5.絶世の美少女?
「おお……」
その旅人を見て、給仕の娘は思わず口に手を当て感嘆の声を漏らした。
美しく艶めく亜麻色の髪。
おそらく肩より少し長いくらいのその髪を、群青色の紐で結わいてポニーテールのように後頭部でまとめている。金糸のようなその髪は緩やかにウェーブがかかっていて毛先が少しだけカールしていた。
瞳の色は蒼穹を想起させるような明るく澄んだ藍色。
小ぶりだが筋の通った鼻、薄い唇、白い肌。
小さな赤い石の耳飾りをつけている耳の先端が、ごくわずかにとがっている。
「あらま。すんごい美少女……!」
ビスタがその顔をまじまじと凝視してつぶやいた。
よく見ると、明灰色のローブは雨のせいだけではなく、ところどころ黒ずんでいる。泥でもついたのだろうか。ローブの下に隠れてはいるが金属製の鎧が見える。部分板金鎧だ。全身板金鎧ではないとは言え、その小柄で華奢な体格にはいかにも不釣り合いだった。
右腰には護身用だろうか、細身の剣を下げており、また正面からは見にくいが、どうやら背には布にくるまれた大きな棒状の荷物を背負っているようだ。
「遅くなってすみません!途中で馬が怪我をしてしまって……」
少し慌てた様子で、その人物が言った。
「えっと、……どちらさま?」
その整った顔に目を奪われながらも、給仕の娘が尋ねた。
「お嬢さん、騎士殿のお連れの方かい?他の方はどちらに?」
カウンターにあったタオルをもって女主人が駆け寄る。
「え?あ、いえ」
だがその人物が答えるより先に、グレッグが緊迫した様子で声をかけた。
「おい待て、それは血だな……!」
ローブの黒ずんだ部分に目を向けて言う。
「え、血!?」
その場にいた者たちがその言葉に不穏な空気を感じ取る。
「嬢ちゃん、ケガしてるな?大丈夫か」
ローブの黒いシミが血だとすると、かなりの出血量だ。
「ええ!大変、どうしよ!救急箱取ってこなきゃ……」
グレッグの言葉に、給仕の娘は口元に手を当てて狼狽した声を上げる。
「いや、まず医者だろ!」
「女の子だし、マーサばあさんの方が良いか?」
「あ、いえ、あの……」
「アホ。ばあさんは医者じゃなくて薬師だろ。ダンドロ先生を呼んで来い!今は男とか女とか言ってる場合じゃないだろ」
太った男と痩せた男も緊迫した声でまくし立てる。ローブを纏った人物が何か言おうとするも、耳に入っていないようだ。
「なんだよ、相変わらずこの村にゃ治癒士もいねえのかよ」
ガッドが二人の男に呆れた目を向けると、
「そんな大物いるわけねえだろ、こんな小せえ村によ!」
太った男が怒鳴り返す。
「とりあえず、あたしが応急処置をするよ。オジサンたちはちょっとあっち行ってて」
ビスタがローブの人物に駆け寄った。
「あの」
「わ、分かった、じゃあ俺はダンドロ先生呼んでくらあ」
「ちょっと待ちな、あんたたち」
「俺もとりあえずばあさん呼んでくるぜ。いねえよりはマシだろ」
太った男、女主人、痩せた男が口々に言葉を発したその直後。
「あの!!」
ローブの人物がそれまでよりひと際大きな声で遮った。凛としたよく通る声音だった。
店内の視線が一斉にその人物に集中する。一瞬で沈黙が店内を支配した。
「あの……」
全員の注目を浴びたその人物は、大声を出したことが急に恥ずかしくなったのか、また声のトーンが弱くなった。何から話せばいいか迷っているようで、しばらくの間困ったような表情をしていたが、やがて整理できたのか、女主人とグレッグ、そして店内の一人ひとりの顔を順に見てから、ゆっくりと口を開いた。
「あの、えーと、まず……私は男です」
