※ ※ ※ ※ ※
「結局、ただの模倣犯だった訳か」
「どうもそのようです」
その部下の言葉に、捜査三課随一のベテラン、黒塚警部は深くため息をついた。
「近頃の若者は軽率な奴が多い。手早く根絶やしにしないと、馬鹿が伝染していくぞ」
「そんな、ゾンビじゃあるまいし」
部下である若手の沢井刑事は引きつった笑いを浮かべながら言ったが、世代の差という物か、渾身のジョークも警部の琴線には触れなかった。
「くそっ、カラスの分際で人間様の手をわずらわせやがって」
黒塚は忌々しげに煙草を灰皿に押しつけた。
第三課の黒塚警部と言えば署内でも名の通っている方で、ことさら窃盗事件の捜査については屈指のプロと目されている。
妥協を許さぬ地道な努力と長年の経験から培った勘で、何人もの窃盗犯を逮捕に追い込んだ敏腕刑事だ。
その厳しくも実直な姿勢は多くの部下からの信頼を買っており、言うまでもなく上司からの信頼も厚い。
しかしそんなカリスマ性あふれる敏腕刑事も、このところ酷く機嫌が悪い日々が続いている。
この署の管轄でもある“名倉市”は、多くの教育施設が存在し、学生の街として栄える大規模な都市だ。
人口が多くなればそれに従い犯罪件数も増加するものだが、その中でも連続窃盗犯、通称「カラス」は異質な存在であった。
数年前より突如現れたこの留守宅を狙う空き巣は、既に数々の盗みを働いておきながら、未だ警察に有用な情報1つすら与えていない。
一方でたいへん妙なことに、留守宅に侵入し通帳やカードなどを盗んでいく癖に、それらを現金化も悪用もしないのである。
なので被害件数の割に被害額は驚くほど低かったが、それは同時に、現金化の作業痕跡から犯人を特定する捜査手法を潰されたような物であった。
もう1つ、この空き巣には不可解な点があった。必ず、犯行現場に烏の黒い羽を置いて行くのである。この空き巣が「カラス」と呼ばれるのも、この所以だ。
これらの性質から愉快犯との見方が強まっているが、素人とは思えぬ手際の良さから「ミスディレクションを誘ったプロの犯行」と考えている者も少なくない。
そんな天才珍怪盗「カラス」は、噂の類を好み暇を持て余す学生の間であっという間に支持をとりつけ、もはや都市伝説の主人公にまで成り上がった。
あらゆる人の目を掻い潜れる怪異性に、必ずトレードマークを残す不敵さや肝心な現金に手をつけない滑稽さが加われば、エンターテイメント性は十分だろう。
特にゴシップが取り上げてしまってから、瞬く間に噂は“伝染”し、遂には警察を軽視して犯行を模倣する者も現れ始める始末。
おかげで黒塚警部を筆頭とする捜査班は、時折現れる模倣犯に更なる労力を割かれる破目に陥ったのである。
「大体、最近の若い奴らはまるでなってない。学校のお勉強さえできてりゃ良いなんて思いやがって」
そら始まったぞ、と沢井は内心で苦笑した。
もしこの黒塚警部の難点を上げるとすれば、この小言の長さであろうか。本人はそれでストレスを発散しているのだろうが、突き合う側は大変だ。
「両親の共働きだか高学歴社会だか知らないが、まずは社会で生きる身として、人として大事なことをだな──」
いつもの渋い顔で語り始めた黒塚であったが、そのまま話が続くかと思いきや、おもむろに携帯電話を取り出す。
「──すまん、電話が来た」
と、受話器を耳元に持っていく。その相手は誰だが、沢井には薄々予想できていた。
最近の若者には厳しい黒塚だが、彼自身もまた年頃の娘を持つ一児の父であるというのは、部下の間でもそこそこ有名な話である。
「もしもし、俺だ」
「あ、お父さん? 私。あのさ、今日は夕食どうするの? ちょっと多めに作っちゃって──」
「お前な、そんなことで仕事中に電話をかけてくるんじゃない」
「えー。もう3日も顔見てないんだしさ。いいじゃん、電話くらい」
と猫なで声。
