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追放直後 〜飢えと寒さ〜

ごぽり、と。

空間の裂け目から吐き出された少女――クーネルは湿った土と腐葉土の匂いが混じる地面に、無様に転がされていた。

見上げる空は見知らぬ木々の葉に覆われている。ここは人間界の森の中、といったところか。


(フン、人間界なぞ、妾にとっては庭のようなものじゃ)


尊大な内心と共に、クーネルは土汚れを払うのももどかしく、すっくと立ち上がろうとした。

まずは近くの村を探し、この『黄金のクーネル』の威光を示してやればよかろう。さすれば愚かな人間どもはひれ伏し、温かい寝床と極上の食事を我先にと差し出してくるに違いない。

そう、いつも通りに――


「……立てん」


おかしい。足に力が入らん。

視線を落とせば、そこにあるのは見慣れた黄金の鱗に覆われた長大な体ではなく、日に焼けた華奢な二本の足。

ああ、そうじゃった。あの忌々しい『女神の涙』の呪いで、彼女は今、こんな貧弱な人間の小娘の姿に成り果てておるのじゃった。


「くっ……!」


それでも元四天王のプライドが、いつまでも地面に寝転がっていることを許さない。

震える腕でなんとか体を起こし、近くの木の幹に寄りかかって、ようやく立ち上がることに成功した。

服装は追放された時のままの、豪華だが森歩きには絶望的に不向きなドレス一枚。足元は土にめり込んで使い物にならないハイヒールだ。


(まあよい。歩きにくいが、魔法で道を切り開けば済むこと)


クーネルは嘆息し、森の奥へと意識を向けた。

ちょうどいい。手始めに、そこらにいる下等な魔物でも威圧して、道案内をさせてやろう。


「――出でよ、我が僕! このクーネルの御前に平伏し、道を――」


ガサガサッ!


彼女の尊大な呼びかけを遮り、草むらから緑色の醜い小鬼――ゴブリンが三匹、涎を垂らしながら飛び出してきた。

その濁った目は明らかに彼女を「か弱く美味そうな獲物」として捉えている。


「なっ……!?」


クーネルは反射的に魔法を放とうと手を構えた。

元四天王たる彼女に、ゴブリンごときが刃向かうなど、万死に値する!


「身の程を知れ、塵芥が! 消し飛べ、『黄金の――』」


……シン。


なにも起こらない。

指先に集まるはずの魔力は霧散し、詠唱は空虚に響くだけ。


(な……なぜじゃ!? 妾の魔力が……! 故障か!? この体は欠陥品か!?)


「ギギッ?」

「ギャギャ!」


ゴブリンどもが、クーネルが何もしてこないことに気づき、にやにやと下卑た笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。


「ひっ……! く、来るな! 寄るな、下郎!」


情けない悲鳴が喉から漏れた。

彼女は咄嗟に身を翻すと、もつれる足で森の奥へと駆け出した。

ハイヒールのかかとが木の根に引っかかってへし折れ、ドレスの裾は茨に引き裂かれる。


「ぜぇ……はぁ……はぁっ……!」


すぐに息が切れる。心臓がうるさく脈打ち、肺が焼け付くように痛い。

この体、燃費が悪すぎる……!

どれくらい走ったか。背後からゴブリンの追ってくる気配が消えた頃、クーネルは派手に木の根に足を取られ、盛大に顔から泥濘へと突っ込んだ。


「……っぷ!」


顔を上げれば、泥だらけの無様な少女が水たまりに映っている。

それは紛れもなく今の彼女の姿だった。


「この……この妾が……! この黄金のクーネルが、泥に塗れるとは……っ! あの小僧どもこのままでは済まさぬ……!」


屈辱に震えながら、再び歩き出す。

しかし、もはやそこに元四天王の威厳はない。

ただひたすらに当てもなく森を彷徨う、迷子の小娘がいるだけだった。


やがて太陽が西の空に傾き、森に夜の帳が下り始めると、新たな問題が彼女を襲った。


「さ……寒い……」


急激に気温が下がっていく。

ぶるり、と体が震えた。

一度震え始めるともう止まらない。歯の根がガチガチと鳴り、全身の動きが極端に鈍くなっていく。


(寒い……寒いぞ……! こんな感覚、何百年ぶりか……! 妾は恒温動物になったはずじゃなかったのか!?)


変温動物だった蛇としての習性が、この貧弱な体にも色濃く残っているらしい。

寒さでまともに思考もできなくなり、クーネルは大きな木の根元にうずくまった。

そして、その時。


ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~……。


静寂な森に、なんとも情けない音が響き渡った。


「……?」


何の音じゃ? どこぞの獣の腹の音か?

そう思ったのも束の間、再び、今度はもっとはっきりと、自分自身の腹のあたりから音が鳴った。


ぐうううううううううううううううううっ!


「~~~~~ッ!?」


顔がカッと熱くなる。

空腹。

これまで感じたことのない強烈な生命の危機。

腹の底から湧き上がる、何かを喰らえという本能的な欲求。

これが飢え……!


ふと視線の先に、赤黒い木の実がたわわに実っているのが見えた。

毒々しい色だ。見るからに不味そうだ。

だが、今の彼女にはそれが悪魔的なまでに魅力的に見えた。


(一つだけなら。ほんの少し、腹の足しにするだけなら……)


プライドが警鐘を鳴らす。

こんなものに手を出すなど、女王たる私の沽券に関わる、と。

しかし、腹の虫はそれ以上の音量で、早くしろと急き立てる。


ついにクーネルは屈した。

震える手をゆっくりと、その見るからに毒々しい木の実へと伸ばす。

元四天……いや、ただの腹ぺこの小娘が、そのプライドを完全にかなぐり捨てようとした、その時。


『待て、それは死ぬぞ』


脳裏に元四天王としての膨大な知識が、最後の警告を発した。

あの木の実は『マンプクモドキ』。

一口食べれば満腹感と苦しみ悶えて死に至るという、猛毒の果実だ。

死んでも生き返るとはいえ、毒で三日三晩苦しむのは嫌だ。


「…………」


伸ばした手は力なく地面に落ちた。

飢えと寒さと、そして絶対的な無力感。

クーネルの意識はゆっくりと暗闇に沈んでいった。

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