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Ash Raker


 北欧の山脈の中にひっそりと佇む古城・シエルシュタット城。

 かつては大貴族の別邸として、大変栄えた城であったが、数世紀前にその一族が伝染病で死に絶えてからは人の出入りがなくなり、厳しい雪に阻まれた城はいつしか地元の住人にさえ御伽噺程度にしか語られぬ廃墟と化していた。

 そんなこの城を目指し、今一台の馬車が雪の道を進んでいた。黒い二頭の馬が怯えるように嘶き(いななき)、その声に驚いた鳥達がばさばさと飛び去っていく。

「……もう少しで御座いますぞ、伯爵様」

 馬車の中で、初老の男性が声を発した。

 恰幅の良いこの男性は厳かな燕尾服を身に纏い、大きな鼻にちょこんと眼鏡を乗せている姿と恭しい言葉遣いはまさしく一流の従者を体現したかのようで、話しかけられた相手の地位の高さを窺わせる。

 対する伯爵と呼ばれた男性の姿は、馬車の中にはどこにもなかった。

「……気分が優れぬ……いかに棺の中にいても昼間の旅は堪えるな……」

 遠雷のように低く威厳のある声が馬車の中に響いた。その声は従者の眼前にある黒い棺の中から発されている。

「もう少しだけの辛抱で御座います……」

「うむ……。しかし、腹立たしい……」

 棺の中から怒りを孕んだ声がする。従者も頭を垂れて悔しそうに唇を噛んでいる。

「若僧共め……“老血”への敬いが感じられぬ……この我が隠居などと……」

「……どうかご理解下され、伯爵様。やはり、あの劉祖が亡くなられた今、伯爵様や生き残られた“老血連”の皆様には何が何でも血を継いで頂かねば……」

「うむ……止むを得まい……」

 伯爵と呼ばれた男性にとっては、到底容認出来ない事態ではあったが、声を荒げることはしなかった。

 再び恭しく頭を下げた従者は黒い暗幕を引かれた窓に寄り、暗幕を僅かにずらすと、外の風景を眺めた。

 そのとき彼の目に遠くの山肌がきらりと何かを反射するのが見えた。

「む……?」

 ばぁん、と乾いた音が渓谷に響いた。

 その音だけが従者の老いた耳を揺らす。

「え―――っ!?」

 刹那、ぐちゃ、と濡れた音がして従者の体が馬車の壁に叩きつけられた。その音に怯え、馬が騒がしい声で鳴き出す。

「……どうしたハキム、何があった……?」

 棺の中からは外の様子を窺うことは出来ない。ただ外の音だけが伯爵の元へと届く。声を張り上げ、自らの従者を呼び続ける。

「ハキム!ハキムッ!返事を致せ!ハキムッ!」

 どれだけ怒鳴り立てたところで返事はない。

 五分ほどそうしていたであろうか。はっ、と伯爵は気づいた。

 あれほど騒がしかった馬の声がしないのだ。

 代わりにざく、ざく、と誰かが雪を踏み、こちらへと向かってくる音が馬車の外から聞こえてきた。