しかし、このところカラスやその模倣犯に振り回され、なかなか帰れなかったのも事実だ。
「とにかくさ、お父さんもたまにはゆっくり休んだ方がいいと思うよ? 市民の安全を守る刑事さんが、過労で倒れてちゃ話にならないって」
「俺はそんなやわじゃないぞ」
「いいから。父親でしょ? たまには可愛い娘の面倒見てあげないと、カラスにさらわれちゃっても知らないぞ」
小生意気な笑い声に、思わず黒塚の顔も苦笑を浮かべる。
職場の愚痴をこぼしているうちに、いつの間にか、あちらが先にカラスを話題に出すようになってしまった。
その度に黒塚は、『俺はそんなに愚痴をこぼしていたのか』と痛感させられるのだ。
「まったく、人を困らせるのが上手い奴だ」
と一拍おいて、
「この書類だけ整理したら、できるだけ遅くならないよう帰る」
「はーい。出る時、連絡ちょうだいね。麻婆豆腐、もう1回あたため始めるから」
「分かった分かった、じゃあな」
そして黒塚は電話を切った。
「娘さんですか?」
「ああ、いつまでも甘えてくる仕方のない奴だ。俺も忙しいというのに」
文句を言っている割に、黒塚の顔は電話が来る前より数倍も明るい。
その変わりざまに、沢井は思わず笑い出しそうになるのを必死にこらえた。
とは言え、叩きあげの洞察力を持つ黒塚が相手では、その程度の“我慢”など子供だましに過ぎなかったのだが。
「とにかく、早く書類だけでも片付けてしまおう」
黒塚は罰の悪そうな顔をしながら喫煙室のドアノブに手をかけ、
「それと、今の電話のことは他人に言うなよ」
と軽く咳払いをしつつ釘を刺したのであった。
※ ※ ※ ※ ※
「もう。遅いよ。すぐ帰るって言ったじゃん」
玄関の扉を開けた黒塚を待ち受けていたのは、娘のふくれっ面であった。
「すぐ帰って来ただろう」
「その割にはもうすぐ9時なんですけど」
小生意気に顔をしかめる娘だが、こうして顔を合わせるのは数日ぶりである。
「とにかく話は後よ、後。ほら、靴脱いで手洗ってきて。あと数分でも遅れたら娘が餓死するぞ」
「何だ、まだ食べていなかったのか」
「当たり前でしょ、お父さんが帰ってくるなら私だって合わせるよ」
とそこへ、ちょうどよく電子レンジが温め完了のブザーを鳴らす。
「あ、ほら、麻婆豆腐も温まったって。私、支度しておくから、お父さんも早く来てよ」
そう言いながら笑顔1つ残して、彼女はエプロンの裾をはためかせながら、キッチンへと消えていった。
黒塚小夏。今年で3年生に進級した女子高生にして、黒塚啓一郎の一人娘である。
啓一郎の妻は、もともと体が弱かったこともあり、その出産時の肉体的負荷に耐え切れず命を落とした。故に小夏は、母の顔を写真でしか知らない。
小さい頃は祖母に面倒を見てもらっていたが、その逝去後は多忙な父に代わり家事を担うようになっていった。今や黒塚家の家事は全て小夏が執り行っている。
少し甘えたがる節もあるが、そこさえ目をつぶれば器用で気が利発な良くできた娘であり、啓一郎を家庭面からサポートする大切な存在だ。
ただ1つ気になるのは、その発育の悪さだろうか。
間もなく18歳の誕生日を迎える癖に、背丈はたったの140cm台前半しかない。同性の小学生にしても、これより大きな者はいる。
つい啓一郎も心配になり、「ちゃんとした物を食べてるのか」「きちんと寝ているのか」などと尋ねることもあるのだが、返事は決まって
「少なくともお父さんよりはしっかりした生活してるよ!」
そう言われてしまうと啓一郎も反論のしようがない。それに母親も小柄な方であったし、そういう家系なのかもしれない。
いずれにせよ、体力がないとか病弱だとかそういう重大な問題には至ってないようなので、結局は啓一郎も深く思い悩むのをやめるのであった。
(まったくもって不可解な話だが、中学生の頃に所属していた陸上部では、この体格でかなりの好成績を残していたらしい!)
