草薙長虫ナーガラージャ 後篇
初出:カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/822139837762690475
そう言えば、八岐大蛇もナーガラージャの八大龍王も、「八」という数字が一致するのは単なる偶然であろうか。何やら連関が髣髴しないでもない。先に言及した通り漫画『はるかなるレムリアより』では端正な美男子として描かれたナーガラージャも「臭蛇」であるのならば、時と場合によっては最後っ屁のような悪臭を放つのかも知れない。
また、同漫画の別のキャラクター、黒髪の好青年スカラベは甲虫神の化身である。おそらく古代エジプトの太陽神ケプリ(Khepri, ḫprj)に由来すると思われる。この神、漫画に具体的な言及は無かったようだが、実を言うとフンコロガシである。動物の糞を丸め、後ろ足で転がして行って餌などにするあの虫である。
何だか、ナーガラージャ以上にどうも臭いがきつそうに思われる。
古代エジプトでは、フンコロガシが糞玉を転がす様子を太陽の運行になぞらえたとされる。また、糞玉から幼虫が現れる様子が再生の象徴として、吉祥と捉えられたとも言われる。
糞にたかる虫を神に祀り上げるとは、古代エジプト人も実に奇特である。何でもフンコロガシのミイラや、フンコロガシをモティ-フにした装飾品などもさかんに作られたらしい。
なお、「スカラベ」という語はフランス語で、元をたどるとギリシャ語のスカラボス(σκάραβος, skarabos)に至るという。
糞便学とも言われるスカトロジーや、芳香成分スカトール(糞便などから分離される化合物)と、何やら音韻的に非常に似ている気がする。
そこで少し調べてみたところ、スカトロジーは、古代ギリシャ語で糞、排泄物を意味するスカトス(σκατός, skatos:属格)に由来 する“scato-”と、学問、研究を意味する接尾辞“-logy”とが結合したもの、スカトールは同様に有機化合物を意味する接尾辞“-ole”が付いたものらしい。
ただ、このスカトス(σκατός, skatos)とスカラボス(σκάραβος, skarabos)とは、音が似ているけれども、語源的な系統としては別物らしい。何でもスカラボス(σκάραβος, skarabos)の方は、由来不明で大本を尋ねると印欧語とは別系統の言語に行き当たる可能性もあるという……
どうにもいけない。今度はフンコロガシの神に致されたか、話があらぬ方向に転がって行ってしまった。
元の軌道に復帰しよう。
鰻は蛇の姿によく似た魚だが、この魚にも「なぎ」の音がある。もともとの古語は「むなぎ」であり、これは「胸黄」のことで胸のあたりが黄色掛かっていることから来ているなどと言われる。しかし、僕にはそれほど黄色いとも思えない。野生の鰻は養殖に比べると黄色味が目立つとされるが、それでも特筆するようなことではないように感じられる。むしろ「むなぎ」の「なぎ」は蛇を意味し、蛇によく似た魚をこのように呼んだものという説——異端の説らしいが――の方が興味深い。かかる説をさらに敷衍すると、穴子の「なご」についても「なが」「なぎ」と同系統であり、蛇を意味するとも言われる。
それから、古代中国では空にかかる七色の虹が、蛇や龍の一種と見なされた。雌雄があり、雄を虹、雌を蜺と称し、二つ合わせて虹蜺という熟語になる。この雌雄の概念は、虹が出る際に、鮮明な主虹の外側に薄ぼんやりとした副虹がしばしば伴われ二重に見えることに由来するらしい。主虹が虹、副虹が蜺というわけである。虹も蜺も虫偏であるのは、蛇の類であるという古人の意識を端的に表している。
ちなみに、僕が小学生の頃だったか、二重の虹を指さしながら「虹は虹か」と呟いた上級生がいた。このとき初めて僕は、虹が二重に見えることがあるという事実に気付いたのだが、以来、かかる天象を自ら秘かに「虹虹現象」と呼んでいる。今でも、虹が出ると必ず副虹を探し、見つけたならば、「虹は虹か」の警句を懐かしく唱えてしまう。かの上級生は、自分が口にした名言を今でも覚えているだろうか。十代の頃を最後にこの人とは会っていないので、今となっては聞くこともできない。
また、虹と言えば、子供の頃に耳で聞こえたなりに歌っていた“Gone The Rainbow”の「シューシューシューラーリーシューラーバクシャクシュラババクー……(Shule, shule, shule-a-roo, Shule-a-rak-shak, shule-a-ba-ba-coo)」という呪文のような歌詞を思い出す。何とも異国情緒あふれる曲と音韻とに執着し、意味も判らぬまま何度も繰返し歌ったものだが……
いかん。またながながと脱線が始まった。本流から逸れぬように、逸れぬように。
虹を蛇の同類と見る古代中国の概念が伝わったものだろうか、日本書紀にも両者を関連付ける記述がみられる。すなわち、卷第十四雄略紀三年の記事で「乃はち河上に虹の見ゆること蛇の如くして四五丈ばかりなり(乃於河上虹見如蛇四五丈者)」とある。
ここでは「虹」を「ぬじ」と読ませているが、万葉集の卷第十四の三四一四「伊香保ろの八尺の堰に立つ虹の顯ろまでもさ寢をさ寢てば(伊香保呂能夜左可能爲提尒多都努自能安良波路萬代母佐祢乎佐祢弖婆)」では「のじ(努自)」となっている。
上代においては「にじ」「ぬじ」「のじ」といった音韻のヴァリエーションがあったことが窺われる。
三省堂の『時代別国語大辞典 上代編』では見出し語「にじ【虹】」における解説に、諸民族において虹と蛇とが連想される傾向を述べつつ「琉球のことばに蛇をナギ・ナギリ・ナガという例があり、一方、虹をノーガ・ノーギリなどと呼んで、蛇と虹とを同一の語であらわしている。このナギ-ノガには、常陸風土記の人名『努賀毗古・努賀毗咩』も関係あるとして、蛇・虹をあらわす古語ノガの存在を推定する説もある」と記されている。
さらに印欧語の研究においては、ナーガ(नाग, Nāga)とスネーク(Snake)の関りを云々するものもあるようで、相関性の縄索はうねりながらよじれながら蜿蜒と延びていく。もちろん、中には強引なこじつけもあろうが、言語や文化の繋がり、それも地理と人の営みの歴史からなる因縁を思えば、どこまでもうねうねと果てしなく延伸し、到底尽きないものを感ずる。
どうもとりとめもない話をながながずるずると書いてしまった。ここらあたりで一旦おしまいにするがよかろう。
<続>
長虫に関し先般この随筆シリーズでも触れた茗荷と絡めて、このようなものを書いたことがあるので、よろしければご覧いただきたい。
「茗荷と長蟲」
https://kakuyomu.jp/works/16816452219790883809/episodes/16818093090990336318




