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遺跡の謎は全部解くのに、護衛の好意だけ気づかない調査官  作者: 蒼月よる


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沿岸遺跡への道

 報告書を提出した翌日——まだ結節点の回路パターンが頭から離れないうちに、次の調査が決まった。

 ヴァルトが執務室に私を呼び、机の上に広げた地図を指した。デルガ港から東へ海岸線を辿った先、岩場が海に突き出す一帯に、いくつかの遺跡マーカーが記されている。

「沿岸遺跡群。干潮時にしかアクセスできない区画がある。以前から存在は知られていたが、本格的な調査はされていない」

「干潮時のみ、ですか」

「岩壁に埋め込まれた回路構造が、潮位の変化と何らかの関係を持っていた痕跡がある。港区地下遺跡との関連を確認したい」

 私は地図を覗き込んだ。マーカーの位置は海岸線に沿って点在しており、港区地下遺跡とは直線距離で四キロほど離れている。地上では離れた場所だが、地下でネットワークが繋がっているなら、距離はさほど意味を持たない。

「潮の関係で現地泊が必要になる。補助スタッフを二名つける。トーマにも伝えてある」

「承知しました」


 二日後の早朝、私たちは港を出た。

 チームは五人。私、トーマ、補助スタッフのダリンとペトラ。それに調査局から貸し出された荷馬が一頭。測量器具と野営装備を載せた荷馬を、ダリンが引いている。

 海岸沿いの道は漁師の使う細い踏み分けで、時折岩場に遮られて海に近い迂回路を取る必要があった。朝の潮は引き始めていて、露出した岩場に海藻と貝殻がこびりついている。潮の匂いが地下遺跡の金属の残り香とは違う。開けた、生き物の匂いだ。

 トーマは隊列の最後尾を歩いていた。先頭はダリンと荷馬で、その後ろにペトラ、私、そしてトーマ。護衛としては全体を見渡せる位置だ。

 歩きながら、私はスケッチブックを開いていた。港区地下遺跡の回路パターンと、事前資料にあった沿岸遺跡の概略図を見比べている。足元を見ていないのは自覚していた。

「段差があります」

 トーマの声が後ろから聞こえた。私は顔を上げ、足元を見た。確かに岩が一段高くなっている。

「ありがとうございます」

 スケッチブックを閉じた。歩行中に記録を見るのは危険だ。わかっている。だが、二つの遺跡の回路パターンを頭の中で重ね合わせると、まだ見えていない接続点の可能性が浮かんでくる。

 我慢できずにまたスケッチブックを開いた。三十秒後に「右に寄ってください」とトーマの声がした。海側に張り出した岩を避けるためだった。


 二時間ほどで沿岸遺跡群に到着した。

 岩場が海に突き出す一帯は、干潮で水位が下がったことで、壁面の下部が露出していた。灰白色の岩に、明らかに人工的な直線が走っている。回路構造の痕跡だ。

 私は岩壁に近づいた。

 潮が引いた後の壁面は湿っていて、海藻の緑が付着している。だがその下に、確かに回路の紋様が見えた。

 携帯灯を当てた。海藻を慎重に剥がすと、壁面に刻まれた回路が現れた。

 港区地下遺跡のものとは構造が異なっていた。直線ではなく、波状の曲線が主体だ。線の太さが周期的に変化している。太い、細い、太い、細い。まるで潮の満ち引きのように。

「これは——」

 私は壁面に顔を近づけた。ルーペを当てる。曲線の周期と振幅が一定だ。自然にできた模様ではない。意図的に設計された波形パターン。

「観測施設だ」

 声が出ていた。

「この回路は、何かを測っています。波形の周期がここまで規則的なのは、外部の変動を記録するためのキャリブレーション——基準パターンとして刻まれたものだと思います。潮位の変化を測るための、基準線のようなものです」

 ダリンとペトラが私の後ろで顔を見合わせた。補助スタッフの二人は測量技師で、回路の専門知識はない。

「潮位を測って何をするんですか」とペトラが聞いた。

「それがまだわからない。潮そのものを監視していたのか、それとも潮位に含まれる別の情報——例えば魔素濃度の変動を読み取っていたのか。回路の全体構造を見なければ判断できません」