「お父さん、まだ?」
「そう急かすな」
娘の声に引っ張られダイニングに入った啓一郎を出迎えたのは、色とりどりの食卓。無論、小夏の手料理である。
「さて、いただきます」
ぽんと手を打ち、さっそく小夏は箸を手に、自らの料理を食べ始めた。その速さと言ったら、相当腹をすかせていたようである。
「おい、少しは味わって食ったらどうだ?」
「自分で作った料理を味わうってのも変じゃん」
啓一郎の言葉も全く意に介さない。
『続いては天気予報です』
テレビに映った女性アナウンサーの声が、啓一郎と小夏の間に割り込んだ。
『今日は日本全国で初夏の日差しが降り注ぎ、暖かい日と──』
そこまで述べたアナウンサーは一瞬の暗転の内に消え、次の瞬間にテレビに映っていたのはプロ野球の生中継であった。
「あっ!」
小夏が、リモコンを持った啓一郎に抗議の声を上げる。
「なんだ、見てたのか」
「この後好きなドラマがやるのに!」
どうやらニュースそのものには関心などなかったらしい。
「たまの娯楽なんだ、これくらい許してくれ」
譲らぬ啓一郎に、小夏はしばし頬を膨らませていたが、
「いいよ、今度DVD借りてくるから」
と、意外に早く折れた。
「そう言えばお父さん」
「なんだ?」
「カラス、捕まったって言ってたじゃん。あれ、どうなったの?」
「ああ、ただの模倣犯だった。まったく人騒がせな奴らだ」
「なんだ、じゃあまだ本物は隠れているの?」
「だろうな」
好奇心が旺盛な年頃のせいなのか、小夏は積極的にカラスの動向を聞きたがる。
聞くところによると、学校の方でもカラスに関する話はぽつりぽつりと上がることもあるらしい。
しかし今日の啓一郎にとってカラスに関する話は、捜査の進行が後退したこともあり、できれば触れたくない話題であった。
「今日は仕事の話はなしだ。それより小夏、お前は最近どうなんだ? 学校の勉強についていけてるのか?」
「あったりまえじゃん。偏差値60あるんだよ? 余裕だって」
「何でもかんでも偏差値さえあれば良いって考えは好きになれんな。最近の若い奴らはすぐ──」
「あのさ、最初に成績の話を持ちだしたのはお父さんの方なんですけど」
その時、テレビ画面の向こうで4番バッターがボールを打ち上げ、同時に啓一郎の視線がテレビを向く。
「なんだ、フライか」
そう啓一郎が呟くのと同時に野手が飛球をキャッチ。
そして視線を戻すと、もうその方向に小夏の姿はなく、
「お父さん、ビール冷やしておいたんだけど、飲む? 飲むよね?」
もう返事も聞かない内から、小夏は冷蔵庫より缶ビールとグラスを取り出している。
「なんだ、急に。気味が悪いな」
「やだなぁ、疲れてると思って準備してたのに」
「言っておくが、小遣いアップの交渉をするつもりなら、無駄だからな」
「そんなんじゃないってば。いつも仕事頑張ってるんでしょ? 美味しい酒飲んで、明日に備えてゆっくり休んでよ」
と、小夏は無垢な頬笑みを浮かべ、
「私がその隙にドラマ見るから」
「なるほど、それが狙いか」
いつしか啓一郎も笑っていた。
※ ※ ※ ※ ※
『たび重なる食品偽装の衝撃が、飲食業界に広く飛び火しています。一昨日、謝罪会見を行った株式会社──』
時計の針は11時半を回っていた。
ドラマが終わり、深夜のニュース番組が流れる中、小夏は携帯電話からSNSの画面を眺めていた。
友人に勧められ始めたSNSだが、人に私生活を監視されているような気がして、正直小夏はあまり好きではない。まあ、監視する側にまわるのは面白いが。
父、啓一郎はもう就寝した。酒が入った父は決して朝まで起きない。震度4の地震が起きた時すら、ずっと寝ていたほどである。
「ほんと、よく寝るよね」
