大蛇と龍
初出:カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818792438450532417
巳年に因んで『乙巳蛇話』をものすべしと宣言したはいいが、一向に筆は進まない。
前回の「干支の縁起物」を書いてからは、はや半年に垂んとしている。こんな怠惰なことではいけない。
洋暦(陽暦)上は、今日から八月の盆である。
ひね者の僕としては、本来の盆は和暦(太陰太陽暦)の七月中旬であって、それで見ると閏六月の今頃が盆である筈もない、七夕だってまだ来ていないではないかなどと一くさりの文句を言いかけたところで、吾乍ら己の狭量に嫌気がさした。
家人は、朝から迎団子や茶を供えて、線香をあげている。また、実家に電話したところ、妹がこれから迎盆の墓参に向かうところだという。
この時期、盆休暇で帰省中という人も多かろう。
かのごとく世間一般では、先祖や冥土の身内に対する追善の意識に満溢れる現下の時節に、僕だけが異を唱え、杓子定規な解釈を振回して反駁するのも却って罰当りなことになりそうである。
そう思って、家人が立てた線香の隣に僕も一本を追加して手を合わせ、鬼籍にある祖父母や父、弟のことなどを懐かしく思返した。
考うるに幼少期の僕は、亡き祖父母に育ててもらったといっても過言ではない。僕の母自身がそう話しており、僕の記憶としても間違いない。当時、店を営んでいた父母は糊口に忙しく、幼児の僕は隠居をしていた祖父母の手に専ら委ねられていたのである。
祖父はしばしば僕の手を引いて、あちこちへと散歩に歩き回った。そのルートの一つ、下り坂の傍らに、直径一・五メートル程の竪穴が草に覆われており、覗くと中に水が溜まっている場所があった。井戸の跡ででもあっただろうか? 或いは、天然の岩の窪地に水が湧出し溜まったものであったろうか? 水面は、肥柄杓——今となっては実物をご覧になった人も少なかろう――ほどの長さのものを持ってくれば、水が汲まれる位のところにあったが、その深さはどれ程か計り知れず、何でも黒々としていた記憶がある。ただ、決してその水が濁っていたという印象でなく、おそらくは草や岩壁に覆われ光が届かぬ蔭の色合いであったものだろう。
祖父から聞いたものかどうか、僕はそこには「だいじゃ(大蛇)」が住んでいると思っていた。そうして、そこを祖父と一緒に通るたびに「だいじゃ(大蛇)」のことが頭をよぎって、非常に魅かれつつも、何やら空恐ろしいような気持にもなったものである。
その当時、僕が「だいじゃ(大蛇)」という語彙のイメージとして頭に描いていたのは龍の姿であった。もとより、祖父母が口にする「だいじゃ(大蛇)」とは、しばしば龍のことであった。だんだん長じてくるに従って、世間一般では、「大蛇」と「龍」とがかなり明確に区別して語られていることをはっきりと認識するようになったが、幼少期の僕において、祖父母との会話の中では、この弁別があいまいで、言葉としては専ら「だいじゃ(大蛇)」のみが用いられ、「龍」という語をこの三人の身内の間で口にしたことも耳にしたことも記憶に無い。
「大蛇」と「龍」という二つの言葉の弁別或いは不分明、特に、祖父母の語彙における不分明に関する気付きについては、僕はそれから何十年も意識の底に持っていた。この世間一般との用語法の乖離はどうも妙だと感じつつも、世代的なものかとも薄仄りと思い乍ら――地域的なものである可能性も勿論あったのだが、祖父と祖母とはそれぞれ出自が高知と新潟で遠く離れていたため、僕の頭の中では地域的特性は始めから排除していた――特に調べてみるわけでもなく、ずっと放っておいた。
このことについて、先日ふとAI——吝嗇な僕としては勿論無料版——に相談してみようと思い立った。
そこでまずはCopilotに聞いてみた。すると「日本語において『竜(龍)』と『大蛇』は本来異なる存在ですが、民間伝承や神話の文脈ではしばしば混同されたり、同一視されたりすることがあります」と返してきたものの、どうも物足りない。何となれば、典拠となるべき情報ソースがブログなどであり、学術的な信憑性に乏しい。そこで、信頼できる根拠の提示を要求してみたが、芳しい答えぶりではない。
