未だに英語教育を推進したがる男の人って……『典型的な国家を滅ぼす無能の人達』――文科省に見るコンコルド効果も理解出来ないバカの群
日本人は、全員英語を覚えた方が良いのだ、などと未だに宣う、英語教育に関わる人達、真の無能な努力家とは、こういう人達の事を指すのだとワタクシこと、ふりがなは断じます。
反発も多そうなテーマなので、大きな根拠から書いてしまいましょう。
一般的な日本人が、英語を習得するのに必要な時間は、3000時間と言われています。
これに対して、言語体系の近いフランスやドイツの人が、英語の習得するのにかかる時間は、おおよそ600時間です。
日本人が英語習得にかかるのは、英語と親和性の高い言語圏に比較して、5倍の労力ですから、例えばドイツ人が中学3年間で、英語を完全に習得するとします。
すると、日本人が英語の習得するのにかかる時間は、15年間かかる事になります。
これが、如何に衝撃的で、如何に残酷な数字なのか?
理解出来る人は、考えてみると非常に少ないのではないでしょうか?
この5倍の数字を、衝撃的な数字に変える魔法のワードが『比較優位』です。
比較優位は、皆さんご存知の通り、自由貿易の根拠に使われる説で、個人に当てはめると、とにかく苦手な事はしないで、得意な人にやらせれば全体でお得じゃない?という物ですよね。
ビジネスパーソンなら、もう日本全体で英語を学ぶ価値なんてないことに気付くでしょうか?
そう、国際競争において、日本人は英語を選択した時点で、他国より落ちぶれる事が確定しているのです。
なぜなら、日本人が苦手で、非効率に使いもしない言語に挑戦し、多くが敗北し習得に失敗している間、他国の人は、得意な言語を習得し、余った時間で他の事を勉強している事になるからです。
この比較優位の考えから、国際競争力において、日本が第二言語に英語を選択すると敗北が確定する事は、多くの人が理解出来たでしょう。
しかも5倍差です、それが短い時間ならともかく3000時間となると、もはや、マトモな感覚じゃないとなるのは当然ですよね。
教育の現場では、よくゲームが悪玉に挙げられます。
実際に米国のエスタブリッシュメントも、子供達の教育において、子供達をゲームから遠ざけるのが主流になっています。
※ゲームというかスマートフォン
時間の無駄という点、ゲームより頭を使わないという点から、今や日本の英語教育は、ゲームよりも教育への障害となっているのが現実なのです。
多少の思考能力があるのなら、特に経営能力があるのなら、英語は真っ先に切り捨てる分野となる、その絶対的な根拠がこの比較優位です。
一般的にグローバリストとも呼ばれる、自由貿易推進派の人は、英語教育に力を入れろと常々言いますが、それを主張すると、自由貿易の根拠である、簡単な比較優位さえ理解してない事になります。
英語教育は、我々日本人にとって頭の痛い問題です。
もちろん、日本語と英語の習得者と、フランス語と英語の習得者では、価値が異なりますから、比較優位において、完全に互換性を持った話ではありません。
無いけど比較優位から考えても、日本人全員が英語を覚えるのは、現実的に無駄だよね、という話になります。
英語が話せないという日本人は、約70%と言われていまして、自分の伝えたい事を的確に英語で表現出来るという人は、15%ほどと言われています。
70%~85%の方々は、いったい今まで何を勉強していたのか、という話ですが、中学生から高校生から、英語教育には、おおよそ1000時間が割り当てられていますから、少なくとも日本人の総人口にして1億2千万の7割かけ1000時間で、8400億時間、即ちは約95万年を、日本人はドブに捨てたことになります。
※これはジョブズ風極論
他国は、英語を習得しているのに、日本人は、習得出来もしない言語に無駄な時間を費やしているという話ですね、使われないし、話さないし、話せないので無価値です。
※日常的に英語を使っているのなら、あっという間に3000時間を突破するので習得でるハズですが、日本人の7割は、習得どころか、むしろ覚えた英語を忘れています。
大半の人が、英語を日常的に使う必要がないと言っても過言ではないのです。
教育は国家の根幹だと言われますが、そりゃ文科省が先導して、これだけ時間を無駄にしているのだから、国家も衰退もするわという嘆きが、この数字からは聞こえてきます。
日本語と英語を覚えた人に、価値があるのは、日本語と英語、両言語に価値があるからこそです。
日本が国際競争に敗北し、日本の言語圏が衰退して価値が無くなるのなら、日本語と英語両方を習得した、その人になんら特別な価値はありません。
日本が国際競争力とやらを身につけて、発展してこそ、初めて英語と日本語の習得に、価値は生まれるのです。
英語教育では、目的と手段がひっくり返っているとは思いませんか?
