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極上の野営飯

「よし、行くか」


結局、クーネルの押しに負けたラクレスは観念したようにそう言うと、踵を返した。

村の出口……ではなく、先ほどまでいた市場の方へ。


「ん? どこへ行くのじゃ?」

「どうせなら美味いものが食いたいんだろ。少し、食材を買い足していく」


そう言って歩き出すラクレスの横顔は気のせいか、いつもより少しだけ浮かれているように見えた。

とはいえ、美味い飯にありつけるのなら、それに越したことはない。


市場に戻ると、ラクレスは真剣な目つきで食材を選び始めた。

一方、クーネルはというと。


「ふむ、肉か。小僧、これにせい! この一番大きな塊が、一番美味そうじゃ!」


彼女は肉屋の店先に吊るされた、巨大な猪の半身を指さした。

どう見ても二人で食べきれる量ではない。

というか、ラクレス一人では持ち運ぶことすら不可能だろう。


「……無理だ。持ちきれないし、金も足りない」

「金? 金なら妾が出す!」


そう言って、クーネルは懐を探った。

……が、もちろん、一文無しである。

そもそも魔王軍にいた頃は欲しいものは欲しいと言えば手に入ったし、金などという下賤なものに触れたことすらなかった。


「あ、そうじゃった。今、持ち合わせがなかったわい」

「……」


気まずそうに咳払いをするクーネルを見て、ラクレスは小さく息を吐いた。


「小僧、この店で一番上等な酒を寄越せ! これと交換じゃ!」


次に立ち寄った酒屋で、クーネルはどこぞの道端で拾ったであろう、キラキラ光るただの石ころを、カウンターに叩きつけた。

店主の呆れ返った顔と、ラクレスが平謝りしながら彼女の首根っこを掴んで店から引きずり出すまでが、一連の流れである。


「なぜじゃ、ラクレス! あの石は黄金のように輝いておったぞ!」

「……それはただの黄鉄鉱だ。価値はない」

「コウテツコウ……? 美味そうじゃったのに」

「バカか、食えないだろ」


蛇将軍だった時は鋼鉄も食えたが、今のクーネルは当然そんな事は出来ない。

そのあまりにも堂々とした認識のズレっぷりに、ラクレスは思わずといった体で、ふっと息を漏らすように笑った。

普段、表情筋が仕事をしているところをほとんど見ない男が見せた、ほんの僅かな笑み。

それに気づいたクーネルは「な、何がおかしいのじゃ!」と顔を赤くして怒るが、その様子がまた、ラクレスの口元を少しだけ緩ませるのだった。


結局、買い物は全てラクレスに任せることになった。

彼は骨つきの鳥の腿肉を吟味し、八百屋では瑞々しいカブやニンジン、そして香り高いハーブの束を手に取る。

その姿はもはや陰気な冒険者ではなく、一流の料理人のそれであった。


最後にパン屋で焼きたての黒パンを一本買うと、ようやく準備は整った。

ずっしりと重くなった荷物を背負い、今度こそ二人は村を後にした。


目指すはロックボアの住処だという森の奥。

数時間ほど歩いただろうか。昼を少し過ぎた頃、ラクレスは開けた川辺で足を止めた。


「……ここで、昼飯にする」


手際よく竈が組まれ、火がおこされる。

その光景を見るのはこれで二度目だ。


ラクレスはまず買いたての鳥の腿肉を取り出すと、表面にナイフで軽く切り込みを入れ、塩と砕いたハーブを丁寧にすり込んでいく。

その手つきはまるで繊細な工芸品を扱う職人のように、丁寧で愛情がこもっていた。


次に、鍋に少量の油をひき、肉の表面を焼き付けていく。

ジュウウウウッ、という食欲をそそる音と共に、肉とハーブの香ばしい匂いが立ち上り、クーネルの腹の虫がくぅ、と静かに鳴いた。

表面に綺麗な焼き色がついたところで、ラクレスは肉を一度取り出し、同じ鍋で乱切りにしたカブとニンジンを炒め始める。

野菜の甘い香りが、肉の香ばしさと混じり合い、期待感をさらに煽った。


野菜に火が通ったところで、肉を鍋に戻し、ひたひたになるまで水を注ぐ。

最後に残りのハーブの束を放り込み、蓋をして、あとは弱火でコトコトと煮込むだけ。


待つこと、しばし。

蓋の隙間から漏れ出る湯気はもはや暴力的なまでに美味そうな香りを振りまいていた。

ぐぅぅぅ……と、今度はさっきより少し大きな音で腹が鳴り、ラクレスがちらりとこちらを見て、また少しだけ口元を緩めたのが見えた。


(……む、見おったな)


やがて、ラクレスは満足げに頷くと、鍋を火から下ろした。

木製の器に盛られたのは乳白色に色づいたスープと、その中でほろほろと崩れるほど柔らかく煮込まれた鳥肉、そして艶々と輝く野菜たち。

添えられた黒パンからは麦の香ばしい匂いが立ち上っている。


「できた。熱いから、気をつけろ」


差し出された器を受け取る。

まずはスープを一口。


「……!」


美味い。

鳥の滋味深い出汁が溶け出したスープは野菜の甘みとハーブの爽やかな香りが幾重にも重なり、前回とはまた違う、複雑で豊かな味わいを生み出している。

次に、匙で鳥肉を少し崩して口に運ぶ。

肉は舌の上でとろけるように柔らかく、骨から染み出た旨味までもが凝縮されていた。

カブは瑞々しく、ニンジンは驚くほど甘い。


夢中で食べ進める。

時折、しっかりとした酸味のある黒パンをスープに浸して食べれば、また違った味わいが口の中に広がり、飽きることがない。


あっという間に器は空になった。

名残惜しそうに最後の一滴までパンで拭って食べ終えると、クーネルは満足のため息をついた。


「うむ。なかなかの腕じゃな、ラクレス」


素直な感想が、口からこぼれた。


「前回のも悪くはなかったが、今回のは格別じゃ。特に、この鳥肉の火の通し加減……完璧じゃな」

「……そ、そうか」


ラクレスは照れくさそうに顔を背け、自分の分のスープをすすっている。

その耳がほんのりと赤く染まっているのを、クーネルは見逃さなかった。

彼の作る料理を心から褒めることが、この陰キャな料理人を手懐ける一番の近道であるらしい。


(まあ、よい。美味い飯は気分がいいからのう)


しばしの休息の後、二人は再び歩き始めた。

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