寝室より漏れ出るいびきとだらだら流れるニュースの不協和音を聞き流しながら、小夏はただぼんやりとしていた。
「仮眠室でもあんないびきかいてるのかね」
頭に浮かんだことをそのまま垂れ流していると、携帯電話のアラームが鳴りだした。
『 出勤時刻 』
スケジュール機能が、あらかじめ設定していた時刻の到来を教えてくれたのだ。途端、小夏の唇がにやりと釣り上がる。
そのまま小夏は照明とテレビのスイッチを切り、靴を履くと、寝入った父には何も言わず自宅を後にした。
初夏の心地よい夜風がショートカットの髪をかきわけていく中、小夏は自分の自転車にまたがり、颯爽と夜の街へ飛び出した。
自転車で移動すること20分、住宅地を抜け、商店街を抜け、郊外の山道を昇り、彼女が辿りついたのは郊外の山奥に佇む廃工場。
そこで自転車を降りると、入口のドアの鍵穴に持参した針金を、慣れた手つきで刺しこんだ。ものの数秒で施錠は彼女の侵入を許してしまう。
ろくな明かりもないというのに小夏の足取りは実に確かで、あっという間に階段から二階に上がり、そのまま一番奥の部屋に入る。
躊躇もなく服を脱ぎ、最寄りのロッカーを開けると、そこにあった服にさっさと着替えていく。サイズもぴったり。
ものの数分の内に小夏は、こじゃれたツーピース姿から、寒色系のTシャツとジーンズのスポーティな格好へと変わっていた。
ヒールのついた夏物のブーツも脱ぎ捨て、ロッカーから取り出したスポンジ底のランニングシューズへと履き替える。
棚に置いてあったヘアワックスを手に取ると、くしゃりと髪型を変えていく。最後に仕事用の小さなリュックを背負い、
「へへっ。変身シーン、完了っと」
言葉通り、今や小夏は、ここに入ってきた時の彼女とはまるで別人の格好に変貌していた。
そのまま廃工場を出ると、来た時に使った物とは別の中古自転車にまたがり、学生の街“名倉市”へ。
再び移動に数十分の時をかけ、自転車を適当な駐輪所に止めた小夏は、道路の反対側に見える古アパートの三階を見上げた。
すると、最右端の部屋のドアが開き、中から女子大生と思われる住民が出てくる。
この女子大生は毎週木曜日のこの時間帯に夜勤のアルバイトに出かけ、明日の6時までは決して戻って来ない。リサーチ済みだ。
女子大生がアパートを出て道路の彼方に消えゆくのを見送った小夏は、手袋を嵌めながら階段をのぼり、彼女の家の前へ。
この古びたアパートには防犯カメラなどという洒落た物はない。それも、リサーチ済みだ。
施錠はものの数秒でその機能を損失し、ためらうことなく小夏はするりと中へ。
「さて、と」
小夏が浮かべた笑みは、先に父に見せていたそれとは対照的な、酷く歪んだ傲慢な物であった。
「カラスさんもご出勤だ」
その瞬間、黒塚小夏が怪盗カラスへ、それも模倣犯ではなくオリジナルのカラスへと大変貌。
まずは手近な靴箱を漁る。ここに通帳があるパターンもあるが、今回ははずれ。
続いて最も王道と思われるクローゼットを開け、箪笥を1段1段漁って行くが、ここも違う。
ならばどこだと目を配ると、百戦錬磨の勘が彼女に本棚を注目させた。
「おっと」
予想的中。預金通帳は一番上の段で、教科書の間に挟まっていた。
「バーカ。これで隠したつもりなんだろうね。あははっ」
ターゲットを入手できれば長居は無用。滞在時間を無暗に伸ばせば、それだけ不利な手掛かりを残すリスクが高まる。
すぐさま家を出ると、郵便受けに持参したカラスの羽を入れる。これで今日の仕事は無事完遂。
誰にも見られていないことを確認し、小夏は悠々と階段を降りて帰路に──
「……!?」
聞こえた。足音。階段を昇ってくる。まさか、家主が戻ってきた!? 計算外だ!
