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リトルフォートビルの謎

 ともあれ、楠瀬は合意が成立した離婚の条件を詠に報告する。

 もっとも、詠は交渉の内容を監視していたらしいから、報告を受けなくても承知しているようだ。自席に戻ってダイフクの頭を撫でながらつまらなそうに聞いていた。

 楠瀬はふと疑問に思ったことを口にする。

「資料を見ていて気づいたのですが、タツミプロの登記上の本店所在地がリトルフォートビルになっていますよね」

「そのとおりだ。このビルのことだ」

「しかし、1階で案内板を見た時は、タツミプロの事務所はないようでしたが……」

「登記上の本店所在地と実際の事務所の場所は一致している必要はない。業種にもよるがな。そんなことくらい常識だろ」

「すると、このビルって……」

 ようやく私の思考に追いついたかとでも言いたげに詠が顔を上げた。

「お前が疑問に思っていることを当ててやろうか。駅前の一等地にあるきれいなビルなのになんで、テナントがうちの事務所しか入っていないのか? だろ? でもその答えはわかったんじゃないのか?」

「もしかしてこのビルは、バーチャルオフィス用のビルですか?」

「楠瀬センセー正解でーす!」

 まどかが自席からウィンクしてみせる。

 バーチャルオフィスとは、会社用の住所を貸し出すサービスのことだ。

 会社の住所はビジネスでは意外に重要な要素になる。銀座のような一等地に事務所を構えている会社は信用されやすい一方、住宅街に住所がある会社の信用度が劣ることは否めない。

 また、取締役も株主も一人だけといういわゆる「一人株式会社」の場合、自宅を事務所としていることも少なくない。しかし、自宅の住所を公開するのは様々なリスクがある。

 登記上の本店所在地と実際の本店の場所は一致している必要はないので、登記上の本店所在地の場所として住所だけ借りたいというニーズがあるのだ。

 タツミプロも登記上の本店所在地はリトルフォートビルだけど、実際の事務所は、荒河夫妻の自宅にでも置かれているのだろう。

「そして、このビルに本店を置いている会社の大半は、詠先生が会社設立手続きを行っているんですよ。詠先生の稼ぎの秘密が見えてきたんじゃないですか?」

 会社設立手続きは、大まかに

 1、会社の概要の決定

 2、定款の作成と認証

 3、資本金の払い込み

 4、会社設立登記

 という流れで進められる。

 詠の本業である行政書士は、「2、定款の作成と認証」を主に担う。定款の作成に当たっては、会社の概要の決定も必要だから、その段階からサポートができる。

 資本金の払い込みは会社の創設者である発起人が自分名義の銀行口座を用意して、資本金相当額を入金する。

 仕上げの会社設立登記は司法書士の職域だが、会社設立登記申請書以外の添付書類は行政書士が作成したもので良いので、これらをまとめて法務局に申請するだけだ。

 さらに──。

「このビルでバーチャルオフィスを経営しているのは……、もしかして、狭霧先生ですか?」

「大正解でーす! ついでに言うと、このビルを所有しているのも詠先生ですよ」

 まどかが両手を上げて、頭の上で大きな丸を作ってみせた。

 詠の場合は、会社の本店所在地を貸し出すバーチャルオフィスも経営している──。

 ということは、会社の住所を借りたいという問い合わせを受けた段階で、会社設立手続きの仕事にもつなげられるということだ。

 会社設立の仕事は、終わってしまえば、そこまでである。営業許認可が必要な業種なら、引き続き、行政書士が許可取得のための手続きを行うが、そうではない業種は、それ以降行政書士に何らかの仕事を頼むことはあまりない。

 ところが、詠の場合は設立した会社にバーチャルオフィスを使わせている限り、月々の費用を徴収できる。詠が何もしなくても安定した固定収入を得られるというわけだ。

「つまり、私たちの事務所はバーチャルオフィスを使いたいという人を集めるだけで、経営が安定するんです。バーチャルオフィスなら、数に制限がありませんしね」

 そう。商業登記では、一つの住所地に複数の会社が存在していても問題ない。商号だけは被っていてはいけないため、類似商号調査が必要になるが、それさえクリアすれば、無限に会社の本店を設置してもよいのだ。

「だから、私、いつも、思うんです。詠先生って女王アリだなって。女王アリのように、このリトルフォートビルに座っているだけでいいんですもの。あとは働きアリとなる会社を設立し続ければ、どんどん収入が増えますもんね」

「誰が女王アリだ! 言葉を慎め! まどか!」

 詠がまどかをじろりと睨む。

「はーい。あともう一つ付け加えますけど、このビルはバーチャルオフィスだけではないですからね。レンタルオフィス、レンタル会議室としても利用されているんです。それにクライアントの要望に応じてすぐに希望するレイアウトを用意できる体制を整えているんですよ」

「他にこのビルを管理するスタッフさんがいるんですか?」

「もちろんいますよ。普段は姿を見せないようにしていますけど、仕事する時は素早いんです。通称、黒子組と呼ばれています」

「黒子組ですか……」

 601号室が一瞬にして法律事務所に様変わりしたのはそういうからくりがあったからなのかと、楠瀬は今更ながら納得した。

「楠瀬先生。おわかりでしょ。詠先生とくっつけば将来安泰ですよ」

 まどかがいたずらっぽい笑みを浮かべてきた。

「えっ?」

 くっつくってどういうことかと楠瀬は思わず、詠に目を向ける。

 まさか、結婚しろという意味か──。さすがにそれは……。

 楠瀬が否定するよりも先に詠が目を吊り上げた。

「なんで私がこいつのことを養わないといけないんだ!」

この小説は、2025年5月に書籍化された「紫雲女子大学消費者センターの相談記録 初回500円の甘い罠(通称:シジョセン)」と同じ世界観の別の物語です。

出版社の特設サイトでは、私が書き下ろしたスピンオフ2本をお読みいただけます。

https://bunkyosha.com/contents/shijyosen

あわせてお楽しみください!


挿絵(By みてみん)

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