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第1話 迷いの家①

迷家(まよいが)』とは──────


古い伝承にある幻の家。訪れた者に富や名声をもたらすという。

そこから何でも持ち出せるが、辿り着けるのは道に迷う者のみ。


──ただし、誰もがその恩恵に(あずか)るとは限らない。







ある男がいた。


28歳の男性で、名を『蓮宮(はすみや)(あかり)』という。

安アパートの一室に住み、現在は高熱で寝込んでいた。

「事故物件なんてやめておけばよかった。財布は盗まれ、派遣も切られて。犬にも噛まれた。次の仕事を探さないといけないのに、熱出して寝込むし──」


極端に狭くて殺風景なこの空間は、まさにウサギ小屋だ。

所詮は寝に帰るだけだからと普段は気にも留めなかった。


だが、今日は妙に重々しく息苦しいように感じてしまう。

汗を含んだ万年床も、ずっしりと重くのしかかってくるようだ。

「それもこれも、この事故物件のせいだ。引っ越してから碌なことがない。ここには絶対何かいる。取り憑くなら金持ってる奴にしてくれよ……」


木造二階建てのアパート『千影館(ちかげかん)』──


築50年・全12戸・畳の四畳半・共用トイレ・風呂なし。

近所にコインランドリーはあるが、銭湯は一軒もない。

引き違い窓から見えるのは隣の壁。日当たりは間違いなく最悪だ。


部屋は所謂(いわゆる)事故物件で、家賃が月1万円という掘り出し物。

お金のない彼にとっては、まさに渡りに船と言えた。


──だが、引っ越してからは、まるで計られたように不幸続きだった。

「クソォ、引越し中に、犬のフンを踏んだところで気付くべきだった。まさか、近所で『幽霊屋敷』とか呼ばれているなんて知らないし──」


じわりと視界が(にじ)む。

「小さい時は良かったなぁ。中学ぐらいまではよく女の子に間違われて、嫌で嫌で仕方がなかったけど。今にして思えば、あの頃が一番モテてた気がする。というか、それ以降、モテた記憶もないけど。ああ、あの頃に戻りたい。タイムリープしてやり直したい──」