──だが、計画的に物を運ぶだけが空き巣ではない。非合法職たる者に最も必要なのは、不測の事態にも冷静に対処できる柔軟性である。
足音の主がこの部屋の家主かどうかは知らないが、ひとまず小夏は家の中に身を隠す。現場で顔を見られる、それだけは避けねばならない。
施錠と同時に靴を脱ぐと、その靴を手にリビングを突っ切り、入口とは反対側にあった大窓を開けてテラスに出る。
コンビニのある玄関側とは裏腹に、テラス側には閑散とした駐車場が広がっており、人の姿は見当たらない。この時間は概ねいつもそう。一応、リサーチ済みだ。
3階からそのまま飛び降りるのは無謀だが、この部屋は最端、即ちアパートの側面に最も近い個所。その側面には金属製の丈夫な雨樋が上下に走っている。リサーチ済みだ。
窓を閉め、再び靴を履くと、人がいないことを再三確認し、小夏はテラスの手すりによじ登った。同時に背面で、玄関のドアが開く音がした。
跳ぶしかない! 意を決した小夏の体が宙を舞う。伸ばした左手は雨樋をつかむため。その格好はさながら、獲物に向かって爪を立てる烏のように──
──瞬間、確かに響いた掌中の手ごたえ。左手が雨樋をつかんだ感触が、小夏の顔に笑みをもたらした。
壁に押し当てた左足で速度を調整しながら、雨樋に沿って体が滑り落ちる。体重だって38kgしかないのだ、大した速度もつかない。
アスファルトで覆われた地面が近付いてくる。最大限まで減速しながら、それでも殺せなかった速度は柔軟な足首による緩衝作用でごまかした。
再三見渡したが、近くには誰もいない。少し派手な真似をしてしまったが、そもそもこんな深夜にアパートの側面など見ている者がいるだろうか。
3階を見上げると、一端ついた電気が、ほんの数十秒の間に再び消えた。察するに、忘れ物でも取りに来たのだろう。空き巣に入られたとは気づいていまい。
兎も角、少しアドベンチャーな仕事にはなったが、無事遂行できたことに変わりはない。
「ひひっ、バーカ」
何にも代えがたき高揚感を何とか抑えながら、小夏は今度こそ帰路についた。
黒塚小夏が、カラスの羽をトレードマークとした窃盗行為を始めたのは、今より数年ほど過去のことである。
彼女を犯罪者の道へと誘った物、それは皮肉にも父親、黒塚啓一郎の存在であった。
幼き日の小夏に啓一郎が語り聞かせた、窃盗事件の捜査方法や確固たる防犯方法。仕事熱心だが口下手な父が娘に出来た話なんて、その程度しかなかったのだろう。
その一方で、父は娘を残し、仕事により長時間家を空けることが多かった。何日も帰ってこなかったこともあった。
その隙に乗じて、娘は初めて人の家に盗みに入った。父より教わったこと全てを悪用し、初の不法侵入は成功に終わった。
盗みの楽しさに魅入られた彼女は、もう何をもっても止められなかった。そして同時に、泥棒としての才能が大きく花開いた。
カラスの羽を置くようになったのは、より強く甘美な刺激を求めるようになった頃からである。
普通の少女が一夜限りの大泥棒になり夜明けと共に少女へ戻るその様子を、一夜限りの姫として王子の心を射止めたシンデレラになぞらえたのだ。
ただ、ガラスの靴など用意できるはずもなく、代替品としてカラスの羽を用いている訳だ。
盗んだ通帳やカードの類は、全て盗品置き場として利用している例の廃工場に保管してある。
現金化しないのは、別に金に困っているわけではないからと、現金化の際に足が付きやすいことによる。
それに小夏としては、嵌めを外して大暴れしそのスリルを楽しめれば、それで十分なのであった。
隠れ家に戻ると、まず盗んだ通帳を大切にしまう。
もういくつ盗んだかも忘れてしまったが、それらは遺棄せず大切に保存している。
大半は持ち主が適切な措置をとり何の効力も失ってしまった紙きれだろうが、それでも小夏は構わなかった。“盗みの証”であることが大切なのだ。
