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始祖人間

「おはよう」


 目を開けてすぐ、少女は飛び起きる。

 かけられた声に振り向けば、そこには頭からシーツをかぶった巨体がいた。


「…………」

「気分はどうだい?」


 少女はジッと巨体を見つめる。

 何一つ見えはしないが、かすかに獣のニオイがした。それに昨日気絶する前に聞いた覚えのある声。


「あなたは……あの時の……牛ですか?」


 声が一緒だったので、そう聞いてみたのだ。そうすれば、シーツをかぶった巨体は『ほう、一度聞いた声を覚えられるのか』と満足げな声を出す。


「私は確かにあの時に君を驚かせたやつだがね、牛ではないんだ。バッファローさ。まあ、似たようなものだけど」

「…………」


 少女は未だに信じられずにいた。

 未だに、みんな着ぐるみか何かを着ているのだと思おうとした。そう思えば怖いことなど無くなったような気がしてくる。


「驚いて……ごめんなさい……」

「いや、気にしていないさ。人間というのは臆病なのだと文献にある。始祖動物――とくに野生の小型始祖動物と同じだ。だからこうして、一応シーツをかぶってみたんだよ。姿が見えなければ少しは怖くないかなと思ってさ」

「そうですか……あの、その始祖なんとかって……どういう設定なんですか……?」

「設定?」

「私は帰れるんでしょうか? 帰りたいのですけど……」


 少女がそう言えば、バッファローはわずかに顔をしかめた。しかしそれはシーツに隠れて少女からは何も見えない。


「……結論から言えば、それは無理だ。残念だが人類は滅亡してしまったんだ。小梅が――君が昨日見事討ち取った柴犬だが、彼女から聞いていないかな?」

「は?」

「君が死にかけていたところを、我々が救ったのさ。我々が保有していた始祖人間の冷凍体は三百あるが、そのうち死んでしまったのが二百五十、死に掛けているのが三十五、どう転ぶかわからないのが十四、そして君だ」

「なに、を……」

「少ないと思うかい? 多いほうだ。なにせ我々が知能を得て生きた人間を見つけ、保護すると決めるまでにだいぶ日が経ってしまった。むしろよくぞ300もの人間が生きていたなと思うほどだ」


 少女の息が荒くなっていく。


「いったい……なにが……」

「君たち人間と、我々動物の知能がそっくりそのまま入れ違ったんだ」

「ち、ちの、う……?」

「だが君は、この世界で唯一知能を有した人間――……人類のオリジナルであるという意味を込めて“始祖人間”と呼んでいるのさ。君みたいに話したり考えたりして意思疎通できる人間は、もうこの世界にはいない」


 部屋はしんと静まり返り、悠久の時が流れているようにさえ思える。


「もう一度言うが、人類は滅亡した。もう、この世に生きている人間は、かつて動物がそうだったように誰も知能を有していないんだ。だが君は特別だ。だからこの研究所にいる。退屈はさせないよ。酷いこともしない。いくつかの質問に答えてもらって、それから少し協力してもらうだけさ」


 少女は、どこか遠くでバッファローが話しているような感覚におちいっていた。

 あまりにも色んなことがありすぎて、少女は考えることを放棄している。バッファローもそれに気づいていたが、暴れないのならこれ幸い、とばかりに簡単な説明を続けた。


「私はジョーだ。君の管理担当をしている。あとヤギのミヤ先生というのがいてね。彼はこのプロジェクトの責任者だな。ちなみに小梅は君の体調管理係。昨日の点滴は栄養剤で、注射は鎮静剤。あのあと小梅が寝こけてしまって大変だったよ」

「帰りたい……」


 ポロポロと少女の目から涙が落ちる。

 それを見て、ジョーと名乗ったバッファローは一瞬言葉に詰まった。


「残念だが……それは本当に無理だ。もう君が生きていた時代はなくなってしまった。つまり、家も無い。家族も友人も、もういないんだ」

「なくなった……?」

「そう。何も残っていない。君たち人間は冷凍睡眠に入り、体調が良くなるまで眠っていたんだ。ちなみに、ここは地球の日本。それは変わらない。まあ、地名は“新倭国”というふうに呼び名を変えたし、海外も大体は名を変えているがね」

