60.怨嗟の悪魔
「グギャギャギャ、ガガアアアア!!」
ふたたび祭壇にいた二体の貴族種のうちの一体——先ほど唸り声を上げたのと同じ個体だ——が奇声を発した。次の瞬間、妖魔たちが先刻と同様に一斉に怯えた目で祭壇を見る。
そしてその注目は、祭壇にいた四体の邪霊師のうちの、一体に集中した。先ほど攫ってきた娘の一人に禍々しい曲刀を向けていた個体だ。
他のどの個体よりも、その注目されている個体が一番怯えた顔をしているように見えた。
祭壇の上にいた二体のホブゴブリンが、そのシャーマンから黒刀を取り上げ床に放ると、シャーマンを羽交い絞めにしようとする。
反射的に、シャーマンは左手で持っていた髑髏の杖を振りかざし、一体のホブゴブリンの顔面を《闇の弾丸》で粉砕した。
「グガガアアアアッ!!」
だが、もう一度先ほどの貴族種が恐ろしい声で怒号を上げた。
シャーマンはさらに恐怖の色を浮かべ、ビクッと硬直する。そこへ、もう二体のホブゴブリンがつかみかかり、あっという間に髑髏の杖も取り上げると左右から手足を抑え込んだ。
「な、何をしているんだ……?」
「……仲間割れかあ?」
ロンドとジェイクが顔を見合わせている。
「……いけない!」
ルシアが事態を察し、祭壇に向かおうとする。が、間に合わない。
もう一体のシャーマンが祭壇の床に落ちた黒刀を拾い上げると、血走った目で羽交い絞めにされているシャーマンを凝視し……そしておもむろに暗い光を放つその刀身をその腹に突き立てた。
「ギ、ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
身の毛もよだつような断末魔の叫びが広間に木霊する。
次の瞬間、強大なオーラが凄まじい勢いで腹を貫かれた個体から天井に向かって吹き上がり、どす黒い輝きが広間を照らした。
同時に祭壇から爆風が巻き起こり、地面に描かれたいびつな魔法陣が暗い光を放つ。
爆風にあてられて、体重の軽いゴブリンたちが何体も一気に吹き飛んだ。
土煙が立ち込め、祭壇を覆い隠す。
「……しまった、降臨した……!」
「妖魔の体に受肉させただと!?」
ルシアが呟き、カレンが驚愕の声を上げる。
「噓でしょ!?そもそも『闇の者』の身体なんかを依り代に、悪魔って憑依させられるの!?」
セラフィナもその藍玉の目を見開いている。
徐々に祭壇を包む煙が収まっていく。
「!!!」
土煙の晴れた祭壇には、およそこの世の生物とは思えない悍ましい存在があった。
体高は五メートルほど。トロールやオーガーよりさらに二回り以上は巨大だ。
腐りかけた老若男女様々な人の顔がいくつも重なり合ったような塊が、その存在の胴と呼べるような部分を形作っており、その超重量とは明らかにアンバランスな若い女のような華奢な手脚が、その胴体の至る箇所から生えている。
特に球体に近いその胴を支えるように、胴の下側には無数の細く白い脚が密集して生え、うごめいている。さらに巨大なミミズのような尾と思しきものが生えており、その先には母体となったゴブリンシャーマンの醜い顔がついている。
「いっ……き、キモっ!!」
セラフィナが自分の身体を抱きしめるようにして悲鳴を上げた。
全身に鳥肌が立っているのがわかる。
「……【怨嗟の悪魔】!」
【魔女】は怯えるでもなく、驚くでもなく。その赤く輝く紅玉の瞳で悍ましい怪物を静かに見据えている。
『おおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおぉぉおおおおおぉおお!!!』
悪魔の胴体部分で無数にうごめく腐った顔が、同時に世にも恐ろしい嘆き声を発する。
「ぐ……あ……っ……なんだ、この威圧感はっ……!」
「……こ、高位の魔族だ!トロールやオーガーの比じゃないぞ」
震える声を絞り出すロンドに、グレッグが掠れた声で答えた。
悪魔が無数に持つ細い腕のうちの一本がブクブクと醜く膨れ上がり始めた。
——と見えた次の瞬間、一気に何百倍ものサイズに膨張し、一瞬で黒刀を握りしめたままガタガタ震えていたゴブリンシャーマンを親指と人差し指でつまむ。
「——!!!」
シャーマンは半狂乱になりギャアギャアと叫ぶが、その巨大な醜い指はびくともしない。
悪魔は震える邪霊師を胴に蠢く複数の腐った顔にゆっくり近づける。
シャーマンは泣き叫びながら、髑髏の杖から《闇の弾丸》を連発した。
弾丸が悪魔の複数の醜い顔に炸裂する。汚れた緑色の液体が噴き出し、いくつもの腐った顔が同時に恐ろしい悲鳴を上げた。
だがシャーマンを掴んだ巨大な腕は何事もなかったかのように、その哀れな妖魔を胴に近づけていく。
《闇の弾丸》で破壊されたはずの醜い顔がブクブクと再生し、恐ろしい形相でシャーマンを凝視する。そして身動きの取れないシャーマンが蠢く腐った顔から三十センチほどの距離まで近づくと、今度は胴から無数に生えている他の細く生白い腕がうぞうぞとシャーマンを掴み始める。
シャーマンが恐怖に引きつった顔で、悲鳴を上げる。
それは身の毛のよだつような悍ましい断末魔の悲鳴だった。
そして次の瞬間、無数の腕が、そのか細い外見からは想像もできないほど凶悪かつ暴力的な怪力で、一気に小鬼の邪霊師の体をバラバラに引き裂いた。
「——いっ!!?」
セラフィナが思わず両手で口を押えて短い悲鳴を上げる。
数秒前までシャーマンだったモノの肉片を我先にと奪いあいながら、悪魔の胴体に蠢く腐った顔が邪霊師の死骸を貪っていく。
その光景を、周囲のゴブリンたちが目を見開いて凝視していた。恐怖で半ば硬直している。
悪魔の胴にある複数の視線が、ゆっくりと周囲のゴブリンたちに向けられていく。
——一瞬、時が止まった。