それから窓辺より街を見下ろす。今日も名倉市の中心部は眠る事を知らず、道路の街頭や歓楽街のネオンが煌々と輝いていた。
これよりシンデレラにかかった魔法は解ける。無敗の怪盗「カラス」から、小さな小さな女子高生「黒塚小夏」へと戻ってしまう。
その時を前にすると、彼女は必ずこの窓から街を見下ろす。そして、灌漑にふけるのだ。
カラスの噂をする者は、同時に警察を馬鹿にする者が少なからずいる。模倣犯の誕生はその最も分かりやすい例だろう。
だが彼女は今まで1度たりとも警察(勿論、父も含む)を軽視したことはない。奴らは優秀で、少し油断すれば自分だって明日を娑婆で迎えられるとは限らない。
では何故、カラスは捕まらないのか。答えは簡単、『警察は確かに優秀だが、カラスがそれ以上に優秀だから』、これに尽きると思っている。
勝てて当然の相手に勝っても何ら嬉しくない。“この街の全て”を敵に回すことに意義がある。
「来なよ、黒塚警部。カラスさんはいつだって、あんたらの挑戦を待ってるんだよ」
凍てついた冷笑を浮かべるその瞳は、街の明かりを受けてか、ぎらぎらと緑色に光って見えた。
※ ※ ※ ※ ※
黒塚啓一郎の朝は、娘の小夏がコーヒーを淹れてくれるところより始まる。
「あ、おはよう、お父さん。昨日はよく眠れた?」
「ああ、おかげさまでな」
「そ。よかった」
昨晩の大冒険などおくびにも出さず、小夏はいつもの頬笑みで父の起床を出迎えた。
「支度してきなよ、もう朝ごはん出来てるから」
啓一郎が支度をしている間、小夏は自分の弁当を用意する。彼女だって昼間は普通の高校生だ。たまに中学生と間違えられるが。
「朝食か、最後にしっかり食べたのはいつだったかな」
朝食はご飯とみそ汁、塩鮭、納豆、ほうれん草の胡麻和え。
小夏としては、朝はパンやジャムと洒落こみたいのだが、啓一郎は和食でないと渋い顔をするので、2人いる時はこのメニューなのだ。
その癖、飲み物はコーヒーである。和食とコーヒーの組み合わせは、小夏としてはどうしても納得がいかないのだが、どうも啓一郎はこれが好きらしい。
「おい、食べるぞ」
すっかり支度を整えた啓一郎が現れる。
「OK、ちょっと待ってね、すぐコーヒー注ぐから」
と、小夏が食器棚よりカップを取り出そうとしたその時、啓一郎の携帯電話が鳴った。
「俺だ。沢井か、どうした」
電話する父を眺めながら、小夏はカップにコーヒーを注いでいく。会話の内容はおおよそ見当がついているが、表には出さない。
「何だと? ──分かった、これからすぐ行く。ああ。じゃ、後でな」
通話を切った父に、小夏はおずおずしながら
「お父さん、どうかしたの?」
「昨晩、また盗みがあった。どうも例のカラスらしい」
途端、小夏の顔からサッと血の気が退く。
「お父さん、その、やっぱり無理に帰ってきてなんて言わない方が良かった?」
と、上目遣いで、
「だとしたら、ゴメンなさい、仕事の邪魔しちゃって」
「気にするな、張り込みをしていた訳じゃないんだ。俺が家にいても署にいても、奴は動いただろうよ」
啓一郎は小夏が入れたコーヒーを口にすると、そのまま慌ただしい足取りで
「すまん、俺の朝食は明日お前が食べてくれ。とにかく行ってくる。お前も遅れず学校に行くんだぞ」
「分かった、行ってらっしゃい! 無理だけはしないでね!」
父の背中はあっという間に玄関の扉の向こう側へ消えていく。
「──ま、せいぜい頑張ってよ」
にやりとほくそ笑んだ“カラス”の目は、テレビの光を受けて、緑色にぎらついて見えた。
※泥棒はとってもいけないことです。
※全人類は真似しないでね。
はじめまして。作者です。
『好きな物(パラノイア)と好きな物(パラサイト)を組み合わせたら、よりすげー物(パラダイス)が出来るんじゃね?』的な安易な発想で始まりました。
どのくらいの頻度で更新できるか分かりませんが、大凡全力で取り組んでいきたいと思いますので、何卒この非合法ロリ物語をよろしくお願いします。
m(_ _)m