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02:ペットに任命されました

「そういうことだから、レティには犬になってもらおうと思ってるんだ」

「…………えっ?」


 突拍子のない提案に耳を疑った。聞き間違えたのか、ショックで頭がおかしくなったのか、それとも冗談か。


 目の前のソファーに優雅に座る美丈夫の表情からはその真意を汲み取れない。


「いぬ……って、あの犬ですか?」


 ワンと鳴く、あのお犬さま。


 おそるおそる聞き返してみても、にこにこと笑みを携え首肯するだけで。聞き間違えでも頭がおかしくなったわけでもないことは確定した。


(“お義兄さま”……とはもう呼べないわね。陛下は何をお考えなのかしら?)


 この国の王でアシェルの兄。アレクシス・グランディエ国王陛下から告げられた処遇は、思ってもみないものだった。


(そういうことだから=アンジェリカさまを虐めた罰として、ということよね?)


 ぎゅっと唇を噛み締め、冤罪という言葉を飲み込んだ。


 アシェルたちの都合の良いように、真実をねじ曲げられて報告されているだろうことくらい容易に想像できたから。


 何らかの処罰が言い渡されるだろうと思っていたし、この手の物語を読み倒していたレティシアは、修道院送りが妥当だろうと予想していたくらいだ。それなのに……


(まさか「犬になれ」だなんて……)


 誰が予想できただろうか。


 謂れのない罪で断罪されるのは、悪役令嬢ものの物語ではよくあるパターンだ。けれど「犬になれ」は初めてのパターンだと思う。


(まさか、冗談よね?)


 戸惑いながらもちらりとアレクシスの表情を窺う。ぱちんと目が合うと、さすがに受け入れられていないことが分かったのか、別の案を提示しはじめた。これまた楽しそうに。

 

「やっぱりスパッと斬首刑が良かった? それとも一族もろとも没落したかった?」


 挙げてくれた二つの案は、断罪方法としては王道中の王道だ。けれどその二択はひどい。


(死ぬのはもちろん嫌だけど、没落なんて選べないわ)


 年に数えるほどしか会えない家族でも、レティシアにとってはかけがえのない大切な人たちだ。だからおのずと答えは決まっていた。


「い、犬でお願いしますっ」


 人間辞めます。とはいえ、犬になるって、一体どうすればいいのだろうか。消去法で答えたはいいけれど、犬になる未来が全く見えなくて頭を悩ませる。


「そうだよね、私も犬一択だと思うよ」


 けれど満足そうに頷くアレクシスを前に聞くに聞けなくて、選択を誤ったかもしれないと苦笑いするしかなかった。


「ウォード伯爵にはあの地でまだまだ頑張ってもらわないと困るから、レティが血迷って没落を選ばないでくれて助かったよ」

「そのお言葉をお父さまがお聞きになられたら泣いて喜んでくれますね。……でも、私が犬になっても泣いてしまうかもしれませんよ?」


 だからもう一度考え直しましょうよ、と暗に仄めかす。


「確かに!」

「そうですよね!!」

「ありがとうって泣いて喜ぶだろうね」

「えっ?」


 思っていた反応と違う。娘が人間を辞めることのどこに喜ぶ要素があるのだろうか。怪訝な目でアレクシスを見ると、懇切丁寧に説明してくれる。


「この前、レティの将来の夢は『犬になりたい』だって、ウォード伯爵が誇らしげに教えてくれたんだ。だからきっと『娘の夢を叶えてくれてありがとう』って感謝されるね」

「そんなはずは……」


 全力で否定したい。けれど朧げな記憶を辿ってみると、否定できない自分がいた。


 それはアシェルと婚約する前、まだウォード伯爵領に住んでいた頃のこと。


 ウォード伯爵領は、恐ろしい魔獣が目撃される魔境と呼ばれる森と隣接し、辺境の地と呼ばれているのだけれど、ウォード伯爵領自体は緑豊かで動物も多くのどかな場所だ。


 やんちゃ盛りのレティシアは、領内のあちらこちらを駆けずり回っていたが、好奇心が旺盛すぎるがゆえに、自力で帰ることができないほど深い森の中を彷徨うことになる。


 鬱蒼と茂った木々が光を遮り、昼間だというのに暗く物静かな闇の世界を作り出す。何かが草木を揺らした。びくりと身体を強張らせ、足がすくみ動くことができない。起こる現象の全てが恐怖でしかなかった。


