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04:犬じゃない件(side)

 ジョシュアはレティシアを犬小屋、ならぬ執務室に併設された仮眠室に案内した後、急ぎアレクシスを訪ねた。

 そして苛立ちを抑えきれず捲し立てるようにあの件を詰め寄った。


「どういうことか、きちんと説明してもらおうか?」

「ん? 何のこと?」


 ここはアレクシスの私室。陽はとうに沈み、あたりは静まり返っていた。しかし仕事は山積みである。諸事情により王弟の仕事までもをアレクシスが処理しなければならないからだ。


 本当ならば、労りはすれど文句を言いたくはない。けれど飄々とした態度で返されてしまったものだから、込み上げるものを抑え込むことなどできなかった。


「しらばっくれるな。レティシア・ウォード辺境伯令嬢のことだ」


 ソファーに座るペット、ならぬレティシアを思い出す。


 さすが王弟の元婚約者だけあって、物静かにソファーに座るレティシアの洗練された佇まいは、かつて薔薇姫と呼ばれアレクシスの婚約者候補と噂のあった令嬢を彷彿させ、見惚れてしまいそうになるほど見事なものだった。


 しかし、ジョシュアにとってはそれどころではない。弟のような存在であるアシェルとの婚約を解消された直後だと聞いていたものだからーーもちろん理由はそれだけではないのだけれどーーなんと声をかけたら良いのか分からなくて、ただ時間だけが過ぎていった。

 

 その沈黙を打ち破ったのは予想だにしなかった一言。「ご主人さま」という言葉だった。


 意味が分からない。ペットになることを甘んじて受け入れていることもそうだけれど、どうしてそのような呼び方に行き着いたのか理解に苦しんだ。


 さらに奇行は続く。犬小屋だ、野宿だ、貴族令嬢らしからぬ言葉が次から次へと聞こえてきたではないか。


(全く違うじゃないか……)


 犬どころか貴族令嬢でもない。彼女に重ねていたものとは明らかに違う存在なんだと、ジョシュアはようやく実感することができた。


「ああ、そのことね。だって、犬を飼いたいって言っていただろう。日頃の感謝の気持ちを込めたサプライズ! 嬉しすぎて泣けただろう?」


 あの時のお前の顔ときたら、とアレクシスはお腹を抱えて笑う。


 この男のペースに飲み込まれたら負けだと、再び込み上げてきたものを今度こそはぐっと抑え込み反論する。


「泣けるわけがないだろう。確かに犬は飼いたい、心底飼いたかった。でも私は動物アレルギーだ。だから諦めていた」

「うん、うん。犬が飼いたいのにどうして僕は犬を飼っちゃだめなんだって泣いていたよね」

「泣いてないっ、くそっ、お前がペットを飼わないかって聞いてきた時に、いつもの戯言だと思うだけでなく、もっと疑うべきだった」

「私がいつ戯言を吐いたっていうんだい? 私はいつだって本気だよ?」

「ぐっ……」


 その通りだからぐうの音も出ない。だからこそ、一縷の希望でもあった。



ーーアレルギーが絶対に発症しないペットを飼わないかい? ほら、前に外を見ていた時に、「いいなあ」って言ってただろう? 時々キャンキャン吠えるけど、ジョシュアなら上手く躾けられるだろうしーー



 数日前に、アレクシスから提案された言葉を思い出す。


 アレルギーの発症しない動物なんているはずがないというのがジョシュアの経験則だった。ましてや、あの黒いもふもふと似たような動物のことを言っているのならなおさらだ。


 けれどアレクシスの提案だからこそ、期待してしまった。期待して、期待して、落とされた。


(あんな風に言われたら誰だってクロのことだと思うに決まってるだろ! それがまさか飼い主の方だなんて、一体誰が思うかっ!)


