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これは『僕』の物語

あの日の夏祭り

作者: イトウ モリ


気に入っていただけたら嬉しいです。




 八月になると、いつも僕は思い出す。


 中学生のときに、近所の亜弥(あや)ちゃんと、初めて二人だけで行った夏祭りのことを――。



 それはとても小さな神社の境内(けいだい)で行われる、とても小さなお祭りだった。


 屋台も少なくて、片手で足りるくらいの数しかなくて。


 だから中学生になった僕は、正直もうお祭りなんて行く気はなかった。


 だって蒸し暑いし、屋台は少ないし、ご近所さんばかりだし……。



 一方で、亜弥ちゃんはまだ小学2年生。

 お祭りに行きたくてしょうがないお年頃だった。


 でも亜弥ちゃんの家では、ちょうどお母さんが入院中で大変な時期だった。しかも赤ちゃんが生まれる予定の日と、お祭りの日が一緒で、今年はお祭りに行けないねという話をしていたらしい。


 亜弥ちゃんはすごく泣いた。


 泣いて泣いて泣きまくって、泣きながら僕の家に来た。


「亜弥ちゃん、そしたらうちの子が連れてくわよ。大丈夫、約束よ」


 などと母さんが勝手に約束をしてしまって、しかも亜弥ちゃんが、神様でも見たかのような顔で僕を見つめるものだから、僕は断るという選択を完全に封じ込められてしまったのだ。



 同級生に見つかったら絶対にからかわれる。

 小学校低学年の女の子なんか連れてお祭りになんか行ったってバレたら絶対にからかわれる。


 いや、でもうちの近所に同級生はいないし、お祭りには大した店もない。きっと中学生なら、もっと大きなお祭りに行くはずだ。遭遇する確率はきっと低い。


 それにパッと見、亜弥ちゃんを見ても「妹?」って言われるに決まっている。


 そう、僕は近所のお祭りに行けなくて悲しがっているかわいそうな女の子を、ボランティアとしてつきそってあげるだけなんだ。堂々としろ。


 大丈夫だ。やましいことは何もない。


 そんなことを悶々と悩んでは、延々と自分を納得させつつ、夏祭り当日を迎えた。





 亜弥ちゃんは本当に楽しみだったらしく、浴衣を持って僕の家に来た。


 僕の母さんが、亜弥ちゃんの着付けをしながら僕に言った。


「せっかくだしあんたも浴衣あるから着なさいよ。背、伸びてないからまだ着れるでしょ?」


「伸びてなくない。5センチは確実に伸びてる」


 僕は思わずムッとした声になる。しかし母さんは、僕に失礼なことを言ったということに気づいていないらしい。さらに失礼な言葉を続けた。


「あんたの成長期はいつ来るのかしらね〜」


 クラスの女子もそうだけれど、どうして女の人というのは、こうも男性を傷つけるような言葉を平気で口にするのだろう。


 早くも僕はお祭りに行くテンションではなくなっていた。





「たっくんありがとね。お祭り一緒に行ってくれて」


 慣れない草履(ぞうり)を履いて、ペンギンのような歩き方をしている亜弥ちゃんの歩幅に合わせて僕は歩く。


 亜弥ちゃんも今はかわいいけれど、いつか平気で男を傷つける暴言を吐く女子へと変貌するのだろうか。


 一体、女子はいつからそんな恐ろしい変化を遂げるのだろう。


 亜弥ちゃんも、そういう女子になっちゃうのかな。


 もう僕の頭の中は、お祭りの楽しい気分ではなくなり、陰湿な陰口ばかり言うクラスの女子への恐怖に占領されていた。


 どうしよう。もし亜弥ちゃんと一緒にいるところを見られたら。


 ロリコン。キモイ。ウザいって陰口を叩かれてしまうのだろうか。


 嫌だ! 僕は3組の小山田先生とは違う! 一緒にしないでくれ!

 僕は立派なボランティアであって、そういう目で亜弥ちゃんを見たことなんてないし、これは人助けであって……!


「わたしね、クラスの男の子きらいなんだ」


 亜弥ちゃんがポツリとつぶやいてくれたおかげで、僕の頭の中で暴走していた怖い想像は消えていった。


「男の子ってね、すぐたたくし、すぐバカって言うし、もうだいっきらい。

 でもね、たっくんはやさしいから……」


 そこで亜弥ちゃんの言葉が途切れる。


 やさしいから、……なんだろう?


