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乾燥きのこのあったかポテトスープ おかわり!②

(なんだろう……)

 ふらりと立ち上がり、窓下へと忍び足で向かう。もしかしたらリスや梟がいるのかもしれないと、沈む気持ちを慰めてくれる小動物を期待して。


 ところが。


「あっ、わぁぁーーーっ!!」

「へっ、えっ?!」


 まんまるの月を背に、予想よりもだいぶ大きな影が舞う。影の端はフィーネの鼻の先を掠め、壊れた樽と布袋の重なる床へと物凄い音をたてて突っ込んだ。


「だ、大丈夫?!」

「ったた……大丈夫? フィーネちゃん?」

 二人の声がその場に重なる。漆黒と月白が交差する中で、フィーネは見知った少年がガバリと顔を上げるのを認めて瞳を見開いた。


「カイくん?!」

「怪我、ない? 何か飛んだり……」

「私は大丈夫。大丈夫だけど、カイくんは?!」

「大丈夫だよ。この位」


 服に付いた土を払いながらカイは微笑む。ふわふわのココアブラウンの髪は作りかけの鳥の巣のように乱れ、鼻の頭を筆頭に膝、腕などあちこち泥で汚れている。出来たばかりであろう頬の掻き傷には血が滲んでいた。


「でも、せめて洗った方が……」

 そこまで告げて、フィーネは伸ばしかけていた手を引き飛び退く。


『あの不気味な腹を見たか? 人を襲うかもしれん』

 意図せず盗み聞いてしまった、村長の言葉が脳裏に浮かぶ。


(ダメだ、カイを襲っちゃうかも……)


「フィーネ……?」


 驚くカイを置いて、フィーネはおぞましい己の腹部を刺激しないようにゆっくりと後ずさった。

「ごめん! カイ、本当に……危ないかも」


 誰かを傷付けるのが怖いのか、誰かを傷付ける自分に傷付くのが怖いのか。

 ただただ、大切な彼を傷付ける事だけを避けたいはずなのに。

 醜い恐怖に蝕まれ、眦から熱い雫が溢れそうになる。


「大丈夫だよ」


 瞬間。ふわりと、ハーブと土の香りが鼻に届いた。


 柔らかく温かいそれがフィーネを包み、木綿のシャツが頬を伝う涙をすくう。回された腕に力が込められて。

 温かいとか、柔らかいとか、心地良いとか。素朴で純粋な感想が言葉になる前に、フィーネの眦から雫が零れる。


「ほら、何ともない。フィーネちゃんも僕も」


 柔らかな声は心地好い。髪を撫でる優しい手はほっとする。大丈夫だ、彼が言うならばたしかな根拠がなくとも本当だと思えた。

 空腹が僅かに和らいで、恐怖も不安も悲しい気持ちも淡雪のように自然と消えていく。


(大……丈夫……だ……)


 再び、ぐぅぅぅぅとお腹の虫が鳴る。反射的に靄のかかるお腹を抑えようとしてから、ようやくフィーネは現状に気付いた。


(わ、私っ……!)


「うわぁっ! カイ、ごめ……!」

「ううん! 僕こそ急に、つい! ごめんね」


 慌てたようにフィーネとカイは互いに身を引く。

 心臓が今までにないほど速く、激しく脈打っている。先程まで肌寒いと感じていたはずなのに、顔も体も熱く感じた。

 が、そんな初めての違和感も束の間。新たな不安がフィーネの体感温度をぐっと下げる。


(今、私、カイのことギュッてしてた?! あ、あ……ど、どうしよう……お兄ちゃんの時みたいに肋折ってない……?!)

 腹部の異常以前に。その怪力から幼い頃に犯した失態を思い出したのだ。

「カイっ、あば、胸っ! 肋骨! 胸痛くない?!」

「えっ? 大丈夫だよ? ……っ、大丈夫。折れてないよ」


 くすくすと笑う幼馴染みは当然、兄の骨折の事も承知済みだ。怪我防止の為に、シリウスから「人とは(物理的な)距離を置くこと。誰かと抱擁することは相手の為に止めろ」と口を酸っぱくさせ言われている事も勿論知っている。


(カイが大丈夫って言うなら大丈夫なんだろうけど……痛いの無理してないかなぁ)


 簡単に折れてしまいそうな薄い胸をじっと見ながら、フィーネは考え込む。その間もお腹は紫の靄を纏ったままぐぅぐぅと鳴き続け、美しくも不気味な鉱石は淡い光を放っていた。