 ぎぃ、と悲鳴をあげる古い扉を開けて、誰かが馬車の中に這い行ってくる。伯爵はいくらか安堵した様子でその物音に声をかけた。

「ハキム……戻ったのか?一体何が……」

 しかし、返事は返ってこない。伯爵の声が揺らぎ始めた。

「ハキム、どうした返事をせんか……」

「日の光が射す内は棺の中から外も窺えないとはな……これが“上位種”とやらの現状か」

 やがて返ってきた声は、自分が長年従えてきた馴染みある老いた声ではなく、ひどく若い声だった。

 まるで動物実験の結果を目にした科学者のように、観察対象に何の情も抱いていない冷たい声でもあった。

 その声を耳にした瞬間、伯爵の冷たい体は瞬く間に凍り付いた。

 喉の奥から恐怖によって掠れきった声をなんとか絞り出す。

「き……貴様は……誰だ……ッ!?」

「……見てみるか?」

 男の冷たい声と共に、棺がぎし、とたわんだ。男が棺に足を掛けたのだろうか、伯爵はその現実を想像し、慌てて声を荒げた。

「や、止めろ!そんなことをしたらッ!?」

「燃え尽きちまうだろうな……“吸血鬼”は」





 ――吸血鬼。

 その名が世界に知れ渡ったのは19世紀、イギリスの作家B・ストーカーが記した『吸血鬼ドラキュラ』が刊行されたことに起源する。

 人の血を喰らい、喰らったその人間をも自分と同じ存在に変えてしまう化け物。強大な能力を数多有し、夜の世界を暗躍する死霊の王たる存在。

 そんな彼らは確かに強大な種であったが、反面多くの弱点も併せ持っていた。

 その中の最大にして彼らが昼の世に進出できない理由といえる弱点こそが、日光だ。その光を浴びると瞬く間に彼らの皮膚は焼き爛れ、やがて灰になってしまうだろう。

 故に、この伯爵と呼ばれた吸血鬼も日の光を避けるように頑丈な馬車に棺を積んで、隠れ家を目指していたのだった。

 しかし、従者ハキムが死に絶えた今、彼をあの灼熱の業火から守るものは薄い木の蓋一枚だけとなってしまった。

「……止めろ……我を……ハウンベルンの祖の牙を受けた我に手を出せば、我が血族が一人として黙っておらぬぞ……!」

「……あんたで最後だ」

「な、なに……?」

「イエーゴ、ミルヒン、ハンス、ヒューベリック……あんたが言う血族の主立った連中はみんな灰に戻ったよ。……あんたで最後だ」

「ば……馬鹿な……」

 伯爵は驚愕の余り声を失ってしまった。

 男はもう話す言葉もない、といった様子で棺にかけた片足に力を込めた。べき、と釘で棺に打ち付けられた蓋が音を立てて軋んでいく。

「……分かったぞ……貴様があの劉祖を灰に帰した“灰掻き屋”……というわけか」

「…………」

「“老血”や“血祖”を殺してどうする……?」

「……あんたには関係ないだろう」

「ある……人間あっての我ら吸血鬼だ……我らは貴様等の血を糧とするために、人間に数多の施しをなしてきた……我らあっての繁栄、我らあっての平和ではないか……これ以上何を望む?」

