干支の縁起物
十二支の動物と言えばめでたく縁起が良いものというのが通り相場であろうが、その中で、忌まれる傾向のものがあるとすれば、今年の巳が筆頭になろう。何せ、蛇なのだから。
なぜ蛇が人から忌まれやすいかと言えば、なぜ百足がかく厭わるるかという命題にも通じるように思われる。
まあ、直感的に思い当たる第一は、人に害を及ぼすべき毒の存在であろう。もっとも、百足はいざ知らず、蛇には毒を全く有しないものもあり、むしろ、日本では無毒の蛇の方が種としても生息数としても多いわけだけれども、蛇というだけで嫌われることが一般である。これは、手足が無く細長い見た目やにょろにょろとした動きの醜怪さというものが第二の理由となろう。
なぜ、蛇の姿を悍ましいと感じる人が多いかについては、心理学、脳科学、認知神経学などを詳しく紐解くべきであろうけれども、ここではそこまで探求しない。
蛇は人から忌まれやすいという事実のみを押さえておけば充分である。
ところで「巳年」のことを「蛇年」と言いたがる人がいる。僕は、一般の人よりも蛇に対する嫌悪感は随分薄く、ニシキヘビの顔などは眺めていて実に可愛らしいと思うような質ではあるけれども、「蛇年」という言い方は断然好まない。何と言っても、十二支らしいめでたさがこの音には欠けており、頗る嫌いと言ってもいい。「ヘビドシ、ヘビドシ」と口にするだに何とも粗野で生々しく、腥ささえ纏わりついているようである。どうも気に食わない。せっかく「巳年」という典雅な言い方があるので、どうかよろしくこちらを用いたいものである。
さて、日本で干支が話題になるのは、大体正月近辺であり、その頃になると神社や寺では、十二支の動物を描いたりその姿を模したりした縁起物があれこれと出回ってくる。絵馬やお守り、土人形、土鈴など。干支みくじというものもある。
近年の傾向で、それらはどれも可愛らしくデザインされたものが多いが、既述のごとく蛇は忌まれやすいということもあるからだろう、SNSなどを見てみると、今年の縁起物は例年と比べても、ことに一層愛らしくデフォルメされたものが多く出回っている気がする。
そういう画像を家人と見ていて、初詣の折には、巳の縁起物を是非とも何か一つお授けいただこうと頷き合った。ただ、いささか罰当たりな話であるが、初穂料を調べてみると、諸式高騰の折からなかなかに立派なお値段が示されているものが多い。まあ、僕ら二人組にしてみれば、干支みくじ程度が手頃であろうかと話していた。
そうして、実際年が改まり、幾つかの寺社に詣でたわけだけれども、どこにも巳の干支みくじが置かれていないのである。ある神社では、拝殿に至る参道の脇に、大きな立て看板が出ていて、数々の縁起物の写真の一つに理想的な愛らしさの巳のおみくじのサンプル画像を発見し、二人組は顔を見合わせにんまり微笑んで、心もめでたく柏手も高らかに響かせたものだが、参拝後に社務所に行ってみると、干支みくじは既に全てが頒布され尽し残っていない旨が記されていた。
仕方がない。
そこで今度はwebを検索して干支みくじを授けていただける神社が比較的近隣にないかを調べたが、なかなか見つからない。ようやく候補となるお宮を探り当て、SNS上で当該神社のプロフィール画面から確認したりして、これは間違いなさそうだと思われたため、わざわざ電車を乗り継いで一時間ほどかけて参詣したのだが、社務所に行ってみるとここでも全ての頒布が終わってしまっているとのことであった。
万事休す!
慥かに、もはや二月も半ばに差し掛かろうとする時期であったので、仕方あるまい。
かくして二人組はとぼとぼと帰路に就いたのだが、乗り換えの駅で、ふとこの駅の近くにも神社があり、何年か前に参拝したことがあるのを思い出した。せっかくのご縁だからということで改札を出て当社をお訪ねし、お末社を含めて敬礼を済ませ社務所を覗いてみると、何とあるではないか。
白い巳の干支みくじ然たるものが一つだけ、各種のお守りが並んだ中にちょこんと座って――蛇が座ると表現するのも妙な具合ではあるが――いらっしゃる。しかも、こちらを向いてにっこりと頰笑みかけていらっしゃるではないか!
目敏い僕が見逃す筈もなかった。
前のめりになって訊ねてみると、それは土鈴であり、干支みくじではなかった。しかも残念なことに、見本として置かれていたものであって、頒布用のものはここでも既に払底しているとのこと。
またしても――
しかし、その心中の落胆の色が、僕らの顔に如実に現れでもしたのだろうか、もし、この見本でよければ、容れ物の箱はもうありませんが差し上げましょうとおっしゃる。慌てて初穂料をお納めしようとしたのだが、いえいえ結構です、差し上げますと、莞爾たるご様子の儘お受け取りにならない。
何とめでたや、ありがたや! かようなる僥倖があったものである。
これこそ天祐神助ではないか!
二人組はさっそく改めて拝殿に足を運ぶと、然るべき賽銭を重ねてお納め奉り、開手もめでたく打合せ再拝の頭を深く垂れたものである。
今年は新年早々なかなかに思い通りにならぬと心中ひそかに嘆いていたが、結果としては、こいつは春から縁起が良いわえという次第となった。
件の白巳様は、今まさに吾が家の神棚に鎮座ましまし可愛らしい笑みを湛えていらっしゃる。
めでたい、めでたい、ありがたや、ありがたや――
<続>