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遺跡の謎は全部解くのに、護衛の好意だけ気づかない調査官  作者: 蒼月よる


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6/10

夜の会話

 目が覚めた瞬間、昨夜の波形パターンのことを考えていた。答えが出ないまま、二日目の朝が来た。

 〇五〇〇に起きたとき、焚き火はまだ燻っていた。誰かが夜の間に薪を足していたのだ。トーマは既にテントの外にいて、海の方を見ていた。

「風はありませんでした。潮は予定通りです」

「ありがとうございます」

 夜通し見張っていたのだろうか。護衛は交代制のはずだが、補助スタッフのダリンとペトラは測量技師であって戦闘要員ではない。結局、夜間の警戒はトーマ一人で担っていたのかもしれない。

 聞こうかと思ったが、やめた。聞いたところで「問題ありません」と言うだけだろう。


 昨日入った洞窟の更に奥に、確かにもう一つの空間があった。

 干潮で水位が下がりきった時間帯に岩場を渡り、洞窟を抜けると、岩壁に囲まれた小さな広間のような場所に出た。天井は開いていて空が見える。壁面の三方に回路構造が密集していた。

「ここだ」

 私は壁面に駆け寄った。

 回路の構造が、昨日までの区画と明らかに違う。波形パターンは同じだが、それに加えて直線の伝達系回路が複数走り、そのすべてが壁面の一点——下部の岩盤に向かって収束していた。

 収束点。すべての回路が集まる場所。

 私はしゃがみ込んで、収束点の周囲をルーペで観察した。岩盤との境界部に、極めて細い回路が放射状に広がっている。上の回路から降りてきた情報を、岩盤の下——地下へ送る構造だ。

「やっぱり。地下に繋がっている」

 声が震えていた。自分でもわかった。

「この施設は潮汐を観測して、そのデータを地下に送っていた。地下の先がどこに繋がっているかはまだわからない。でも方角的には——港区地下遺跡の方向です」

 ダリンが測量器具をセットし、収束点の位置を正確に記録した。ペトラが周囲の壁面を写真に収める。私はスケッチブックに回路の収束構造を描いた。

 だが波形パターンには、まだわからないことがあった。

 潮汐の周期を記録しているのは明らかだ。だが波形の一部に、潮汐周期とは合わない変動が混じっている。周期が短すぎる。潮の動きでは説明できない高頻度の波形。

 何を測っていたのか。潮位以外の何かだ。

 岩壁を指で辿りながら考える。旧文明が沿岸部に設置した観測施設。潮位を記録し、それに加えて別の変数も測っていた。海水に含まれる何か。温度、塩分、あるいは——

 魔素濃度。

 海水中の魔素濃度は、潮汐に連動して変動する。満潮時に濃度が上がり、干潮時に下がる。これは現代の研究でも確認されている現象だ。だが旧文明がそれを体系的に記録していたとすれば、彼らは潮汐と魔素の関係をもっと深く理解していたことになる。

 単なる潮位観測ではない。魔素濃度の変動を含めた環境モニタリングシステム。

 仮説はまだ粗い。だが方向性は見えてきた。

 スケッチを描きながら、無意識に口が動いていた。

「潮汐の周期記録に、高頻度の変動が重畳している。これが魔素濃度の変動だとすれば、旧文明は潮汐と魔素の相関を——いや、相関だけじゃない、もしかしたら閾値を設定していた可能性がある。ある濃度を超えたらアラートを出す、みたいな——閾値監視。環境モニタリングの一環として、魔素濃度の閾値監視をしていた——」

