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横たわっていた。ところどころ苔むした石畳の上。声にならない叫びが少女を貫いたあと、不意に重力が彼女をとらえ、固い地面にたたきつけられた。
周囲は清浄な雰囲気に包まれている。
境内だ。馴染みの場所であり、目的地であった場所。
立ち上がろうとする。が、体に力がはいらない。
何かが押し迫っている。自分は大切な、重要なことをしようとしていた気がする。何だっただろう。脳の機序が泡にくるまれているようで、はっきりしない。少女はぼんやりと木々の輪郭に切り取られた夜空を眺めていた。
鳥が一羽。
星と星の間を横切ったかと思うと、それはゆったりと境内へと降下してきた。鳩だ。神話に出てきそうな純白の鳩で、淡い光に覆われている。
降り立つ前に姿が変わった。時代がかった上下に身を包んだ美しい青年は、怜悧な顔で優しく微笑みながら近づいてくる。
その顔の作りを認識した瞬間、泡がはじけて、少女は全てを思い出し、感情がまぜこぜになって、喉は声にならない声を絞り上げた。
「すまないことをしたね」
低く落ち着いた声音だった。
「みだりに人を迎え入れることはまかりならぬとの、君のご先祖との約束だったのだよ。たとえそれが自分の血に連なる者であろうともとね。実に立派な人間だった」
青年は現代風の靴ではなく、服装にあわせた足袋をはいている。布がこすれ、青年はそろそろとまた歩みを進めた。
手を伸ばせば届こうかという距離まできたときには、それは童子の姿をしていた。質素だが上品な着物姿で、手には鞠を持っている。
少女は限界を超えた精神力でもって、ようやく両手を胸元に運んだ。指先一つ動かすにも歯を食いしばって力をこめなくてはならない。最初の印を組むには無限とも思える時間が必要となった。
「お姉ちゃん、すごいんだね。でももう無理しないほうがいいよ」
衷心から心配しているという表情であった。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんの術はちゃんと成功したんだ。僕はお姉ちゃんの言うことを聞くよ。だからもう力を使うのはやめて、休んでおくれよ」
「それじゃあ、本当に……願を聴いてくれるの?」
童子は肯んじた。
「百六十年ぶりくらいかな、人の前に立つの。でも僕、ずっと見てたんだよ。僕、お姉ちゃんのこと、好きだな」
「お願いがあるの」
「うん、知ってる」
「彼を助けて」
童子は首を横に振った。
「どうして? だって……」
「ごめんね、お姉ちゃん。僕にもできることとできないことがあるんだ。その男の人はもう死んじゃってる。坂の下にいるんだ。死んだ人を生き返らすことはできないんだよ」
そんな、という言葉は声にならなかった。ああ、間に合わなかったんだ。
童子は少女を励ますように手をとった。
「でも僕は、お姉ちゃんの望みを叶えてあげる。さっき、お姉ちゃんは、もう会えないなんて嫌だって言ったよね」
「……うん」
「それって、また会いたい、ってことだよね?」
「会えるの?」
「僕は神様だよ。できないことはあるけど、できることもあるんだ。山津神のちから、見せてあげる」
ありがとうと礼を言って、少女は泣いた。
「ねえ、これ。もらってくれる?」
「鞠?」
「うん。僕のたからもの。僕、お姉ちゃんのこと好きなんだ。だから、男の人にはまた会わせてあげるけど、元気で生きていてほしいな」
少女が目を覚ましたとき、かたわらに小さな鞠が置いてあった。小さく色あせた、一見きたならしい鞠である。
彼女はそれを、大切に仕舞っている。