「それより、ご飯にしようか」

「え? ご飯?」

「うん。空いてると思って、持ってきた」


 驚嘆や感謝の言葉を差し置き、お腹の虫がぐぅ!と応える。同時にお腹の靄が呼応するかの如く、そわそわと落ち着きなく揺らぎ出した。


「簡単なものしか用意出来なくて……」


 太眉を遠慮がちに下げると、カイは腰に下げていた鞄の中を探る。


 中からは魔鉱石で作られた水筒に金属製の蓋付きタッパー、拳大の紙包みが二つ。そして木製のスプーンと大きめマグカップ。

「まだ温かいとは思うんだけど」

 カイの予想通り、水筒の蓋を開けると湯気が立ち上った。


「これ……」


 中身はお茶でもワインでもなく、熱々のクリームスープ。まろやかな甘みとコクを思い出し、食べてもいないのに涎が出てきてしまう。

 同時に、僅かに残っていた懸念や戸惑いもフィーネの中から消え去ってしまった。

「こっちはサンドウィッチ。即席マリネもあるよ」

「マリネも……! このぷつぷつ、ケッパー入りの美味しいやつ!」

「うん。好きでしょう?」

 差し出されたスプーンをフィーネは受け取る。


「どうぞ。召し上がれ」

「ありがとう……カイ」


 フィーネもまた、スプーンをカイへと渡すと、二人の頬が同時に緩んだ。


「「いただきます」」


 月明かりの下、祈りを捧げて。マグカップに移したスープを口いっぱいに頬張った。


「んっ、ほれ、ほおほろほり……?」

「うん。そうそう。ベーコンが無かったからホロホロ鳥の燻製を使ったんだ」

「やっふぁり? いいにほいするから」


 見た目こそ先日のスープにそっくりだが、燻製の豊かな香りは異なる趣を醸し出している。鳥肉には濃厚なクリームスープが染み込み、噛む度に森の香りと甘みが溶けだした。


「……っん、すごく美味しい……! へへへっ、鳥のスープも良いねぇ」

「そうだね。これから少し暑くなるし、鶏肉ならもっと澄んだスープとか、冷たいものにも合わせられそうだ」

「へへへ」


 勉強熱心なカイにフィーネの頬が緩む。

 同時に少しだけ未来の話に素早く動いていたフィーネの手が止まった。


(あぁ、そっか……私もう、ここには居られないんだ……)

 胸の奥がずしりと重くなる。


 理由は未だにわからないけれども。昔から彼が嬉しいとフィーネも嬉しく、彼が懸命に何かをしている姿はフィーネを勇気づけてきた。

 カイの傍は温かく、心地好い。

 ずっとずっとこのままでいたいと望んでしまう程に、別れを想像するだけで大好きな食事の手が止まってしまう程に。フィーネにとってカイの傍は、居心地の良い大切な場所となっていた事に気付いてしまった。


「へへ、へへへへ……良かった。……本当にありがとう、カイ」


 これまでの感謝を伝える言葉を探そうと試みたものの、結局は虚しい笑いと震える声だけがその場に残る。

 未だお腹は満たされていないのに喉の奥が詰まり、味覚や嗅覚が遠のいていく。目頭が熱い。霞むお腹のずっと上がぎゅぅっと苦しくなった。


「フィーネ?」

「いや、あのね、残念だなぁって。こんなに、こんなに美味しいのに……おかわり、出来ないし……」


 それにもうすぐなくなってしまう。心躍る柔らかなほろほろ鳥も、大好きなケッパー入りのマリネも、食べ切ってしまえばこの時間は終わってしまうのだ。


(美味しいな……それにやっぱりカイとのご飯は楽しい……ずっとって……私、勘違いしてた……)


 美味しくて楽しくて心地好くて。なのにひどく胸が苦しい。


 フィーネの笑みが崩れて、

「ご、ごめんね。私、なんかもうちょっと……一緒に居られるかなって思って……っ」


 同時に。


「フィーネ、その事なんだけど……っ」

 二人の言葉と手が重なる。


 驚きに顔を上げると、真剣なキャラメル色の眼差しがフィーネを見つめていた。


「カイ……?」

「いや、あの……良かったら、なんだけど……」


 真っ直ぐに向けられていた眼差しが僅かに伏せられ、カイの頬に朱がさす。

「料理の勉強をしたいとずっと思っていて……」

「う、うん……」


 突然のカイの意志にフィーネは疑問を持ちつつも頷き。


「有名なレストランも幾つもあるし、あとほら、役に立つと思うんだ。料理ができる人間がいると……」

「うん……?」


 一般論に首を傾げながらも再び頷き。


「それで、身内なら同行しても構わないってさっき確認出来て……」

「う、うん……?? っ……!」


 言わんとする事を全て理解する前に両肩を捕まれた。


「その、あくまで僕の自分勝手な申し出で、フィーネが嫌なら構わないんだけれど……でも僕としてはこれからもフィーネと一緒にずっと……っ、その、そう、相互扶助や支え合いの精神だと思ってくれれば! フィーネが気に病む必要は全く無いし、その点で断らないで欲しいし、寧ろ僕のわがままに利用してしまう形で申し訳ないくらいで! 僕は料理の練習になるし、フィーネちゃんはご飯が食べられるから損は無いというか……!!」

「えっ? うん?? ……???」


 立て板に水の如く。次々と想いを告げられ、フィーネは瞬きする。

 理解出来たのは僅かな文言のみ。


 ご飯が食べられる。そして多分、これからも一緒に食べようとカイが一生懸命提案してくれている……ように聞こえた。


(一緒に……支え合い……? 料理のお勉強がしたくて……? ど、どういう……??)


 噛み締めて、そして。胸に浮かんだ信じられないような期待に、フィーネの頬が熱くなる。


「カイくん、それって……?」


 まさに確かめようとしたその時。


「おい、灯りもつけずに管理はどうなっているんだ?」


 突如、古びた木の扉が開き、眩い光がフィーネとカイを照らした。

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