 魔境に入ってしまったと気づいた時にはすでに手遅れで、低い唸り声がだんだんと近づき、目の前まで魔獣が迫ってきていた。


 けれど次の瞬間、その魔獣はいなくなっていて。


 目を開けると大きな黒い存在が、レティシアにゆっくりと近づいてくる。


 息をするのも忘れるくらい美しく、神々しいほどに黒い毛並みは輝いていて、直感的にこの世のものではないと感じながらも不思議と怖くはなかった。


 正直、その後のことは良く覚えてはいない。


 気づけば屋敷のベッドの上で、傍に控えていた侍女から、大きな黒い犬ーーのちにクロと命名ーーが背中に乗せて帰ってきたと聞いた。


 その日からクロはレティシアのヒーローで、憧れの存在になった。クロみたいになりたくて、周囲が止めるのも無視して猟犬たちにまざって訓練もした。その時に身に付けた技能は今も衰えることはない。


 しかしそれは幼い頃の話で、それを今さら持ち出されるなんて羞恥以外の何物でもない。火照った顔を手でパタパタと仰ぐ。


「レティは見た目が小型犬みたいで可愛いから、犬が飼いたいと言っていたこの部屋の主も満足してくれると思うんだ」

「可愛いだなんて、急に褒めないでくださいよ! って、ちょっと待ってくださいっ、百歩譲って私が小型犬みたいだとしても、犬が飼いたいという方を満足せられるわけがありませんよね!?」


 この部屋の主は犬が飼いたいのであって、犬になりきった人間を飼いたいわけではない。喜ぶどころかむしろ怒られると思う。


「でも、レティは獣人の血を引いてるよね?」

「はい! おばあさまが獣人でした」


 レティシアの祖父はヒト族で祖母は獣人族だった。


 かつてグランディエ王国の隣国として獣人が住む獣人国があり、現在は国としては存在してないものの、獣人たちは今もひっそりと暮らしていると言われている。


 それも、とある理由があってのことで、だからなのか貴族が獣人を伴侶に迎えることはとても珍しかった。


 けれど、祖父は祖母にベタ惚れだったことは幼いレティシアの目から見ても明らかで、当人たちも全く隠していなかったこともあり、ウォード伯爵家が獣人の血を引いていることは有名な話でもある。


 ヒト族と獣人族の子供はヒト族の特徴が強く出るらしく、レティシアにもレティシアの父にも獣人族の証である特徴的な耳や尻尾は現れなかった。


 それが少し、いや、とても残念に思いながらも、あのもふもふに思いを馳せる。


「おばあさまのふわふわのしっぽがとても気持ちが良かったんですよね。あ、そうですよ! 私にはもふもふっとした耳も尻尾もありませんから、絶対に満足させられませんよ。やっぱり犬になるなんて無理ですね!」


 くるくると変わる表情に加えキャンキャンと吠えるレティシアを微笑ましく思いながらも、さらに提案を続ける。


「それなら、ブレイク男爵のところに行くかい?」

「行くって、まさか嫁ぐって意味ですか? じゃあ、本当にアシェルさまとは……」


 他の訳あり貴族に当てがわれる。それも悪役令嬢のその後によくある話だ。自分にその話が来てようやく婚約解消されたことを実感し、涙がぽたりぽたりと落ちた。


「陛下ぁ、どうして私、婚約解消されたんですか? アシェルさまに嫌われちゃったんですかぁ?」

「天使のようなアンジェリカをいじめてたからでしょ?」

「私、アンジェリカさまとは本当に初対面だし、絶対にいじめてません。断言します!!」

「それなら、どうしてだろうね〜?」

「こっちが聞きたいですよ! 冤罪なのに、どうして署名しちゃったんですか!!」

「まぁまぁ、そんなことより、ブレイク男爵の話をしようか! 彼ね、どうしてもレティが欲しいって言ってるんだけど、正直、レティにはお勧めできないから無視しようと思ってたんだけど、どうする?」