 でも僕は、亜弥ちゃんが自分と似たようなことを考えていたことがとても可笑(おか)しかった。

 男子は男子なりに、女子は女子なりに、相手に不満があるらしい。


「たっくん。なんで笑うの? わたし変なこと言った?」


「ううん。全然変じゃないよ。僕も同じことを考えてたから、なんか偶然だなって思って」


「たっくんも同じこと考えてたの?」


 亜弥ちゃんの顔が赤い。夕日のせいだろうか。

 大丈夫かな。熱中症にならないように気をつけてあげないと。


「亜弥ちゃん、なんか冷たいの飲む? 暑かったり、浴衣が苦しかったりしたら言って?」


 うん、と亜弥ちゃんははにかみながら笑った。





「亜弥ちゃん、綿アメいる?」


「わたし、そんな子供っぽいの、もう食べないから」


「そう? じゃあ、お面は?」


 亜弥ちゃんは口を尖らせて首を横に振る。


 大変だ。お祭りに到着した途端、すでに屋台の三分の一が却下されてしまった。

 このままでは間が持たなくて、早々に帰らなくてはいけなくなる。


「……僕、唐揚げ食べるけど、亜弥ちゃんも食べる?」


 返事はしないけれど否定もしないので、僕は紙コップに入った唐揚げを一つ買った。


「お。かわいいカップルだねえ! 初デートかい? 甘酸っぱいねえ!」


 爪楊枝を二人分刺してくれたところまでは気が利いていたのに、唐揚げ屋のおじさんが余計な一言まで追加する。


「そんなんじゃないです。ふざけた冗談やめてください」


 僕は思わずおじさんを睨む。


 おじさんは酔っているのか上機嫌で、初々しくてよ〜、おじさん幸せな気持ちになっちゃったよ〜とかなんとか言いながら、唐揚げを一つおまけしてくれた。


「亜弥ちゃん、食べよ」


 僕が呼んでも、亜弥ちゃんは怒った顔をして言うことを聞かない。


「食べないの? 僕が全部食べるよ?」


 亜弥ちゃんは、口をへの字にしたまま、下を向いていた。

 泣きそうだった。

 どうしよう。僕は焦った。


「具合悪い? 疲れた?」


 でも亜弥ちゃんは首を振るばかり。

 僕は焦りと蒸し暑さで、だんだん余裕がなくなってしまった。


 なんだよ。お祭りに行きたいって言うから連れてきてやったのに。

 こっちはこんな暑い日に、こんな小さい祭りなんか来たくなかったのに。

 全然楽しくなさそうな顔すんなよ。連れてくなんて約束、守るんじゃなかった。


「もう帰ろ」


 僕の言葉で、弾かれたように亜弥ちゃんが顔をあげる。


「……やだ!」


「楽しそうじゃないし。つまんなかったんだろ? 帰ろ」


 僕は半泣きの亜弥ちゃんの手を引っ張って、夏祭りをあとにした。

 まだ夕日が残るオレンジ色の空。提灯(ちょうちん)だって、これからようやく光が映えてお祭りらしくなってくるっていうのに。


 到着してすぐに僕たちは帰った。まったくお祭りを楽しむ間もなく――。


 向かうときはペンギン歩きがかわいいと思ったのに、帰りはその遅さがやけにいらついた。


「歩くの(おそ)


