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45.黒猫と魔女

 ——キイン、キイン。


 甲高い音とともにカウンターの上に設置した魔水晶が赤色に点滅し始めた。


「リリア、リリア!」


 奥の厨房にいた女主人が、巨大な鉄のフライパンで野菜を炒めながら、店と併設されている居住スペースの二階に向かって声を張り上げた。


「リリア!いつまで着替えてるんだい、ノロマだね。今手が離せないんだ、代わりに『魔水晶』に出ておくれ!多分、アリス君たちからの連絡さね」


 ダダダダッ!と階段を駆け下りてくる音がする。


「え!アリスさん!?」


 エプロンの紐を結びながら、リリアが店に下りてきた。


「どこ?『魔水晶』ってどこ?」


「あっちだよ、カウンターの上」


 女主人は顎でカウンターの方を示した。


「連絡があるかもしれないと思って、奥からこっちに持ってきておいたんだよ。順調ならそろそろ小鬼退治が完了した頃合いだ。早く出ておやり」


「はーい!!」


 元気よく返事をして、リリアがカウンターの方にパタパタと駆けていく。


 ——キイン、キイン、キイン。


 ——ガシャン!


「?」


 相変わらず魔水晶の甲高い音が鳴り響く中、何かを落としたような音がした。


(何やってんだい、あの子は)


 もしかして、魔水晶の受信の仕方も分からないのかい。

「しょうがないね」と呟いて女主人は火を止めると、カウンターへ向かった。


「お母さん……」


 だが、娘は魔水晶よりだいぶ手前で立ち止まっていた。

 彼女の向こう側、店の入り口付近に黒ずくめの男が四人、いや今さらに二人店内に入ってきて合計六人。

 明らかに客ではない。

 全員が黒い覆面をし、黒いローブを纏っている。

 ローブの下には簡素な革鎧、そして手には湾曲した片刃の短剣。


 ——キイン、キイン。


 魔水晶は鳴り続けている。


「リリア、こっちへおいで!早く」


 (リリア)を厨房側に引き戻すと、女主人は代わりに前に出てカウンターの奥にあった自分の得物に手を伸ばした。


 六人の男たちが短剣を構えて近づいてくる。


 ——キイン、キイン


 一人がカウンターまで来ると、鳴り続ける魔水晶を力任せに払い落した。


 パリン……ッ!


 音を立てて水晶が粉々に砕け、輝く破片が床に散乱する。

 カウンターを挟んで、女主人と男たちの距離がごくわずかなところまで縮まる。


「シャッ!」


 独特の呼吸で短く息を吐きだしながら、魔水晶を砕いた男が一気にカウンターを乗り越えて女主人に短剣を繰り出そうとする。


「なめんじゃないよ!」


 女主人は背後に隠し持っていた戦棍(メイス)を素早く下から突き上げた。

 カウンターに足をかけていた男の顎を打ち抜く。


「がっ!!?」


 一瞬時が止まったように動かなくなったその男に、女主人は戦棍の横殴りの第二撃を見舞った。

 直撃を胴に受けて男は吹っ飛び、真後ろにいたもう一人の黒ずくめの男もろとも床に倒れこんだ。

 残りの四人が驚いたように、わずかに距離をとる。


 女主人は戦棍を片手に、ゆっくりとカウンターを出て、男たちに正対した。


「お母さん……」


「あんたは裏口から出て、若いやつらを呼んでおいで」


 女主人は振り返らずに娘に声だけで指示した。


「わ、分かった!」


 リリアはそれに答えて、母の窮地を救うべく、すぐに助けを呼びに走る。


(……熟練の使い手ってわけじゃなさそうだね)


 女主人は男たちを睨みながら、頭をフル回転させた。


 こいつらは最近巷を騒がせている〈漆黒の牙〉だろう。

 革命軍だとかなんとか言っているが、要はただの野盗だ。

 確か、十年前の内乱時の反乱軍の残党か何かで、昔から悪さはしていたが、なぜか最近急に目立つようになったらしい。


 相手は訓練を受けてはいるが、手練れというほどではない。

 しかしこっちも、冒険者稼業を引退してから二十年近い。娘が産まれてからは、碌に鍛錬もしていない。

 カウンターに冒険者時代の得物を常備してはいたものの、万が一の護身用だ。

 そもそも、現役時代も『プレート持ち』まで上り詰めるほどの実力があったわけでもない。

 はっきり言って、圧倒的に分が悪い。


「あんたらの目的はなんだい。ここが冒険者ギルドを兼ねてるってこと、知っていてのその狼藉かい?」


 男たちは無言で距離を詰めてくる。最初の不意打ちで二発加えた男だけは、完全に気を失って床に転がったままだが、もう一人の男はすでに立ち上がって、女主人の包囲網に加わっている。残念ながらほぼ無傷のようだ。


「こんなことして、上が黙っちゃいないよ。それにあたしも、若いころはそこそこ名の通った冒険者でね。……久しぶりで血が騒ぐねえ!」


 我ながら無理のある虚勢だ、と心の中で自分に毒づきながら、女主人は戦棍を振りかざして声を張り上げた。

 だが、その言葉には何の反応も示さず、男たちがさらに距離を詰める。

 女主人の額に汗がにじむ。


(……こうなったら派手に暴れて一人か、できれば二人くらいぶっ飛ばして、あわよくばあっちがビビッて逃げてくれるのに掛けるしかないね……!)


 望みは薄そうだねぇ、と小さく呟いてから、戦棍を振りかざし覚悟を決めて突撃しようとした、その時だ。


 ——にゃあ。


 場違いな声が聞こえた気がした。

 暴漢たちから目を離せないはずの女主人も無意識に目線を下げ声の主を探す。


(は?猫……?)


 見れば紫色の目をしたしなやかな黒猫が、湾曲した短剣を構えた黒ずくめの男たちの足元を優雅に歩いている。

 今まさに命の奪い合いをしている最中だと言うのに、まるで時間が止まったかのように、たった一匹の黒猫に、その場にいた全員が目を奪われていた。


 と、女主人にはその黒猫の紫水晶のような瞳が一瞬、紅玉のように赤く輝いたように見えた。

 次の瞬間。


 かくん、とまるで糸が切れたかのように、突然目の前の男が、何の前触れもなく膝から崩れ落ちるように倒れた。同時に止まっていた時が動き出す。


「!!?」


 頽れた男の背後に人影があった。

 音もなくいつのまにかそこに居たその人物に、一瞬の後、その場にいた全員が驚愕と警戒の色を湛えた視線を向けた。


 そしてさらに一呼吸の後。


 黒ずくめの男が四人とも、先刻の男とまったく同じように、膝から崩れて床に転がった。


「???」


 目の前で起こった光景が全く理解できず、視界の中で唯一立っているその人物をただただ凝視するだけの女主人に、その人物は口を開いた。


「ご無事ですか」


 鈴の音のような、静かで涼やかで、それでいて凛と響く美しい声だった。

 その女の華奢な脚に黒猫が喉をゴロゴロ鳴らしながら、頬を摺り寄せている。


「……あ、あんたたちは?」


 その人物の後ろから、さらに五人、同じような恰好をした者たちが店内に入ってきたのを見て、女主人は辛うじて声を紡ぎ出した。


「うちの子たちは……すでにゴブリンの巣に行ってしまったようですね」


 紫水晶(アメジスト)のような美しいその瞳がわずかに揺れていた。


お読みいただきありがとうございました!

第四章スタートです。

次回から、いよいよ妖魔の巣窟への突入です!

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