やーめた
一服つこうとガラス戸に手をかける。鉄部分の冷たさに鳥肌がたって、厚めの上着に変えようとベッドの上に脱ぎ捨ててあったダウンジャケットに腕を通す。すでに氷のように冷たい指先を擦り合わせ、ポケットを軽く叩いて持っているものを確認した。
煙草、ライター、携帯灰皿、スマートフォン。全部ある。
上着ばかりもこもこと暖かいものを着用して、足は裸足にサンダルを履く。今度こそベランダに出てみればそのことを後悔するも、一度外に出てしまえばもう中に戻るのすら面倒に感じてしまった。
外は気温が低いだけでなく冷たい風まで吹いていて、煙草を吸うという理由でもなければ絶対に外に出ようなんて思えないほどに寒かった。
それでも私が外に出るのは、生きていると実感したかったから。煙草を吸っている時が一番、それを実感できる。小さな炎が段々と自分に近付いてくる。煙が目を焼いて暗い空に吸い込まれていく。手に服に髪に、死の匂いが染み付く。体に悪いなんてことは十二分にわかっているけれど、そうでもしなければ私は生きながらに死んでしまうから。
がたがたと震える手で煙草を一本摘まみ出し、左手に持ち変える。右手でライターを取り出して、白い先端を焼いた。
最初の五ミリは口元に運ばない。灰になっていく様をただ眺める。こうして移り変わっていく様をただ眺めているだけでも、私の脳は色々な思考を巡らせていく。こんな小さな煙草という物体でもこんなにころころと姿を変えて周囲に影響を与えるのに、私ときたら。
すぐ近くでガラス戸の開く音がする。隣の部屋の住人が、取り込み忘れた洗濯物でもしまおうとしているのだろう。音を立てないようにしゃがみ込んで、じっと息を潜める。入居の時、ペット禁止だという話は聞いたが禁煙かどうかは聞いていない。言われていないということはいいのだろう、とこうしてベランダで喫煙を続けているが、喫煙がよくないものだということは重々理解している。だからこそこうして、隠れるように深夜、ベランダで黙って煙草を吸うのだ。バレれば白い目で見られるだろうし、管理会社にチクられでもしたら、最悪追い出されるかもしれない。そうなれば面倒だ。ただでさえメンタルがズタズタなのに、今第三者の鋭い目に晒されたらあっさり死ねる気がする。
近くにあった人の気配が消える。ほっと息をついて、そろそろ毒を含もうと、僅かに灰の溜まった煙草を右手に持ち変えた。しゃがむ体勢があまり得意ではないので立ち上がろうと物干し竿に手をかければ、見上げた視界に月が入り込んだ。黄色くて、丸い月だ。冬の夜空は空気が澄んでいて、月が綺麗にくっきりと浮いて見えた。最近忙しくて煙草を吸う暇もなかったから、今日のような日に時間を得られてよかった。
しかし、この月を見て、気が変わった。疲れているのだ。
立ち上がって、煙草を殺して、呟いた。