目の端から(あふ)れていくのを、もう止めることはできなかった。

「俺はここで死んじゃうんだ……。嫌だぁ……、俺だって本当は誰かに──。ゴホッ! ブホッ! な、なんだ? なんか煙い──」


扉の隙間から、次々と黒い煙が入り込んできている。

「え? 火事? 嘘でしょ⁉︎ 本当に⁉︎ 火事⁉︎ もうこれ、完全に呪われ──。ゴホッ! ゲホッ! 嫌だっ、こんな死に方──っ‼︎」


記憶はそこで途切れた──







──見知らぬ部屋だった。


ベッドで目を覚ました時、奇妙な感覚の中にあった。

安心感と違和感の混在したような──


真っ白い壁。焦茶色の腰壁。アンティークの家具。

統一された色合いは、自然に荘厳(そうごん)(おもむき)を意識させた。

少々古風な建築様式だが、さぞ高級な洋館なのだろう。


外に目をやると、階下に緑豊かな森林が広がっている。

だが、古びた()()()()()は固く、少しも動かなかった。

「ここはどこだ? たしか、熱で寝込んでいたような──」


──だが、結局、この洋館へと至る記憶は存在しない。


それどころか、最後の記憶はそのまま死亡したとすら思える内容だ。

「つまり、ここは天国とか極楽とか。そういう()()ってこと……?」


机の上には、古びた革装丁(そうてい)の洋書らしきものが一冊のみ。

不可思議な文字が刻まれており、タイトルすらも判読できない。

パラパラと捲ると、どの(ページ)にも絵本のような大きな絵が描かれていた。

内容は判然としないが、どうやら()()()()()の物語のようだ。


アンティークのクローゼットには、いくつかの洋服がかかっている。

引き出しには、綺麗に畳まれた下着や靴下、ハンカチなどがあった。

どれも落ち着いた色合いの物ばかりで、クラシカルな西洋を思わせる。


ざっと室内を物色してみても、ひとつとして覚えがない。

結局、何の手掛かりもなかった。


──ふと、とある物が目に入った。


壁にかけられた大きな姿見。

そこに自身の全身が映っていた。

「なんで? これはどういう──」


鏡の中にいたのは自分。

ただし、女の子と間違われていた頃の、だ。

およそ12〜14歳で、襟足の長い髪はしっとりサラサラ。前髪はパッツン。

記憶にある髪型だが、ここまで中性的だったのは一体誰の趣味か。


服装も、ダークグレーのスラックスにベストというフォーマルな装い。

まるでピアノの発表会にでも行ってきたようだ。


目の前の状況は、あまりにも現実離れし過ぎていた。

「なんだこれ、意味が分からない……」


肉体が若返ったのか、タイムリープしたのか。それともやはり夢か天国か。

ただ鏡を呆然と見ていても、答えが出るわけもない。


まずは状況確認の為、屋敷の探索を始めるとする──







廊下へと出る。


部屋の外もアンティークな西洋様式だった。

だが、すぐさまその異様さに気付く。

「なんだこれ……」


廊下は左右のどちらにも続いている。──遥か先まで端が見えないほどに。

果てしなく続く廊下、果てしなく続いていく無数の扉。

まるで鏡仕掛けのトリックアートでも見ている気分だ。


──その瞬間、ハッと気付く。


目の前の光景は、何の変哲もない廊下に変わっていた。

それこそ一瞬の瞬きの間に、無限の廊下は消えてしまった。

「幻覚……? 何が何だか分からない。ここは一体どこなんだ?」


廊下を抜けると、吹き抜けのエントランスホールに出る。

だが、玄関扉はぴくりとも動かない。


他の部屋の窓なども確認してみたが、なぜだか同様に開けられなかった。

「固い──。いや、そもそも開かないように出来ている、そんな感じだ」


──その時、エントランスホールで音がする。

「誰か来た。まさか家主じゃ……。まずいぞ。こんなところ見つかったら洒落にならない。どうしよう、どこかに隠れるところは──」


二階の廊下から、吹き抜けのエントランスホールをこっそり覗く。


そこにいたのは、随分と薄汚れた格好の男性であった。

服装は古風な西洋様式で、随分と時代錯誤な格好に思えた。

辺りをキョロキョロと見渡している。──確実に家主ではない。


勇気を出して話しかけることにする。

「あの! すみません!」


だが、聞こえていないのか何の応答もない。

そうしている間に、彼は屋敷の奥に部屋へと進んでいってしまう。

「あの! 貴方もここに迷い込ん──、って聞こえていない……?」


だが、彼は意味不明な言葉を叫び、慌てて屋敷の外まで逃げていった。

「なんだ? どうして──、あ!」


そこは応接室だった。

テーブルには、湯気の立ったティーカップが置いてある。

「誰かいるのか? いや、屋敷内は全部見たけど誰も──」


不思議なことに、それはいつの間にか消えていた。


結局、屋敷から出られないまま、時間は過ぎていく。

その代わり、考える時間だけはあった。──膨大に、もしくは無限に。

「腹が減らない。眠くもならない。一体何なんだここは──」


そうして呆然とする間も、屋敷には様々なヒトが訪れた。

だが、それはいつも違うヒトで、しかも皆同じように逃げていった。

「あの! もしもし! すみません! ──あ、待って!」


中には、満身創痍でそのまま動かなくなってしまうヒトもいた。

恐ろしくなって遠巻きに見ていたが、いつの間にか居なくなっていた。


その間、訪れるヒトに何度も呼び掛けた。

時には目の前で話しかけてもみた。

そして、思い切って触れようともした。


──だが、誰ひとり応えてはくれなかった。

「ははは。そうか、そういうことか──。見えていないんだ。誰も俺のことが見えていない、きっと最初からずっと。触れることもできないんじゃ──、こんなのまるで幽霊じゃないか」







目覚めた部屋に置いてあった例の洋書。


ずっと気になっていた。

難解な言語であったが、なぜだかこれが重要なものに思えた。

しかも、不思議なことに()()()()()()読めるようになっていた。


本のタイトルは『迷いの家』──


物語は、全焼した幽霊屋敷が異なる世界へ旅立つというものだ。

幽霊屋敷には想いがあり、その為に『迷いの家』へと生まれ変わる。


訪れた者は、何でも持ち帰ることができる。

それにより、富や名声といった恩恵に(あずか)れるという。

「やっぱりこれ『迷家(まよいが)』のことだな。たしか東北あたりの伝承で──。そうか、この本は──。要は、これはこの屋敷のことだ。この屋敷こそが迷家で、あの幽霊屋敷の生まれ変わりなんだ」


ただ読むことはできるものの、すべてが理解できるわけではなかった。

「『夢幻の座より流れるのを、無限の器に収め──』。うーん、よく分からん。たしか迷家の伝承では、穀物が無限湧きするお椀か何かで、裕福になった話があったはずだけど──。そのお椀がこの無限の器ってことかな」


また、そこには明らかにおかしなことも書かれていた。

「それにしても、冒頭の『炎に包まれた時、幸い屋敷は無人だった』って、これはどういう意味なんだ? ──俺は焼死したんじゃないのか?」


だが、それ以上の手掛かりは得られなかった。

この場所で、ただ無意に時間を過ごす。──それ以外にやりようもない。


大抵の時間は読書をして過ごす。幸い、本だけはたくさんあった。

見知らぬ世界の物語は、暇つぶしにも現実逃避にも丁度良かった。


来訪者が来ると、見えないのを良いことに傍でじっと観察する。

いつの間にか、彼らの言葉も理解できるようになっていた。

だが、どうでもいい独り言か、叫び声ばかりで大した暇つぶしにもならない。


無様に逃げ出す来訪者を見て、手を叩いて大袈裟に笑ってみたりした。

次の来訪者が男か女か、逃げるか逃げないか。──そんな暇つぶしをした。

だが、それも割とすぐに飽きた。


自分はここにいるのに、現実のながれには何ら影響を与えない。

いてもいなくてもいい。所詮、どうでもいい存在。


あまりにも暇過ぎて、どんな来訪者が来たかをひたすら記録した──


約30代の貧困男性。何も取らずにすぐ逃亡。

約20代の裕福男性。何も取らずにすぐ逃亡。

約10代の貧困少年。食料品を取るが、食堂で倒れて消失。

 :

 :

約30代の貧困女性。何も取らず、応接室で倒れて消失。

約30代の貧困男性。燭台を盗んですぐ逃亡。

 :

 :

約20代の兵士男性。何も取らず、少し休んで逃亡。

約20代の兵士男性。何も取らずに、玄関ですぐ倒れて消失。

約40代の貧困男性。何も取らずにすぐ逃亡──。


そんな風に何冊ものノートを埋め尽くしていく。

それにどんな意味があるのか分からない。

けれど、他にやることもなかった。


いつしか思考は薄暗い沼に蝕まれていく。

記録は続けても、ヒトというもの自体の興味は失せていた。


目を覚ましたのは、一体何日前のことであったか。

それとも何週間前か──


いや、何ヶ月──


それとも何年──


何十年──


何百年──


長い長い年月が過ぎていった。


──そんなある日、とある少女が迷家を訪れる。

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