 前に外を見ていた時と言われ、自身の執務室から外を見ていた時のことだとすぐに理解できた。


 そこにはレティシアの侍女が管理する薬草園があり、その薬草園ではレティシアの侍女のほか、レティシアとクロの姿を見かけることが多々あった。


 それは忙しい毎日の中でのささやかな癒やしの時間でもあった。


 美少女と黒いもふもふが戯れる光景に、ではない。純粋にクロに対して癒しを感じていた。「いいなあ」と言ったのも、クロと遊べることを「いいなあ」と言ったのだ。


 ジョシュアは犬が好きだったが、自身が動物アレルギーだと知り、犬を含めた動物に近づくことができなかった。馬でもアレルギーが発症したため、騎士の道ではなく文官の道を志した。


 けれど、もふりたくなるようなあの毛並みを目にしてしまったら、戯れないわけにはいかない。


 レティシアがいないと事前に知った日には、アレルギーが発症しないように特注のスーツを着てクロに近づこうと挑戦した。


 もしかしたらクロならアレルギーが発症しないかもしれないとも頭を過ったものの、仮に発症してしまった時のことを考えると、リスクが高すぎて挑戦することなどできなかった。


 そして本日、待ちに待ったアレルギーの発症しないペットと対面できるという記念すべき日が訪れた。


 対面直前までかかる所要を押し付けられ、急ぎ要件をすませ、はやる心を抑えながら帰城した。


 いざ対面となると年甲斐もなくワクワクしてしまい、そのまま勢いよく執務室のドアを開けた。そしたら開けてびっくり 。


(犬じゃないっ!!)


 犬がいると思って執務室に入ったら犬じゃない。


 その衝撃で、ドアを叩いてしまったのは仕方がないことだと思ってほしい。


 アレルギーが絶対に発症しないペット=レティシアだと誰が予想できただろうか。


 そしてジョシュアにとって、さらに予想外のことが起きる。


「ご主人さまって、お前がそう呼ぶように言ったのか?」


 ジョシュアの言葉にアレクシスの目が点になる。


「まさかレティにご主人さまって呼ばれたの!?」


 眉根を寄せながら黙って首肯する。


「私のせいじゃないからね。それがレティの本性だよ。おもしろいでしょ」


 にこりと笑って、これからが楽しみなんだけど、と小さく呟いた。


 もちろんアレクシスの指示ではない。ご主人さまになるジョシュアだとは紹介したけれど、ご主人さまと呼べとは言っていないのだから。


 全ては、公爵閣下と呼ばれた時に上の空で聞いていなかったジョシュアが悪いのだけれど、当の本人はもちろん気付くことはない。


「あの顔で、反則なんだよ……」

「え、なんかごめん。少しだけ心中察するよ」


 とはいえ、レティシアがジョシュアの名前も地位もあの噂も知らないわけがない。そのジョシュアに向かってご主人さまと呼ぶ度胸もそうだけど、ジョシュアを困惑させるほどのことをやってのけたレティシアに、これからを期待してしまう。


「分かった、そのことはもういい。けれど泊まる部屋はどうするつもりだったんだ?」

「泊まる部屋? それならエヴァにお願いしてたよ。え、なんで? レティのことだから、エヴァに泣きつくかと思ってたんだけど? それで、どうしたの?」


 不安そうに首を傾げる。その様は、本気で心配してのことだと分かった。


 エヴァとはレティシアの侍女のことで、レティシアにとって姉のような存在の女性だ。だから必然的に困ったら彼女を頼るだろうと信じ込んでいた。それなのに頼っていなかったという事実は、アレクシスにとって誤算だった。


「部屋はこちらで用意したから心配はいらない。ただ必要なものは手配してほしい」

「分かった。エヴァに伝えておく。……けど、いやだなぁ」


 エヴァに怒られる、と一国の王は項垂れる。


「それで部屋はどこを手配したの?」

「仮眠室に泊まってもらうことにした」

「あぁ、ジョシュアは仮眠室には泊まらないもんな。あそこなら心配いらないな。あれ? でもあそこにはお前の大切な……」

「あ!」


 アレクシスから指摘され、ジョシュアは失敗したと思うも、すぐに仕方がないと諦める。


(あの様子ならあれを見ても受け入れてくれるだろうし問題ないはずだ)