「…………」

「戦いが起きるぞ……香港の劉が倒れ、北欧のハウンベルンまで倒れれば、均衡が崩れる。

 虎視眈々と力を蓄えてきた新大陸の血族や、極東のならず者共が動き出すのも時間の問題だろう……そこまでして、何を望む?」

「…………」

 男は足に一層の力を込めた。ばき、と先程よりも大きな音がして、打ち付けられていた釘が弾け飛ぶ。まるで、それが返事だと言わんばかりに。

「……これも報いか。祖の牙を受けた時より、こうなる定めであったのかも知れぬな……」

「…………」

「“灰掻き屋”よ……心するがいい……もはや天秤は崩れた。貴様等は今まで以上の混沌と破滅を見ることとなるだろう……」

「……覚悟の上だ」

 ばき、と最後に釘が一気に弾け飛び、棺の蓋が外れた。

 灰色の髪に気品ある顔を持つ老紳士が、腕を胸の前で組み合わせて、じっとこちらを見ていた。

 深い悲しみを孕んだ青色の瞳がただじっと、男を見つめていた。

 射し込む陽光の槍。

 その業火に一人の老いた吸血鬼の体は瞬く間に蝕まれ、燃え盛る。

 馬車の中に壮絶な断末魔が響いた。

 その悲痛な声は谷間に響き渡り、山の妖精達の戯れで何度も反響した。

 何度も、何度も。








 やがて、断末魔が完全に収まった頃、伯爵と呼ばれた吸血鬼は小さな灰の山となっていた。

 あれほど誇り高く在った者も、滅んでしまえばこんなものだ。

「俺はお前等が我が物顔で存在していることを容認しているこの世界が許せねえんだよ……」

 革手袋に被われた手を灰の山に勢いよく突っ込むと、掴んだ灰を渓谷へと投げ捨てた。

 白い灰はまるで雪のようにきらきらと光を乱反射して舞い上がり、やがて白い山の中へと吸い込まれていった。

「…………っ」

 その様子を眺めていると、唐突に耳に刺していたイヤホンから馴染みある声が聞こえてきた。

『……あ、あ……聞こえてるかい?』

「……あぁ」

 返事をすると瞬く間に戦場に似つかわしくない軽い声が返ってくる。

『仕事おつかれさーん。こっちまで聞こえてきたから一発で分かったよー……毎回エグいことエグいこと、夢にでるかも』

「……用がないなら切るぞ。早く合流したい」

『あぁ待ってよ。そっちにヘリ向かわしたから、そのままそれに乗って次の現場に向かって』

「……やけに早いな」

『ちょっと急がなきゃならんのでねー』

 欠片も急いでいるとは思えない、間の抜けたとぼけた声に逆にこちらが苛つかせられる。

 雪を踏みつけることでストレスを少し発散させながら、相手に会話を急かさせた。

「……今度はどこだ?アメリカか、ソ連か……それともアフリカの紛争地帯にでも行けばいいのか?」

『ぶー。残念全部ハズレだよーん。正解はまた香港でした〜!』

「……香港…?」

 以前、男が香港に行ったのはわずか二ヶ月前。

 それも現地の夜を支配していた大血族の長を暗殺し、その血族を徹底的に掃討してきたばかりであると言うのに。

 事態を把握できず困惑する男と対する声は呑気な調子で話を続ける。

『実はね……君が殺した劉祖の灰からね、新しい子が転生しちゃったみたいなんだよね〜』

 イヤホンの向こうから聞かされた言葉に男は凍り付いたように固まってしまった。

「……転生、だと」





 “血祖”と呼ばれる吸血鬼がいる。

 それは人間が吸血鬼に血を吸われて変化する後天的な吸血鬼ではなく、先天的に吸血鬼として生まれてくるオリジナルの吸血鬼のことだ。

 “血祖”は自らの牙で子となる吸血鬼を産み落とし、血族と呼ばれる親族集団を作り出す。

 そんな多くの吸血鬼を産み出し、支配する“血祖”には後天的な吸血鬼が持たない数多の奇特な能力を持っている。

 その一つが転生だ。

 不老不死に限りなく近い吸血鬼も体を焼かれたり、心臓や頭を失えば死ぬ。そして死んだ吸血鬼は灰となってしまう。

 しかし、“血祖”は万が一死ぬことがあって灰になってしまっても、その灰の中から自分と同じ血を持った先天的な吸血鬼を産み落とし、別の存在として転生することが可能なのである。

 そして、転生した吸血鬼は限りなく以前の“血祖”に近い存在となり、新たな“血祖”として血族を支配する長となる。

 故に吸血鬼を狩る者達にとって“血祖”の死灰の扱いは慎重を要する。

 聖水を注ぎ、完全に灰の力を奪うか、灰が一カ所に集まらぬようにばらばらに撒いてしまうかしかないのである。

 男は得心の行かぬ様子で相手に反論する。

「……劉祖の死骸は海に沈んだはずだ」

『どうやら、ほんの一部の灰が海水に浸るのを免れたみたいで。そこから転生したらしいんだよ』

「化け物がッ……!」

 やり場のない焦りと自分自身の不甲斐なさに思わず声を荒げてしまう。

『どうやら一族の生き残りが逃亡の手を引いてるらしくてね……ウチのスタッフも頑張ってるけど、早くしないと香港から出ちゃうかもしれない』

「……させないさ」

 させない、と男は何度も噛みしめるように言葉を反芻する。

 しばらくして、山の向こう側から輸送用の高速ヘリがばりばりと爆音を響かせながら現れた。

『どうやら無理矢理転生したから、かなり弱ってるみたいだからさ、今度はしくじらないでよね。何てったってこれは“戦争”なんだからさ』

 言われるまでもない。これは紛れもない戦争だ。人間と吸血鬼の血で血を洗う総力戦だ。

 闇の支配者を根絶やしにするまで決して戦いは終わらない。

 決意を新たにし、“灰掻き屋”の足は再び因縁の地・香港へと向いていた。








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