天羽法律事務所の面接
夕方、村正から夕食を奢ってくれというメッセージが来た。
貯金額が危機的な状況にある楠瀬としては、奢る余裕など本来ないが、後輩の頼みなら仕方ない。今日はヤツのことを負かしたし、あれからどうなったのか気になるので、会うことにした。
弁護士になれば、高級なレストランでディナーにありつける──なんて夢想したこともあったが、即独してみて、そんなことは夢のまた夢と分かった。
村正との会合場所には、駅前のハンバーガーショップを指定した。
期限切れ前の割引券が残っていたので、これを使って村正にも奢ればいいと思ったのだが……、流石にそれはひどすぎるだろうかと返信した後で思った。
だが、村正の答えは、
「うれしいっす! 俺はえびカツバーガーセットがいいっす!」
ザクザクと歯ごたえのあるえびカツとレタスがたっぷり挟まれたハンバーガー。それに、フライドポテトにコーラもついてくる。
ハンバーガーショップで落ち合い、えびカツバーガーセットのトレイを持った楠瀬と村正は、二階に空席を見つけて腰掛けた。
流石に弁護士がハンバーガーショップで夕食を取っているのはどうかと思ったので、楠瀬は、弁護士バッジを外してきた。村正はそんなことはとんと気にかけていないらしい。
弁護士バッジを付けたまま、
「うん。うめー」
とか言いながら、えびカツバーガーをかぶりついている。
もっとも、村正の場合は、パッと見た感じが成績ゼロの営業担当者もしくは、連敗中の就活生という感じで、弁護士バッジも偽物っぽく見えてしまうのだが──。
「それで、あの件はその後どうなったんだ?」
「仕事の話っすか? せっかくうまいもん食ってる時にやめてほしいっす」
「それもそうだな。すまない──」
「まあ、アイツの件なら、こっちから降りたっす。肝心なこと話してないとか、信頼関係が築けないじゃないっすか」
「降りたのか?」
「おかげで、うちの女ボスにたっぷり絞られたっす。コミュニケーション不足とか、めちゃめちゃ言われたっすよ」
「それは大変だったな──」
村正が所属する事務所は、天羽法律事務所という。消費者問題に力を入れている事務所だ。そうと知っているのは、楠瀬もこの事務所の採用面接を受けたからである。
消費者問題に力を入れているからには、消費者契約法、特定商取引法、割賦販売法等について質問されるだろうと考えて、実務書や判例集にも目を通してから面接に挑んだ。
採用面接をやってくれたのは、所長の天羽隆盛弁護士と採用担当の和泉陽花弁護士だ。
天羽所長はたぶん70代半ばだろう。面接時はほとんど質問せずにソファで気持ちよさそうに寝ているだけだった。
和泉が事あるごとに、「所長、ちゃんと聞いてます?」と、怪訝そうな目を向けていたのが印象に残っている。答えは決まって、
「聞いとるよ」
と生あくびをしながら返事するだけ。
今思えば、最初から、俺には関心がなかったということなのかと思う。
和泉は、いかにもキャリアウーマンという感じでキリッとしており、楠瀬と同世代だった。
面接では、ほぼ和泉が質問してきたのだが、楠瀬は的確に答えられたと思ったし、和泉の反応も良かった。
面接の最後には、和泉が微笑みをたたえながら、
「楠瀬先生。期待していますよ」
と、指先までスラッとした白い手を差し出してきた。
楠瀬は思わず握り返した。
これでようやく所属事務所が決まった。という手応えがあったのだ。
──しかし。
採用されたのは、村正。
しかも、村正の話によると、楠瀬がしっかりと答えられた質問に対して、
「知らないっす──」
と答えただけだというのだ。その他の質問に対しても、
「めんどくさいから適当に答えたっす。きっと俺は落ちてるっすよ。まあ、どうでもいいでいいっす」
こんな感じで、やる気のない態度で挑んだというのだ。
──やはり、大学時代に予備試験に合格しストレートで司法試験に合格したこと。そして、24歳という年齢がものを言ったのだろう。
30歳、しかも司法試験に4回も落ちているというどん底の成績では、採用は難しいのか──。
そう気付かされた楠瀬は、既存の法律事務所に就職することを諦め、即独の道を選んだのだった。