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星降る夜のアリス  作者: 雪代コハク
プロローグ 星の騎士と光の魔剣
2/16

2.闇の大地の旅人

 

 ——聖王歴九六六年、十二月。


 どこまでも続く荒野。

 背の低い草が見渡す限り大地を覆っているが、実りの秋が終わりを告げ葉の枯れかけたその小麦色の絨毯は、今日の空模様と相まってどこか寂しげな雰囲気だ。

 まだ夕方というには早い時刻だが、パラパラと小さな雨粒を落とすどんよりと黒くぶ厚い雲が、日の光を完全に遮断しているため辺りは薄暗い。

 今は辛うじて“雨”と呼べるそれも、いつ霙や雪に変わってもおかしくない肌寒さだ。

 この広大な荒れ野原を、小さな街道が縦断している。

 もっとも、“街道”と言っても舗装されている場所はほとんどなく、時々通る人やら馬やらに踏みしだかれて草の生えなくなった、ただ茶色い土がむき出しなだけの寂れた道だ。

 道に沿って数百メートル置きに設置されている『聖石灯』の明かりもどこか弱々しいし、そもそもあのサイズでこの設置頻度では、十分な魔除け効果があるかもちょっと疑わしい。

 そんな寒々しい街道を、ひとり歩く人影がある。

 平均的な成人男性と比較すると、かなり小柄で華奢な体格だ。女性か、それとも子どもだろうか。

 明るい灰色(ライトグレー)のローブを羽織り、背には布に包まれた棒状の巨大な何かを背負っていた。

 小雨降る中フードを目深に被り、茶色い毛並みの馬を引いている。

 馬を連れたまま大自然に敷かれた細い街道をしばらく行くと、やがて旅人は分かれ道に差し掛かった。

 旅人は馬の背に乗せた荷物袋から一枚の羊皮紙を引っ張り出し、続いてローブの懐から方位磁針をとり出した。


「ええと。あっちが北だから……そっちがカストールで、こっちがポルックス……だよね?」


 どうやら地図のようだ。丸まった羊皮紙を広げて、旅人がクルクルと不器用に回していると、一台の馬車とすれ違った。

 旅人が行こうとする道とは反対の、どちらかと言えばまだしっかりとした——あくまで比較すれば、の話だが——街道から来た馬車だ。

 馬車の御者は旅人に気づくと、馬を止めて目を丸くした。


「……嬢ちゃん、まさかひとりかい!?」


 気の良さそうな太った中年の男だった。


「あ、いえ、えーと……」


 旅人は少し戸惑ったように首を傾げて、要領を得ない回答をした。

 フードの奥で、赤い宝石の耳飾りが揺れる。


「……いや、まあ、そんなわけねぇか」


 だが、御者は旅人のそれ以上の回答を待つことなく、ひとり、当たり前のように言いなおした。


「連れはどこ行ったんだい?……ああ、分かった。小便か」


「え?ええ……そ、そうなんです。ちょっと……そ、そこの森に」


 旅人はそう言って街道から少し逸れた先にある小さな森を指差した。

 ここから二、三十メートルといったところか。

 森……と言うか、背の高い草が密集しただけの、ちょっと大きめの茂みと言った方が正しい。確かに、あの深い茂みの中に入ってしまえば、例え用を足していても外からは見えない。


「やっぱりな。けど、小便なんてそのへんですりゃいいのによ……あ。いや、そうか。でかいほうか」


 今度も旅人の答えを待たず、ひとり納得したように頷いた。

 どうやらこの男は、自分で言っておきながら勝手に答えを出す癖があるらしい。


「あ、えー……た、たぶん、そうです」


「ったく、仕方ねえなあ。父ちゃんかカレシか知らねえが、いくら街道っつっても、ここは闇の大地だぞ。女の子を置いて野糞なんて、危ねえな」


「あ、いえ、私は……」


 呆れた顔の御者に、旅人は何かを言おうとするが、


「ところで嬢ちゃんたちは、まさかポルックスに行く気かい?」


「え、ええ」


 重ねて問われて、言おうとしていた言葉を引っ込め、旅人はとりあえず頷いた。

 御者の男はそれを見て、眉を顰めて首を振った。


「嬢ちゃん、悪いこた言わねえ。今はやめといたほうが良い。知らないかい?近頃あの辺りにゃ、“竜”が出るんだよ」


 男は旅人が向かおうとした細い街道を顎で指し、


「そっちの道でもつい最近、行商が襲われたって話だ。……それでなくてもその街道は『聖石灯』がやたらしょぼいからな、昔っから時々魔物も出るんだよ」


 腕を組み、娘を気遣う父親のような顔をした。


「嬢ちゃんたちがカペラへ戻るってんなら、いつもなら乗せてやるところなんだが……」


「——ご主人」


 御者の男の言葉の途中で、馬車の中から別の若い男の声がした。


「すまないが、そろそろ車を出してもらえないか?夕方までには戻らなくてはならないものでね」


「ああ、すいやせん、旦那」


 御者の男は車のほうを振り返って答えた。

 それから旅人に向き直り、少しだけばつが悪そうに後頭部を撫でながら、


「……生憎と、今日はすでに客人を乗せてるんでね。悪いが、俺ぁここで失礼するよ」


 そう言って、男は馬に鞭を入れる。

 馬車がゆっくりと動き出した。


「あんたらも、無理に危ないところへ行くこたぁねぇ。竜に関しちゃ、近いうち王都から本格的な討伐隊が来るって噂だ。それまで待った方がいいぜ。連れが戻ったら、よく話しなよ?」