 自分で口にして、自己嫌悪で死にたくなった。

 僕はこんな小さい子になにを当たっているんだろう。


「……足、いたい」


 亜弥ちゃんの足の親指と人差し指の間が、草履(ぞうり)鼻緒(はなお)の部分で(こす)れて皮がむけていた。

 僕は思わずため息をついてしまう。


「乗って」僕は背中を向けてしゃがむ。「今度から草履やめてサンダルにした方がいいよ」


 鼻をすすりながら、亜弥ちゃんが僕の背中におぶさった。


 亜弥ちゃんを家に送るまで僕は一言もしゃべらなかった。

 亜弥ちゃんは、僕の背中でずっと鼻をすすっていた。


 僕の首の後ろに、あたたかい(しずく)がパタパタと落ちてくる。


 やっぱりお祭りなんて来るんじゃなかった。


 僕はずっと後悔していた。





 それからしばらく、僕は亜弥ちゃんとまったく顔を合わせることもなく過ごしていた。


 ある日、亜弥ちゃんのご家族が僕の家にお菓子を持ってあいさつに来た。転勤で県外に引っ越すらしい。


「あらあら、生まれたばかりの赤ちゃんがいるのに大変ですねえ!」


 などと僕の母さんと、亜弥ちゃんのお母さんで世間話などをしている間、僕はお母さんの後ろに隠れている亜弥ちゃんが気になっていた。


「ほら亜弥。たっくんにさよならのごあいさつするんでしょ?」


 亜弥ちゃんは下を向いたまま、ずっと怖い顔をしていた。


 もしかしたら、お祭りのことをずっと根に持っているのかもしれない。


 すごく大人げなかったと思う。せっかく楽しみにしてて、浴衣まで着て行ったのに、僕がイライラして、すぐに帰ってしまったから。


「……ごめんね。お祭り、僕のせいで。まだ怒ってる?」


 謝ったけれど、亜弥ちゃんは顔を上げて僕の方を見てくれなかった。


 それから亜弥ちゃんは、僕と仲直りしてくれないまま、遠くへ引っ越してしまった。





 八月になると、いつも僕は思い出す。


 自分が小さな女の子に優しくできなかった、ダメなやつだということを。



 八月になると、いつも僕は反省する。


 自分が女の子の気持ちをまったく理解できなかった、ダメなやつだということを。




「ただいまー」


 玄関のドアが開き、妻が帰ってきた。


「お帰り。……ど、どうだった?」


「うん。男の子だって。順調だって」


「そ……そっか」


「ウケる。なんであなたがそんなにきょどってるわけ? 産むの私だよ?

 あーもう絶対出産のとき、あなたの方がテンパるね。

 あーあ、先が思いやられるー!」


「そ、そんなことない……と思うけど」


 と言った僕の声は、果たして妻の耳に届いてるのだろうか。


「あー! 暑かった! のど乾いたー! お茶いれて! 氷いっぱい入れてね! キンキンに!」


「あんまり体冷やさない方が……」


「だって外あっついんだよ? あっついお茶を飲めって? 灼熱の中を検診に行ってきた身重(みおも)の妻に向かって? 溶けるわい!」


「……はい。いま用意します……」


 僕はソファにどっかりと横たわる妻の命令に、素直に従うことにした。


 たぶん氷の方がグラスに入っている量は多いであろう分量の麦茶を妻の前に置き、僕もソファのあいている隙間に座った。


「あのさ、来週この近くで小さなお祭りがあるんだって。

 良かったら、行ってみない? もちろん体調が良ければだけどさ」


 僕の提案に、妻は体を起こして、僕の顔を試すようにのぞき込んだ。


「そーだなー。お店のおじさんに冷やかされても怒らないって約束してくれたら行ってあげてもいいけどー?

 あと『妻じゃないです。冗談やめてください』とか言ったらマジでキレるからね、私」


「……それ。どんだけ昔のこと根に持ってんのさ?」


 ちょうどさっきまでそのことを考えていただけに、僕はものすごく落ち込んだ。


「ひっどーい! すっごい傷ついたのに私! そうですよねー! いつの世も傷つけた当人には傷つけられた者の痛みは分からないんですよねー! 被害者の心の痛みはずっとずっと心に刻まれてるっていうのに加害者の方は忘却の彼方なんですよねー!」


 妻――亜弥はこれ見よがしに僕へ攻撃し、お腹の子供にも話しかける。


「いいですか~? パパみたいに女の子の繊細な気持ちを傷つける男の人なんかになっちゃだめですよ~! パパはね~、昔ママとの初めてのデートの時にね~」


「ちょっとタンマ! 変な胎教(たいきょう)すんなって!」


 僕は自分の子供に、偏った情報を流されてしまうのを必死で阻止した。




 

 八月になると、僕はいつも思い出す。


 中学生のときに、まだ小学2年生だった妻と、初めて二人だけで行った夏祭りのことを。




 でもきっとこれから思い出すことになるのは――、

 三人で初めて夏祭りに行ったことになるのかもしれない。



 

 

読んでくださってありがとうございました。

お気に召していただければ幸いです。



誰かの企画に参加するのは初めてですが、とても楽しかったです。

素晴らしい機会をくださった仙道アリマサ様に感謝です。

ぜひ『その2』をやるときも、参戦させていただきたいと思います!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「CATCH UP」を聴いてからこの短編を読みました。 もうちょっと大きい子を想像していました。 この時まだ小学2年生だったんですね。(^-^;) 二人の想いが成就してよかったです。
[良い点] 仙道様の企画から拝読させていただきました。 冷やかされるのが嫌で照れくさくてしょうがない中学生。 子供丸出しの同級生が嫌で背伸びしたい小学二年生。 初々しいですねー。 ほっこりするハピエン…
[良い点] 初めまして。仙道様の企画から参りました。 夕日が残るオレンジ色の空、美しく切ない夏祭りの情景が目に浮かびました。 幼かった亜弥ちゃんと僕の、それぞれの気持ちに同調して拝読しました。 あと…
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