この尊く、かつ無価値な、サンクコストを文科省はいったいどう捉えたのだろうか?
──国際競争力の指標とは、英語力である。それが我々の『ノルマ』である
指標を自ら作り出す、もしくは、その指標を妥当かどうか考えるのが、非常に苦手なのが、所謂日本人というものなのかもしれません。
指標について考える教育を私はまともに受けた記憶もありませんが。
近年、文科省は、国際競争力のため英語にさらにコストを注ぎ込む事を決めました。
──どうせ無駄にした95万年の責任は誰も取らなくて良い。誰も責任は取らなくて良いが、一方で我々には学生の英語力というノルマはあるのだ
文科省は2018年から、中学高校の英語の授業では英語だけを使うように、小学校では5、6年生からだった物を、3、4年生から必修になるように決めます。
当然、今のままでは時間が足らず、小学校の授業の時間は伸びるそうです。
まぁ、それで日本人が話せるようになるかどうかも解らないし、現状そもそも大半が使わないから、英語習得に誰も至らないという日本の環境が、どう変わるのかも解らないけれどね。
これは、典型的なコンコルド効果による、脳死状態です。
コンコルド効果とは?
投資が回収出来ず損失につながる事が解っていながら、今まで投資してきた金額や時間を惜しみ、投資を継続してしまう心理的傾向。
コンコルドとは、イギリスとフランスが莫大な予算をかけて共同開発した超音速旅客機。
採算のとれないまま就航を続け、更なる莫大な赤字を抱えて開発会社は倒産。
この一連の商業的失敗をたとえてコンコルド効果と呼ぶ。
──しかし、英語は必要だ!……極一部の企業に!
私も英語が必要なのは解ります、こう叫ぶ人も、中には居るかもしれません。
極僅かな需要のために、国家の教育を犠牲にする必要はありませんが、この英語の習得の解決方法に使えるのも、比較優位となります。
要は3000時間も使わないで英語を習得出来る、言語の得意な人にだけ、英語教育は任せれば良いじゃない?
もしくは日常的に英語を使う環境の人だけが習得するのなら、英語教育に使われている、95万年という無駄な時間を全て短縮出来るよという話です。
英語教育は、他とは違い、将来使う人が、長大な時間をかけ続けなければ、一切が無駄になる特殊な分野なのです。
従来型の横並び教育にしないで、得意な人は早めに進級し、ある程度未満は、ばっさり切り捨てた方が日本のために良いのです。
苦手な事はするな、人に任せれば良い。
ビジネス界では常識的に言われる事ですね。
この作品を読んだ後なら、国際比較に使われるTOEFLが、日本人にとって如何に無価値な指標なのか、理解出来る人が増えると思います。
仮に、日本人が5倍の努力をして、TOEFLで、他国と同じ点数に並んでも、他国の人は評価など一切してくれないのです。
英語教育など早くやめさせて、他の所で頑張りましょう。
というか、日本が普通に経済成長して、日本語にさらなる価値が生まれれば、日本人が一人も英語を習得しなくても、他国の人が、必要な分だけ、勝手に日本語を習得してくれるので、わざわざ日本人が覚える必要ないんじゃないでしょうか?
それが市場原理もという物です。
95万年であってる?