「ええ!?」「うっそ!」「男ぉ!?」
一瞬でまた短い沈黙が破られる。
咄嗟に声を上げたのは、給仕の娘とビスタ、それにガッドだ。
だが声に出したかどうかはさておき、その驚きは他の者も皆共通していた。
「……それからこれは……えーと、今はもう大丈夫です」
その人物は、ローブの黒ずんだ箇所をつまんで続ける。
「これは私の血ではないので……」
「わ、私の血じゃない……?」
給仕の娘がぞっとした目でその人物を見た。ローブの彼はそれに気づいて、慌てて説明しようとする。
「ここに来る途中の街道で、黒妖犬の群れと遭遇してしまって、戦闘になりまして……。この血は……」
「黒妖犬!」
「街道でまた魔物かよ!?」
「群れだと!?」
「ちっ、先にそっちをなんとかしないと!」
旅人が最後まで話し終える前に、また店内が騒然となる。
「あ、いえ……だ、大丈夫です。黒妖犬はもういませんので……」
「そりゃどういう意味だい?」
女主人が怪訝な顔を向けると、旅人は慌てて付け足した。
「群れと言っても、たった六頭でしたので……」
「六匹っていやあ相当な数じゃないか。それがもういないって、どうして言えるんだい?」
「ぜ、全部倒しましたので……」
女主人の質問に、旅人は何故か申し訳なさそうに答えた。
「は?倒したって、あんた……」
「おい、でたらめ言ってんじゃねえぞ、小娘!」
女主人の言葉を遮って声を上げたのは、ガッドだ。
「あ、いえ、だから私は男で……」
「魔物の群れに出くわしたってんなら、なんでお前みたいなガキ一人だけここにいるんだよ!小娘が黒妖犬に勝てるわけねえだろ!」
少年の言葉を遮って、ガッドは一気にまくしたてる。どうやら完全に酔いは醒めた様子だ。
「他のやつらはどうしたんだよ。……ガキ一人だけ生き残って、後は喰われちまったってか?」
ガッドの口調はしかし、だんだんと尻すぼみになっていく。
「……天下の〈星芒騎士〉様も、犬どもの胃袋の中かよ……」
自分で言っておきながら、その可能性も十分にあり得るように思えてきたからだ。
「まさか、その血は……」
「あ、いえ……これは黒妖犬とその時噛まれてしまった馬の血です」
「馬かよ!」
「あ、大丈夫です……今は馬の傷も塞がってますので。ただ、骨まで到達している傷もあって、それは私では完全に治せなくて……」
「馬の話は聞いてねえよ!」
「す、すいません……」
「だから、他のやつは——」
「ガッド」
尚もまくし立てようとするガッドを、壮年の大男グレッグが静かな声で制した。
「あんたはちょっと黙ってな」
続いて、女主人がガッドをギロリと睨んだ。
「まあ、まずはちゃんと話を聞こうや」
グレッグが女主人に目配せすると、女主人は頷いてから旅人に向き直った。
「話してくれるかい?あたしたちにも分かるように」
ガッドに対するものとは打って変わって、優しい声だ。
「はい……お気遣いありがとうございます、すみません」
旅人は恐縮して会釈をしてから、ゆっくりと息を吸い、そして口を開いた。
「ご期待に沿えず本当に恐縮ですが……私が〈星芒騎士〉です。〈星芒騎士団〉一番隊所属のアリス=レーゼです」
言った瞬間、一同が一斉に唖然とした顔をする。
「アリス?やっぱ女じゃねえかよ!」
ガッドがそら見ろ、と言わんばかりな口調で言った。
「な、名前が女みたいなのは否定できませんが……なんでこんな名前にしたのか、親を恨みたくなる時もあるというか……でも、とにかく私は男なんです」
旅人は、微かにウンザリとした表情を浮かべた。幾度となく繰り返された会話なのかもしれない。
(女の子みたいなのは、名前だけじゃないけど……)
