25.廃屋の人影
「闇満ちたりしとき
授魂の祭壇
暗き御心授かりし者——」
暗闇の中。
夜ではあるがそれでも空には星々が輝き、月も寝静まった静かな街を優しく照らしているはずだ。
しかし、そこは完全に闇の中だった。
小さな窓から、ごくわずかな星明りがかろうじて差し込むが、それとて窓辺をほんの少しばかり照らす程度。
それ以外には陽光石はもちろん、ランプも蝋燭もない。
一人を除いて人影もなく、そもそもこの建物自体、およそ生活感もない。
石壁は所々崩れており、無数の罅がそこら中に走っている。
「——捧魂の祭壇
穢れなき光の娘の子ら
穢れた血を分かつ子ら
その身血に染め
大いなる闇呼び覚まし
その魂すべて解き放たれしとき——」
低い男の声が、静まり返った廃屋に響いている。
その手には恐ろしく古びた書物。開かれているものの、この闇の中では文字など読めるはずもない。
だがその男にとっては、どうでも良かった。
そもそもその書物に書かれた文字など一つも読めないのだがら。
「——妖を統べる王 その身に再び蘇らん」
僅かな間をおいてから、厳かに男は締めくくった。
彼に読める文字ではないが、そのように書かれていることは知っている。
その古の文字を読める稀有な存在から幾度となく、それこそすべて暗記できるまで教えてもらったからだ。
——もっとも、聞かされた通りに奇妙な文字を追っていくとなぜか数行程度、飛んでいる気もするのだが。
——ザッ。
物音がした。
暗闇の中で、人影が二つになる。
ガラスのない窓から軽やかに入ってきたその人物は、男の前で無言のまま跪いた。
「報告があった。……予想通りだ。ここに向かっている」
男は手にした書物に目を落としたまま、振り返らずに言った。
「分かっているな。我らから国を奪った盗賊どもだ」
その声は静かだが、怒りと狂気に満ちている。
「計画の邪魔をされるわけにはいかない。すべて始末しろ」
やや間があってから、思い直したように、また口を開く。
「……いや、待て。丁度いい。やつらに始末させろ。所詮は多勢に無勢、やつらでも簡単に始末ができるはずだ。アレはこの私の命令には逆らえんしな。必要ならお前たちも手伝ってやれ」
いろいろ便宜を図ってやっているんだ、少しは働いてもらわないとな。
と小声で付け加える。
「計画もすぐに始めさせろ。同時進行で構わん。これ以上、こそこそと隠れる必要もないだろう」
向かいにいた人影は無言で頷くと、音もなく窓から消えた。
(……どうせ、王宮に気づかれるのは時間の問題だな)
長い時間をかけて水面下で着々と準備を進めてきたが、先日の討伐隊は無駄に優秀だった。
せっかく十分な手柄を用意してやったと言うのに、やつらは気づいてはいけないことに気づいてしまった。
——だから消した。
その後の調査隊もそうだ。優秀だったから悪いのだ。
しかしやむを得なかったとはいえ、立て続けに始末してしまったことで、ついに王宮も本腰を入れてしまった。
火消しを試みたが、さすがに手遅れだった。
残念ながらこちらにもそれなりの手練れが向かっているようだ。
情報によれば、今回の討伐隊には魔法使いが編成されている。
しかも天下に名立たるあの星の騎士までいる。
やつらが飼っていた犬どもを差し向けてみたが、実力の一端も垣間見ることができなかったと言う話だ。
もうこれ以上、隠しきるのは難しいだろう。
もはや王宮が秘密に気づくのも時間の問題となった。
しかし、今さら遅い。
こちらの準備もほぼ整っている。
今回の討伐隊さえ始末してしまえば、ほどなく準備がすべて完了し、計画通り私は力を手にできるはずだ。
——本当にそうか?
その秘術の情報をもたらしたのは、志を同じくするあの男だ。
同じ『星の民』の名家の出身で、建国の際には多大なる貢献をしたにもかかわらず、代を追うごとに理不尽にも爵位を奪われるという屈辱。
そして『星の民』の中でも最も高貴な血を引きながら、光の使い手としての素質を天から与えられなかった不条理。
同じ境遇、同じ暗い憤りを共有する同志のはずだ。
だがなぜか、今は少し引っかかる。
——本当に信用して良いのか?
あの時はあれほどまでに強烈な感動と確信があったのに、今はそれがはっきり思い出せない。焦燥感が、胸の奥底に渦巻いている。
あの初老の男はいつ、どこから……?いや、そもそも、初老だったか?もっと若くなかったか?いや、男ではなく女だっただろうか……?
(……まあいい)
彼は途中で考えるのをやめた。
事はとうに動き出している。
今さら自分にも止められないし、止めようとも思わない。
男は暗闇の中で身を翻すと、街の外れに打ち捨てられた廃屋を後にした。