「メイラさん」

 ダリンの声で我に返った。

「潮が戻り始めています」

 時間を確認した。あと二十分で水位が上がり始める。

「わかりました。撤収します」

 名残惜しかったが、記録は十分に取れた。岩場を渡って安全な高台に戻る。


 午後は潮が高くて遺跡に近づけない。

 高台の野営地で、私は午前中の記録を整理した。ダリンとペトラは測量データの清書をしている。トーマは野営地の周囲を歩き、地形の確認をしていた。

 夕方になると風が変わった。海からの風が止み、陸側から冷たい空気が降りてくる。夜が近い。

 夕食は昨日と同じダリンの手料理だった。干し肉と豆は変わらないが、今日は海岸で採った海藻を入れている。塩気があって悪くなかった。

 食後、ダリンとペトラは早めにテントに入った。明日も〇五〇〇起床だ。

 焚き火のそばに、また私とトーマが残った。

 私はスケッチブックを広げたが、今日はすぐに手が止まった。記録は午後のうちに整理し終えている。考えをまとめるには、もう少し情報が要る。明日の調査次第だ。

 スケッチブックを膝の上に置いたまま、焚き火を見ていた。

 波の音。風の音。焚き火が爆ぜる音。それ以外は静かだった。

 トーマは焚き火の向こう側に座っていた。今日は装備の手入れをしていない。水筒を膝に置いて、海の方を見ている。

 沈黙が続いた。不快ではなかった。地下遺跡で二人きりのとき、私たちはほとんど仕事の会話しかしない。それ以外の沈黙は——あったかもしれないが、意識したことがなかった。

 トーマが口を開いた。

「どうしてこの仕事を」

 私は少し驚いた。彼から個人的な質問をされたのは初めてだった。

「遺跡調査官を、ということですか」

「はい」

 焚き火を見ながら考えた。この質問にはいくつかの答え方がある。履歴書的な答え。研究機関での専攻の話。就職先の選択の合理性。だが焚き火の前で、波の音を聞きながらする話ではない気がした。

「子どものとき、父に連れられて遺跡に入ったことがあるんです」

 口から出てきたのは、そういう話だった。

「小さな遺跡でした。私の故郷は内陸の町で、近くに古い遺跡があって。地下に降りて、壁に触れたとき——手のひらに回路の紋様を感じたんです。冷たい石の上に、細い線が走っている」

 焚き火が爆ぜた。火の粉が一つ、闇に消えた。

「千年前にこの線を刻んだ人がいるんだ、と思いました。この人は何を考えていたんだろう。何のためにこの線を引いたんだろう。それを知りたくなった」

 言ってから、少し恥ずかしくなった。子どもの頃の原体験を、大人になって語るのは気恥ずかしいものだ。

「単純な理由ですみません」

「いえ」

 トーマは静かに聞いていた。焚き火の明かりが彼の顔を照らしている。

「……あなたは?」

 聞き返していた。なぜだろう。仕事以外のことを聞く理由がない。だが彼が聞いてくれたから、こちらも聞いた方がいい気がした。礼儀の問題だ。

「人を守る仕事が性に合っていました」

 短い答えだった。トーマらしい。主語がなく、修飾もなく、核だけがある。

「冒険者になる前から、そう思っていたんですか」

「いえ。なってから気づきました。戦うのは得意でしたが、好きではなかった。護衛なら、戦闘は手段であって目的ではない。その方が——」

 言葉が途切れた。トーマは水筒の蓋を閉め、少し間を置いてから続けた。

「——自分に正直でいられる気がしました」

 焚き火の炎が揺れた。

 短い会話だった。私が遺跡に触れた日の話と、彼が護衛を選んだ理由。それだけだ。

「明日は最奥区画の確認をします。魔素濃度の閾値監視の仮説を裏付けるデータが取れるかもしれません」

「承知しました」

 仕事の話に戻った。いつもの調子に戻る。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 テントに入った。

 寝袋の中で目を閉じた。波の音。明日の調査のことを考える。最奥区画の壁面に、閾値監視の証拠があるかもしれない。魔素濃度の変動を記録する回路と、閾値を設定する制御回路。もしそれが見つかれば——

 思考が逸れた。

 焚き火のそばで、彼は「自分に正直でいられる」と言った。寡黙な人が選ぶ言葉は少ないが、その分、重さがある。

 人を守る仕事が性に合っていた。戦うのは好きではなかった。護衛なら自分に正直でいられる。

 その言葉の背後に何があるのか、私にはわからなかった。冒険者にはそれぞれの事情がある。聞いて答えてくれた分だけで十分だ。

 仕事以外の話をしたのは、初めてだった。長期契約になってから挨拶が変わり、野営で夜が長くなり、焚き火の前に二人で残った。状況がそうさせただけだ。

 波の音に意識が溶けていく。

 明日は最奥区画に入る。潮汐観測の記録方式を確認する。収束点の先を辿る。

 仕事のことを考えながら眠りについた。

 ——はずだ。途中で、焚き火の向こうに座っていた横顔をふと思い出した気がしたが、すぐに波の音に紛れて消えた。


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