ビスタはそう思わずにはいられないが、とりあえず今は口には出さないでおいた。
「それから——」
アリスと名乗った自称男の子は、話を続ける。
「今回の討伐任務で派遣されたのは私一人です。同行した者はいませんので、誰も死んでいませんし、誰も魔物に喰われてないです。この村の冒険者ギルドで四名の冒険者の方と合流し、協力して鳥竜を討伐するよう指令を受けて来たのですが……来る途中で討伐対象を視認するも、魔物の群れに道を阻まれ、全て斃しましたがその時に馬が怪我を負ってしまいまして……約束の時間に遅れてしまいました。申し訳ありません」
そこまで一気に話すと、一同に向かって頭を下げた。
一瞬の沈黙が流れた。
そして、そのわずかな静寂の後。
「お前が騎士!?嘘つけ、まだガキじゃねえか!」
「一人!?最初からひとりで来たの!?」
「今、討伐対象を見つけたって言ったか!?」
「ていうかこの子ホントに男の子?噓でしょ」
ガッド、ビスタ、ロンド、そして給仕の娘までが一斉に口を開き、また店内が騒然となる。
「ちょっとあんたら、少し黙ってな!」
見かねた女主人が一括する。
彼女がよほど怖いのか、全員が素直に口を閉ざした。
「あんたの話を疑うわけじゃないんだが……」
静かになった店の中で、グレッグが後頭部をポリポリと搔きながら口を開いた。
「……いくらなんでも、ちょっと若すぎねえか。確かに、成り立ての騎士が来るとは聞いていたが、この国じゃ騎士になれるのは十五からのはずだろ?」
せいぜい、十二か十三と言ったところか。どう見ても成人しているようには見えない。
しかし、少女のような少年は困ったように首を振る。
「す、すみません……私はこう見えても、十五歳です……確かに今月叙勲を受けたばかりで、騎士としての経験はほとんどないですが」
何故か申し訳なさそうに、アリスは腰の細剣を鞘ごと外し、グレッグと女主人たちに見えるように差し出した。
「?」
ロンドたち、店内にいたほとんどの者はそのしぐさの意味が分からなかったが、女主人とグレッグはそれだけで理解した。
剣の鞘に刻まれた金色の紋章は王国の騎士、それも上級騎士の証であることを示している。
「しかもこれは〈星芒騎士〉専用の魔導銀製の細剣か」
「本当だ。間違いないね」
グレッグの呟きに、女主人が心底驚いたように頷く。
「こいつは驚いたな。本物だ。……どんな『脳筋トロール』が来るかと思いきや」
「え?ノーキントロ……?」
グレッグの言葉にアリスが首をかしげた。耳飾りの小さな赤い宝石が揺れる。グレッグは「いや、失敬。こっちの話だ。忘れてくれ」と苦笑してから、言葉を続けた。
「疑って悪かったな。あんたの話を信じよう、アリス殿。俺はグレッグだ」
そう言って右手を出す。
「……アリスで結構です、グレッグさん」
少年騎士もぎこちなくその手を握り返す。
グレッグは改めて、(少女の手にしか思えんな)と内心で呟いた。
「ところで、討伐対象を見つけたって言ったな?そいつを見かけたのはどの辺りだい?」
「あ、あの、実はそのことなんですが……」
アリスが言いにくそうに話し始めようとした丁度その時。
店の外で犬たちが激しく吠える声が会話を遮った。つい今しがた、アリスが来たときの吠え方とは明らかに激しさが違う。店の中でも会話ができないほどのやかましさだ。
店内の者たちが不穏な空気を察して顔を見合わせた、その直後だった。
店の扉が勢いよく開き、一人の男が血相を変えて駆け込んできた。
「——おい、竜だ!ついに竜が村を襲ってきやがった!!しかも三匹もいるぞ!!」