「どうするって言われても……」


 ブレイク男爵という名は、理由あって社交界から縁遠いレティシアでさえも耳にしたことのある名前だった。


 鬼畜として有名で、ブレイク男爵のタウンハウスからは、昼夜問わず罵る声と男女の叫び声が聞こえ、泣きながら飛び出してくる者も多々目撃されている。


 自ら犬になるか、鬼畜に犬として扱われるか。これまたひどい二択だ。


「くぅ〜っ、物語の悪役令嬢たちはこんな理不尽を押し付けられてきたのね」


 もちろんレティシアの選択は決まっている。


「分かりましたっ、チワワの真似もパグの真似も得意です。ウォード伯爵家が誇る猟犬たちと一緒に一通りの訓練も行ってきました。小さい頃からの夢が叶うなんて、私はなんて幸せ者なんでしょう!」


 半ばヤケクソだったけれど、やっぱり犬になる一択だった。


「レティのことはね、私が一番信頼する者に託そうと思ってるんだ」

「陛下が一番信頼してる方? この部屋の主さまってどなたでしょうか?」


 本当ならこの部屋に入る前に、誰の部屋か気づいたはずだけど、婚約解消を告げられてから温かいミルクを飲むまでの記憶がない。


 この部屋のソファーに座らされて、目の前に座る人から勧められるがままにカップに口をつけた。ほんのり甘いそれは自分の大好物の飲み物で。


 大好物な飲み物なのに、心がちくっとして。


 その痛みを癒すようにもう一度カップに口をつけ顔を上げた瞬間、目の前に座っている人がアレクシスだと知った。


 口の中の飲み物を吹き出さなかった自分を褒めてあげたい。


 そして、冒頭に至る。


 なので、すでに部屋の中にいる今、誰の部屋なのか見当もつかない。


「もうすぐ来ると思うよ。あ、着たみたいだね」

 

 第一印象が重要だよ、と微笑むアレクシスに一抹の不安を覚える。そして心の準備をする間もなく、この部屋の主が部屋に飛び込んできた。


「レティ、これから君のご主人さまになるジョシュアだよ。ほら、犬っぽく挨拶して」

「えっ、犬っぽく!?」


 最後までアレクシスの無茶振りが過ぎる。


 確かに第一印象は大切だ。それに「できません」とは言いたくない。


(でも犬っぽくって……いや、私ならできる!)


 一般的な貴族令嬢が決してやらないだろうこともやってしまう。順応性があり無駄にポジティブなこの性格は、アシェルには隠し通そうと努めていたものの、アレクシスには全てお見通しだった。


「こ、こんにちワン!」


 不覚にも手が招き猫みたいになってしまったと反省したのもその人の姿を確認するまで。


 目が合った。瞬間、ジョシュアは反転した。「じゃない!!」という言葉と共に、ドアが叩き壊される。


 ですよね、と思わず言葉が漏れそうになる。犬じゃない。激しく同意したい。おかしいのはアレクシスだけだ。


 そんなレティシアの背をひやりと汗が伝う。


 第一印象で不快な思いをさせてしまったうえに、犬が飼いたいのに犬じゃない件。


 けれど、冷や汗の原因はそれだけではなかった。


(こ、この方が私のご主人さまになるの!? 無理よっ、だって私、この方にめちゃくちゃ嫌われてるじゃないの!!)


 絶望しかなかった。レティシアはジョシュアに徹底的に避けられていたのだから。




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