 私はスケッチブックを開いた。波形パターンを描き始める。

 描いているうちに気づいた。この波形のピッチが、港区地下遺跡の主幹路の分岐間隔と数値的に近い。偶然かもしれない。だが旧文明の設計には無駄がないことを、この数週間で学んだ。

 二つの遺跡の回路が「会話している」ように見えた。

 片方が送り、片方が受け取る。あるいは片方が測り、片方がその結果を処理する。沿岸遺跡が潮位を測り、地下遺跡がそのデータを処理していた——そういう構造が成り立ちうる。

 まだ仮説だ。裏付けるにはもっとデータが要る。

 だが、胸が高鳴った。


 午後は潮が最も引く時間帯に合わせて、岩壁の奥にある洞窟状の空間に入った。

 干潮時のみ入口が露出する構造で、満潮になれば完全に水没する。調査できる時間は限られている。

 トーマが先行した。洞窟の内部は天井が低く、足元は濡れた岩と砂だった。携帯灯の光が壁面に当たると、回路構造が密に走っているのが見えた。外の岩壁よりも遥かに密度が高い。

「ここが中枢部に近い区画です。回路の密度が段違いだ」

 私は壁面にルーペを当てた。波形パターンだけでなく、直線の伝達系回路も走っている。そしてその二つが——接続している。観測データを伝達系に送り込む構造。

 この施設は潮位を測るだけではない。測ったデータをどこかに送っていた。

「記録しますか」とトーマが聞いた。

「はい。できるだけ多く。潮が満ちる前に」

 私は壁面のスケッチを始めた。手が速くなる。時間との勝負だ。

 トーマは洞窟の入口付近に立ち、潮位を確認していた。定期的に「あと二時間です」「あと一時間半です」と声をかけてくれる。時間管理は護衛の仕事ではないが、干潮の遺跡では安全管理に直結する。潮が満ちれば退路を断たれる。

 スケッチに没頭しているうちに、一時間があっという間に過ぎた。

「あと四十分です」

「もう少し——」

「三十分を切ったら撤退します」

 トーマの声は穏やかだったが、譲る気配がなかった。正しい判断だ。潮の速度は一定ではない。終盤に急激に上がることがある。

「わかりました」

 残りの時間で、接続部のパターンを集中的に記録した。


 洞窟から出ると、足元の岩場にはもう波が打ち寄せ始めていた。十分遅ければ膝まで浸かっていただろう。

 トーマの判断は正確だった。

 岩場を離れ、高台の平地に上がった。ここが今夜の野営地だ。ダリンとペトラが荷馬から装備を降ろし、テントの設営を始めた。

 私はスケッチブックを広げて記録の整理をしたかったが、さすがに手伝わないわけにはいかない。

「テントの設営、手伝います」

 ペトラが布地とロープを渡してくれた。

 杭を打ち込む。地面が固い。石混じりの土に杭が入らず、ハンマーで叩くたびに手が痺れた。研究機関の実習では、テントは他の学生が立ててくれていた。私はいつもデータの整理をしていた。

 ロープを結ぶ段になって、手が止まった。教科書で読んだ結び方を思い出そうとしたが、実際にやってみると本の図解とロープの動きが一致しない。輪を作って、端を通して、引く。緩い。ほどけそうだ。もう一度。輪を作って——ほどけた。

