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乾燥きのこのあったかポテトスープ ④

「大丈夫ですか?」


 突然始まった激しい頭痛に遠のきかけた意識を引き留めたのは、女性店員の一言だった。

 疑惑と不安、心配の入り交じった視線にカイは慌てて姿勢を正す。


「は、はい! すみません」


 財布から告げられた額の紙幣を取り出し、『リィン本店』と書かれた木製のトレーへと置いた。

 遠くから雷鳴が聞こえる。昼過ぎからの雨は弱まること無く、リィン大通りの石畳を濡らしている。


(喜んで……ううん、渡せるかもまだわからない、んだ……それに……)


 頭が激しく痛み思考がまとまらない。


 精巧な時計たちが刻む音は妙な焦りを、心奪われるような繊細な細工物の輝きは何故か不安を募らせる。今、カイを翻弄する胸の動悸や火照りは、入店直後とは明らかに別種のものだ。


「ありがとうございました。お気を付けて」

「ありがとう……ございました……」


 カイは店員からレースペーパーが重なる手提げ袋を受け取り、弱々しく礼を返した。


 覚束無い足取りで入口へと向かい、傘立てから自分の傘を探す。次はシリウスお気に入りの菓子店へと行く予定だ。


 カイはよろめくようにガラスの扉へと手をかける。映った青白い童顔の先に、大通りの端でうずくまる女性が見えた。


(あれ……おばあさん……? こんな雨の中で……何か探して……それとも……)


 春といえどもまだ冷える。そんな誰かへと向けた言葉を思い出しながら、カイは雨に濡れる女性へと足を動かそうとする。


 曇天に稲妻が走り、次いで天を割くような轟音が響く。

 まるでそれが合図であったかのように、ふっと全身から力が抜けて。


 カイはその場にくずおれてしまった。

 




「ああ、気付いたか。お前具合悪いなら言えよなー」

「あ、……すみません……」


 ぼやけた頭のまま、むくりと起き上がったカイに髭面の男は嘆息(たんそく)した。


 シンプルなベッドに机。ビジネス用の簡素な部屋で職場の上司は濡れた頭を吹いている。

 机の上の二つのカップには温かな紅茶が並々とつがれていた。


 未だに現状が掴めず、カイは記憶を必死に辿る。頭痛が急に酷くなり、店を出る為に傘を探し、大通りにうずくまる高齢女性が心配になり扉を押そうとして。


(あれ……?)


「すみません! あの、おばあさん! 僕の近くに倒れている方がいたと思うんですが!」

「第一声がそれか? 念の為って、お前より元気に歩いて医者行ったぞ。後から来た孫達に付き添われてな。つーか、お前なぁ……」


 呆れ返る上司にカイはハッとなる。

「すみません、ありがとうございます!」


「違ぇよ。お前な、具合悪いんなら言え。大通りで人集りが出来てたから見てみたらさ、婆さんはうずくまってるし、近くでお前はぶっ倒れてるし。ビビるわ。しかもお前の方は青い顔してんのに、すーすー寝息たてて寝てるじゃえねぇか。ツレの俺が恥ずかしかったんだからな。ガジ呼んで、流れで婆さんの孫にもオレが説明して、周りに礼も言って二人でえっさらほいさおぶってきたわ」

「す、すみません! ありがとうございます。本当にすみません」


 女性が無事に医者へと行けたらしい事は良かったが、とんでもない大事にもなっていたようだ。

 カイは口は悪いが、結局は面倒見が良い上司へともう一度深々と頭を下げた。


「ガジにも礼言っとけよ。アイツ馬鹿だから。お前が死ぬんじゃねーかってこの雨の中、栄養ドリンク買いに行ってるよ」

「ガジ君……あの、本当にすみません。ありがとうございました」


(ガジ君もありがとう……)


 ぺこりと頭を下げるカイに、彼は「ほらよ、これ」と手提げ袋を差し出す。

 袋には名店マ・レーヌの印字。抜かりのない上司にカイは慌ててポケットを探った。


「タルトまで……本当に何から何までありがとうございます。今代金を……」

「送料込な」

「はい!」

「いやそこは突っ込めよ。恥ずいわ」


 頭を搔く上司は窓の外を見る。雨はまだ降り止まず、寧ろその勢いを増している。

 時折雲間を稲妻が走っては、鈍い地響きのような音が続いていた。


「それよりお前だけ帰るの少し伸ばすか? 具合悪いんだろ? 店には俺が先に帰って言っておくぞ?」

「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫です。もう痛みもありませんし、予定通り……あっ」

「はは。……これか?」


 ニヤニヤ笑いと一緒に、上司はレースペーパーの付いた手提げ袋を振る。

「っ! 良かった……ありがとうございます」


 ほっとしたように受け取るカイに上司は更にニヤニヤ笑いを深めた。


「愛しのあの子にあげんのか?」


 上司の言葉にカイはビクリと肩を揺らし固まる。

 穏やかだった心音はあっという間に早くなり、頬と耳は熱を帯びていった。


「ちっ、違います! これはたまたま見つけて! いつもお世話になってるし、偶にはお礼をと! 花祭りもある事ですし、あくまで日頃のお礼をしたいなぁと思ったんです! それにほら、クラインさんこういうの好きなんですよ?! 工芸品とか! 細やかで味わいがあって素敵だから! 集めてるってたまたま聞いていたんで、プレゼントしたら、あの……お礼になると思ったんです!」


 自分に言い聞かせるように、カイは口早に経緯や理由を話す。


 これはあくまでお礼。花祭りの風習――家族や配偶者、恋人や親しい友人へ、敬愛と感謝を込めての品を贈る――に則って、日頃の感謝にと用意した事に嘘偽りは無い。


 物凄い速さで普段の数倍話すカイに、上司は喉を鳴らして笑った。


「知ってるさ。この間もお前、日頃の感謝だって皿買ってたしな」

「あれはたまたまパスタ皿にヒビが入ってたんです」

「そうそう。ただの幼馴染ちゃん家のパスタ皿のヒビまで、お前は知ってるもんな」

「……知ってます。けど、それは夕飯をよく一緒に食べるからで……」


 自らの言葉に更に顔が熱くなり、同時に胸の奥が微かに痛む。


「すまんすまん。上手くいくと良いな」

「はい……喜んで貰えると良いです」


 上司の意図したものに対する正しい答えは返せなかった。


「それより凄い雨だな。ガジのやつ、大丈夫か? 明日の昼には帰んなきゃ行けねぇのに……」

 上司は煙草に火をつけると箱型テレビのスイッチをいれる。


【速報です。本日、ジオール市民を恐怖へと陥れた連続通り魔事件の初公判が行われました。当時の状況として新たに……】


「物騒だな……」

 白い煙を吐き出し、上司は窓の外を仰ぐ。


 高層アパートメントにデパート、有名チェーンの海鮮レストランに老舗玩具屋、香水専門店まで。

 土砂降りの雨は街全体を覆っていた。

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