 その考えがある意味正解で、大きな間違いだったことに、ジョシュアは後で知ることになる。


「それより、どうして私なんだ? もっと面倒見がよくて優しい適任者はいるだろ?」

「ジョシュアへのプレゼントだって! 癒しが必要だろうと思ってね。それにいろんな意味で一番安心だし」

「いろんな意味でって、含みのある言い方だな」

「大切な女性を預かっているからね。あのとおりレティは可愛いし素直だ。変な男に手を出されたら困るからね。ちなみに他に候補に上がったのはブレイク男爵だけど、ねえ……」


 もちろんブレイク男爵のあの噂を二人が知らないわけがない。それどころかよく知っている。アレクシスもジョシュアも苦笑いを浮かべた。


「それにしても、アシェルのこと聞いたぞ。婚約解消をわざわざ宣言するなんて、そんな茶番をする必要なんてあったのか?」

「アシェルなりのケジメだろ。それにジョシュアがそれを言える立場ではないよね?」

「……」


 ジョシュアが婚約破棄を宣言したことは有名な話。自らの言葉がブーメランとなって返ってきたことでそれ以上返す言葉がなかった。


「過ぎたことをとやかくは言いたくないけど、あの時、当事者として私にも一言相談して欲しかったよ」

「……あの時は、あれが一番最善だったんだ。今でも後悔はない」

「ああ、そのおかげで何とかなったのも正直なところだから今は感謝してる。そもそも私がもっとしっかりしていれば良かったんだ」

「お前のせいではないし、アシェルのせいでもない」


 先代王と王妃がいなくなり、アレクシスが即位して間もない頃にそれは起きた。


 ある人物に唆されたアシェルが、王が代々受け継いできた契約の証でもある大切な指輪を持ち出してしまうという事件が起きた。


 途中で阻止することができたものの、王弟を唆し代々伝わる指輪を持ち出そうとした行為は反逆行為であり、一族もろとも極刑に処されてもおかしくはなかった。


 この事件を知る者は数人だけ。そのおかげでジョシュアが婚約破棄を宣言し、少し画策しただけでなんとかうまく収めることができたのが、ジョシュア婚約破棄事件の真相だった。


「あれからまもなく10年か。アシェルにはどこま伝えているんだ?」

「全部は伝えてないかな。私で終わりにするし、知る必要はないからね」

「本当にうまくいくのか?」

「さあな。でもそういう契約だから首を縦に振るしかないでしょ。まあ、納得はできないだろうから、それがどう転ぶかだね」

「あの提案に乗ってはだめなのか? 宰相としての立場で言わせてもらえば、お前とアシェルの安全が一番だ」

「それだけは絶対に許さないからな」


 ジョシュアの提案にアレクシスは酷く低い声で反論する。


 あの日、先代王と王妃が姿を消した日。あの日から10年後が、アレクシスが契約相手に指定された期限だった。その日までに契約を履行すること。さもなければ先代王と同じ道を辿ることになる。


 今のアレクシスには、その契約を履行することができるのだけれど、アレクシスにその選択肢はなかった。


「それにさ、そんなことをしたら父と母の死が意味のないものになってしまうだろう。なーに、大丈夫だって! うまくいくさ!」

「あまり一人で背負い込むなよ。お前がアシェルを大切なように、アシェルにとってもお前だけが唯一の家族なんだから。……そういえばアシェルはどこに行ったんだ? 出発はまだだよな?」

「あぁ、あの婚約解消宣言にご立腹な彼に連れられて、あの後すぐに反省部屋行きだよ」

「それはそれは、ご愁傷さまだな」


 遠い目をするジョシュアには何か感じるものがあるらしい。






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