 三度目の挑戦で、何とかそれらしい形になった。引っ張ると、ずるりと滑った。結べていない。

 トーマが隣にいた。いつからいたのか、気づかなかった。彼は何も言わず、自分のロープを持って、結び方を一度だけ実演して見せた。

 輪を作り、端を二回巻きつけ、輪の中に通して引く。ゆっくりと、私が見えるように。一度だけだった。繰り返さなかった。

 私は同じようにやった。輪を作り、端を二回巻きつけ、通して引く。今度はきつく締まった。引っ張っても動かない。

「できました」

 トーマは頷いて、次の杭の方へ行った。

 押しつけがましくない教え方だった。「こうしろ」と言わない。手本を見せるだけ。できなければもう一度見せるつもりだったのだろうが、一度で済んだ。

 丁寧な人だ、とぼんやり思った。


 日が暮れると、焚き火の周りに五人が集まった。

 ダリンが作った簡素な夕食——干し肉と豆のスープ——を食べながら、明日の調査計画を確認する。

「明日の干潮は早朝です。日の出前に動く必要があります」

「〇五〇〇に起床、〇五三〇に出発で」とダリンが言った。

「それで構いません。最奥区画への経路を確認したい。今日入った洞窟の更に奥に、もう一つ空間があるはずです」

 打ち合わせが終わると、ダリンとペトラは早々にテントに引き上げた。明日は早い。

 焚き火のそばに、私とトーマが残った。

 私はスケッチブックを広げ、今日の記録を整理し始めた。携帯灯と焚き火の明かりで、波形パターンのスケッチを見直す。

 沿岸遺跡の回路構造は、港区地下遺跡のものと設計思想が異なる。だが「異なる」のは当然だ。機能が違う。一方は情報を伝達・処理するための施設で、もう一方は環境を観測するための施設。目的が違えば構造が違う。

 問題は、その二つが接続しているかどうかだ。

 波形パターンのピッチと、主幹路の分岐間隔。数値的な近似。これだけでは根拠として弱い。だが今日、洞窟の中で見た伝達系回路との接続点——あれは観測データを外部に送るための回路に見えた。「外部」がどこなのかを特定できれば、二つの遺跡の関係が見えてくる。

 鉛筆を走らせながら、仮説を口に出していた。

「沿岸遺跡が潮位を記録していたのは確実です。でも記録するだけなら、こんな複雑な回路は要らない。データを送る先がある。受け取って処理する場所がある。それが港区の地下遺跡なら、二つの遺跡は独立した施設じゃなく、もっと大きなシステムの構成要素だったことになる——」

 焚き火が爆ぜた。私は顔を上げた。

 トーマは焚き火の向こう側で、装備の手入れをしていた。革鎧の留め具を確認し、剣の刃にうすく油を引いている。手つきは静かで、慣れた動作だった。

 彼は私の独り言を聞いていたのだろうか。聞いていなかったかもしれない。装備の手入れに集中していたのかもしれない。

 焚き火の明かりが彼の横顔を照らしていた。炎の揺らぎに合わせて、目元の古い傷が影になったり浮かんだりする。

 私は視線をスケッチブックに戻した。

 二つの遺跡の回路配置パターンを、一枚の紙に重ねて描いてみる。港区地下遺跡の主幹路を基準に、沿岸遺跡の位置と方角を示す。そしてその間を——仮の線で結ぶ。

 まだ実証されていない接続だ。破線で描いた。

 だが紙の上に二つの遺跡を並べると、回路の配置パターンが呼応しているように見える。一方の出力が、もう一方の入力に対応する。構造が「会話している」。

 明日、最奥区画に入れば、もっとはっきりするだろう。

 スケッチブックを閉じて、焚き火に手をかざした。夜の海岸は冷える。波の音が一定のリズムで聞こえている。潮が満ちてきているのだ。今頃、あの洞窟は水の中だ。

 明日の干潮は〇五三〇頃。もう寝た方がいい。

 テントに入る前に振り返ると、トーマはまだ焚き火のそばにいた。装備の手入れは終わっていて、ただ炎を見ていた。

「おやすみなさい」

 声をかけると、彼は少し遅れて応えた。

「おやすみなさい。明日は早いので、風が強くなったら起こします」

 護衛として夜の天候を気にしている。海岸の野営では風向きが変わると危険だ。

「ありがとうございます」

 テントの中に入り、寝袋に潜り込んだ。波の音が布地越しに聞こえる。一定のリズム。潮汐の周期。旧文明はこの周期を回路に刻んでいた。

 壁面の波形パターンが脳裏に浮かぶ。あの規則的な曲線。潮の動きを写し取った、千年前の記録。

 二つの遺跡の回路が「会話している」。

 その声を聞くには、もう少し近づかなければならない。明日、最奥区画で——

 いつの間にか眠っていた。


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