 最後に男がそう声を掛けると、旅人は「はぁ、ありがとうございます……」と少し困ったような笑顔を見せた。

 馬車が旅人の横を過ぎていく。

 二頭の大柄な馬に引かれた車には、小さな窓がついていた。

 小窓には内側からカーテンが掛かっていて、外から中は見えないが、逆はそうでもない。車中の人物は、カーテンの隙間から横目で旅人を一瞥した。とは言え、雨の中フードを深く被る旅人の顔までを伺い知ることはできない。唯一、耳元で揺れる紅い宝石が辛うじて見えたくらいだ。

 だが、その人物は耳飾りを見て、「まさかな……」と一言だけ呟いた。


「いやぁ、お急ぎのところ、お待たせしてすいやせんでした、旦那」


 前方から、陽気な御者の声が掛かる。


「いえ」


 馬車の中の人物は短く答えた。


「それにしても、あの嬢ちゃん。顔が半分くらいしか見えなかったけど、ありゃきっと相当な別嬪ですな」


 そう言って、御者は愉快そうに笑った。


「ふたりか」


 車の中では、もう一人の男が口を開いた。


「どうします?」


 その人物は低く静かな声で答えた。


「……ガキに興味はない。くれてやれ」



    Ψ


 去っていく馬車を見送り、旅人はひとり小さくため息をついた。

 それから、踵を返すと「行こう」と馬に声を掛け、歩き出す。

 それは馬車が来た道とも、去って行った先とも別の方向。先ほどの太った御者が行くなと言った、寂れた細い道だ。その足取りに迷いもなければ、“森”に用を足しに行ったはずの“連れ”を待つ素振りもない。

 当然だ。初めから“連れ”などいないのだから。


「そろそろ、乗せてもらおうかな」


 旅人はそう言って、馬の首筋をぱんぱん、と優しく叩いた。

 馬もそれを受け入れるように旅人に頬を寄せた。

 しかし、旅人はすぐに立ち止まることとなった。


「あれは……!」


 旅人の視界の端。向こうの丘の上。巨大な何かが動いている。

 それは二足歩行の、巨大なトカゲのような姿だった。


「……いた」


 ここからではその大きさは判別しがたいが、旅人は知識としてそれを知っていた。

 竜の血を引く“亜竜”の一種。その中で最も繁殖力が強く多様な種を誇る“恐竜”種だ。さらにその中でも鳥のような脚の形が特徴の、“鳥竜”と呼ばれる種である。


「けど……」


 その“竜”の隣に並ぶ、もう一つの、全く同じ形のシルエット。


「二匹いる?」


 旅人の視界の右端から現れた二体の“竜”は、二足歩行で器用にカーブし、丘の向こうへと駆けていく。


「げ。あの方向って……」


 旅人が慌てて馬の背に乗ろうと手綱に手を掛け、


 ヒヒィィィィーーーーンッ———


「!」


 馬が突然、前足を大きく跳ね上げ、暴れ出した。

 明らかに、怯えている。

 旅人は軽やかに跳んで、難なく着地するが馬の興奮は収まらない。

 そして馬ではなく、周囲に視線を走らせた。

 馬の恐れの対象はすぐに分かった。


 バウッ、バウッ、バウッ!!!


 けたたましい鳴き声とともに、右手の“森”から飛び出してくる影。

 犬だ。体長一・五メートル近い、巨大な真っ黒の犬。それが全部で六頭。

 犬と言っても、普通の犬と比べて異様に口が大きい。いやただ大きいだけではない。耳元まで割いたような、不自然な大きさだ。そしてその眼は濁った黄色。


「……黒妖犬(ブラックドッグ)


 旅人はちらっと視線を上に向けた。

 聖石灯の明かりが消えている。

 道理で魔物が街道に近づいてこれる訳だ。ツイてない。


「“連れ”がいるとか嘘ついちゃったから、罰が当たったかな……」


 旅人は小さな溜め息をつく。

 黒妖犬が激しく吠えたてながら、少しずつ距離を縮め始めた。


「ここにいて。大人しくしててね……お願いだから」


 旅人は怯える馬の首をそっと叩いた。

 しかし馬はブルブルと震えながら、口から泡を吹いている。

 数時間前に街で借りたばかりのこの子とは付き合いが短いが、どうやらかなり臆病な性格のようだ。

 旅人は後ろ髪を引かれながらも、ひとり馬のもとを離れて犬の怪物の前に歩み出た。

 そして、ローブの前を少し開き、何かをスラリと引き抜いた。

 その左手に握られているのは、白色の金属光沢を放つ細剣(レイピア)


「ちょっと多いけど……間に合う……よね?」


 旅人は、誰にともなく呟いた。


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