次にChatGPTに聞いたところ、「現時点で『龍 (りゅう)』と『大蛇 (だいじゃ)』をあまり区別せずに呼ぶ方言・世代的慣習について、明確な辞書・文献による言及は極めて限られています」といきなり覚束ない回答。「ただし、説経節など伝承・民話の文脈で『大蛇』と言いながら、挿絵や描写が龍そのもの(角や鱗を持つ姿)である事例が見られ、そうした領域では両者が明確に区別されていない例があると言えます」とある。こちらも典拠はブログなどが多い。
Geminiについても、前二者と大同小異というか、寧ろ、それよりやや劣る。
しかし、Grokに聞いてみると前三者とはかなり異なった対応だった。
冒頭から「龍と大蛇の違いを明確に区別せず、龍を大蛇と呼ぶ現象について、日本における地域的・世代的特色やその歴史的変遷を、条件に基づき正確かつ具体的に回答します」と返してきたので刮目した。そして、『古事記』『日本書紀』、葛飾北斎『和漢繪本魁』、柳田國男『妖怪談義』といった古典のほか、『日本国語大辞典』『方言辞典』などの辞書、複数の研究論文を始め、新書などの各種書籍や、水木しげる『日本妖怪大全』、漫画『ドラゴンボール』に至るまで、硬軟取り合わせた様々な典拠を引合いに述べ始めたので、大いに首肯し乍ら読み進んだ。しかし、改めてよくよくソースを確認すると、多くのところは中国の情報サイト『知乎』における「中、日、西方龍文化考究(一):日本〝竜文化〟研究」なる記事などから引いてきているのが判明した。所詮はそれらからの孫引きであり、一次史料(資料)を僕自らが再検証したわけではないので確証は持てない。ただ、四つのAI(無料版)の回答を横並びに比較するにおいて、一見するところ最も信頼できるような雰囲気を、見た目として具備しているのはGrokであった。まあ、これはGrokの手柄というより、『知乎』など、元となった記事の手柄なのかも知れぬが。
いずれにせよ、僕がうすうす思っていた通り、近代以前において、「大蛇」と「龍」とがあまり意識的に弁別されてこなかったことは間違いないらしい。この二つを明確に区別して語るようになったのは、おそらく戦後の現象であろう。
ところで、この一週間ほど、日本列島には蛇のような前線が横たわり、僕の郷里の九州を含め各地に大きな水害をもたらした。現代の天気図における前線の姿をイメージしたものではまさかあるまいが、古来、日本を含めアジア各地では、蛇形、龍形の神が降雨止雨を司っているとされてきた。インドや東南アジアにおける「नाग(那伽)」「Nāga」、中国における「雨師」「應龍」「蛟龍」、日本における「高龗神」「闇龗神」など。
これらの信仰の関連性については、恐らくはインドが最も早く、各地に伝搬して行ったものと考えられるが、それぞれの地域の環境特性や、そこに居住する人々の歴史や文化に根差した価値観や好みといった種々の事情に従って、改変や肉付けなどが大いに施されたであろうことは想像に難くない。
Grokに質問したところ、次のような結論が提示された。
・相関性:那伽、雨師、應龍、蛟龍、高龗神、闇龗神は、水と雨を司る蛇形・龍形の神として共通の役割を持ち、農業社会のニーズや水の両義性(恵みと災害)を反映しています。
・思想伝搬:インドのナーガ信仰が仏教や交易を通じて東南アジアと中国に伝わり、中国の龍信仰が日本に導入され、神仏習合を通じて高龗神や闇龗神に結びついた。貴船神社の雨乞い儀式や八大龍王の信仰は、この伝播の具体例です。
・独自性:地域ごとの自然環境(河川、モンスーン)や文化的背景(仏教、神道、道教)により、蛇や龍の神話は独自に発展した。特に日本のヤマタノオロチや高龗神は、土着の水神信仰と外来の龍信仰が融合した結果と考えられます。
・出典の限界:一部の伝説(例:ヤマタノオロチの土着起源)は一次史料が少なく、推論に依存します。これらの場合は、地域の自然環境や考古学的証拠(例:弥生時代の龍形埴輪)に基づく仮説として扱いました。
なるほど、最近のAIは実にもっともらしいことを語るようになったものである。
このお盆には祖霊はもとより、龍神、蛇神にもお願いして、安寧なる日々を祈りたい。
<続>