「どう、して……」


 大きく息を吐きながら、少女はベッドへと崩れ落ちる。


「どうして、こんなことに……? お母さんは? お父さんはどこ……? いないって何……?」

「…………」

「死んだの……? どう、して……」

「…………」


 ジョーが何も言わないのを見て、少女は信じられないながらも二度と両親に会うことはないのだと悟った。


「信じられない……」

「……そうだろうね」

「……信じられない……」


 再び大きく息を吐く。少女は涙を流したまま、考えることをやめた頭でボーっと部屋の中央を見つめる。その目も特に何かを映しているわけではない。


「ひとまず、君はご飯を食べた方がいい。点滴だけで生き続けるのは難しいし、鼻からご飯を入れるのはもう無理だろうからね」


 勤めて明るく言うジョー。

 そしてジョーが何か外へ向けて合図を出せば、台車を押して柴犬の小梅が入ってきた。


「おはよう! この間は脅かしてしまってごめんなさいね。今日は“和食”よ! 日本の人間はよく食べていたんでしょう? 私の先祖の記録に『よく猫飯を作ってもらった』っていう一文があったわ。あ、でも安心して。今日あなたに出すのは猫飯じゃないから」


 小梅はせわしなく話し、せわしなく動く。

 小さなテーブルをベッドへ取り付けると、その上に白米と味噌汁、焼きシャケ、卵焼き、ナスとホウレン草のおひたしに、漬物とフルーツ盛りを並べていく。


「私たちは肉食だからねぇ。こんなに色んなものは消化できなくて、食の楽しみっていう文化はあまりないのよ。だからご飯を作るのは楽しかったわ! 文献どおりに作ったから、たぶん美味しいと思うんだけど……」


 良い香りに刺激され、少女のお腹がなった。


「さあ、食べて食べて。流動食を毎日入れていたから、ある程度は食べられるはずよ。それから私たちは一旦職員待機センターに戻るから、何かあったらコールを押してね。使い方はわかるでしょう? さ、ジョー先生、行きますよ!」

「ああ」


 シーツで前が見えないジョーを小梅が引っ張る。

 扉が閉められて静かになった部屋で、少女は湯気を立てる食事を見つめた。


「…………」


 恐る恐るにおいをかぐ。

 そして味噌汁に指を入れ、指先についたものを少しだけ舐めた。


「……美味しい」


 飲みなれているはずの味噌汁が、なぜか懐かしいと感じる。


「……おい、しい……」


 次々とあふれる涙を拭うことも無く、少女は黙々とご飯を口に運ぶのだった。




* * * * *




「ごめんなさい……あなたが寝ているときに流動食を管で胃に入れていたから、固形物を食べても大丈夫だと思ったのよ」


 小梅の耳とシッポが垂れている。

 少女は酷い胸やけに襲われていた。人医の見立てによると、いきなり固形物を食べたせいとのこと。少女は初め、毒物でも入っていたのかと思って慌てたが、どうも覚えのある症状にコールを押すことをためらったのだ。

 そして、見回りに来た小梅が真っ青な顔でベッドへ寝転ぶ少女を見て血相を変えて部屋を飛び出していったというわけだ。


「ご飯……美味しかったです……」


 ぐったりしながらもポツリとそう言えば、小梅の耳がピクリと動いた。


「本当……?」

「……はい、とても。だから、一気に全部食べちゃって……」


 恥ずかしそうにそう言うと、照れたように小梅が笑う。


「良かった」


 双方が薄っすら笑う。

 引きつった笑みではあるが、それは心の底から浮かべた笑みであった。


「そうだ。今日から協力してほしいことがあるんだけど、大丈夫かしら?」

「どんなことですか?」

「質問に答えて欲しいのよ。ミヤ先生のことは聞いた?」

「ヤギだって……」


 小梅は何度か頷くと、ニヤニヤ笑いながら片方の眉を上げる。


「あの方、ヒゲが自慢なのよ。小さなみつあみを作って寝ているんですって。そうしたら起きた頃には綺麗なカールがかかるんだとか」


 まるで女の子のようだなと思いながら、少女は少しだけ笑う。


「そのミヤ先生がね、午後にここに来るわ。ちょっと変わった……というか、怖いところもあるけど、研究熱心な方なの」

「わかりました。質問に答えるだけなら」


 少女が頷けば、小梅は安心したように胸をなでおろした。


「じゃあ、また午後に来るわね」


 跳ねるようにして去っていく小梅を見ながら、少女は小さくため息をつく。

 窓の外に視線を向ければ、見慣れた空。

 しかし、建物は今までに見たどんな建物よりも高い。空には映画でしか見たことが無かったような飛空挺が飛び、時折背中に羽の生えた生物が窓の向こう側を横切る。


「……本当に、私が住んでいたところと違うんだ」


 起き上がって窓に近寄れば、昔に昇った電波塔よりもはるかに高いことがわかった。下の方で、ゴマ粒のような乗り物や動物達が動いている。それを見ている少女の目は、濁って光を反射しない。まるで、全てを諦めてしまったかのようであった。

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