れいのうわさ
朔真アヤミが「裏野ドリームランド」で姿を消したのは、今から15年も前の出来事である。当時彼女はまだ5歳。己の意思で去ったとは思われず、彼女の失踪は当時ローカル番組で何度か取り上げられた。
目撃情報はたった1つ。「ドリームキャッスル」に1人で入っていく小さな女の子を見た。たったそれだけ。
とはいえ、連れ去られたのであれば犯人からの声明を待つよりほかになく、ほどなく打つ手を無くした警察は、彼女の捜索を断念。捜査の打ち切りが確定したころには、すでにマスコミも彼女のことを忘れたように、市議の汚職について騒ぎ出していた。
それでも、残された家族の傷は計り知れない。
特に、年の離れた妹を目の中に入れてもいたくないほど溺愛していたアヤトの心の傷は深く、それ以来、朔真家はばらばらの状態だった。
「……たしか、ここがアヤミちゃんを見た最後なのよね」
キサはジェットコースター乗り場の入り口にたたずむアヤトを見つめながら、静かにそうつぶやいた。
キサがアヤトの自宅を訪れてから1週間。
二人は予定通り、「裏野ドリームランド」にやってきていた。
外観を撮影し、いくつかのアトラクションを見て回る。それらを撮影しながらたどり着いたのが、ジェットコースター乗り場だった。
アヤトは乗り場の入り口にある、子供の背丈ほどのウサギの立て看板を見つめている。ジェットコースターの身長制限を表すもので、これが随分とアヤミを怒らせたものであった。
「――『ぼくよりちいさな おともだちは ジェットコースターに のれません!
おおきくなったら また あそびにきてね!』……か」
――いや! アヤミお兄ちゃんと一緒にジェットコースターに乗るの!――
当時まだ幼かったアヤミは、中学生の「お兄ちゃん」と同じようにジェットコースターに乗りたがった。一緒に来ていたキサは乗れたが、アヤミの背はわずかにこのウサギの立て看板を超えることができなかった。「ちいさなおともだち」だったのだ。
結局アヤミは怒って両親の元へ戻ると一人で駆け出していってしまった。
慌てて二人が追いかけたころには、もう姿はなく、互いの両親に事情を話して一緒に探してもらったが、その後彼女が戻ってくることは、一度もなかった。
「こんなにちいさなもんで……アヤミはこれに乗れなかったんだもんね」
そういって、アヤトは木製のささくれ立った看板に触れる。彼の身長はひょろりと長く、看板は彼の腰ほどまでしかない。
キサは静かに写真を構える。ファインダーにアヤトを収めてシャッターを切ると、一拍おいて彼はのんびりと振り返った。
「俺を撮ってどうするの」
「どうもしないわ。ねえ、これを撮るならどんなアングルがいいの?」
「来て」
立て看板から離れ、何歩か近寄って来たアヤトはキサの腕を掴んで引き寄せる。それから腕を伸ばして上の方を指さした。
とん、とキサの肩がアヤトの胸にぶつかる。だが、どきりと震えたのはキサだけだった。
「カメラ構えて。上を見て、こっちの方。――そう、じょうず」
頭の上でアヤトの声がする。言われるままにカメラを構え、シャッターを切ると、画面には夕暮れをバックに美しく影を落とすジェットコースターのレールが浮かび上がった。
「へえ、綺麗ね」
「同じアングルで何度か撮っておくといい。その撮影スポット、時々映り込むから」
「……えっ」
スルリと身を離す直前のセリフに、名残惜しさよりも驚きが優った。
「えっちょっと、まって、嘘だよね!?」
「嘘じゃないさ。――冗談だよ」
「何よそれ!」
口元に笑みを浮かべながらいうので、キサはおもわずかかとを踏みならして叫んだ。
「何言ってるんだ。ここは有名なホラースポットだよ、こわい話をしないとしまらないだろう」
「そうだけど……!」
抗議しかけて、キサはため息をついた。そうだ。今回の廃墟特集における「裏野ドリームランド」の立ち位置は「少し怖い廃墟」。読者が待っているのは、恐怖なのだ。
ならばそれなりに取材が必要になる。キサは意を決してアヤトに問いかけた。
「さっき写り込むって言ったけど、ここってどんな逸話があるの?」
「うーん、そうだね」
しばらく考え込んだアヤトは、ゆったりと口を開く。キサはそれを見ながら、ポーチにしまい込んでいたメモを構えた。
「まずは、この『裏野ドリームランド』そのものについて。”子どもがいなくなる”という噂がたった。ちょうど閉鎖になるちょっと前あたりからね」
「神隠し?」
「さあ、どうだろう。ただ、そんな噂が立つより前に運営会社は経営破綻していて、この遊園地も自転車営業状態だったらしい。その上そんな噂がたったら……ね、誰も後を引き継いで経営したいとは思わないだろう」
キサは言われたことをしっかりとメモする。それを見ながら、アヤトは夕暮れに黒々と影を落とすジェットコースターを見上げた。
「各アトラクションにも噂が尽きない。まずはこれ、『ジェットコースター』。事故が頻発していたそうだけど、だれも、どこで、どんな事故が起きたのか知らない。
ちなみにだけど、アヤミがいなくなった日もこれ、事故で止まっていたんだよ。けどあとで調べたら、どんな事故で、どのくらいの間止まっていたとか、いつ止まっていたとか、一切記録が残っていなかった」
「待って……事故でしょ? ニュースになってても仕方ないようなことじゃない」
「覚えてない、ってことは、そんなニュースもなかったんだろうね。次はこっちだ。ついてきて」
言いながら、アヤトはゆっくりとした歩調で歩き出す。夕暮れ時の黒い影が、アヤトの足元から長く伸びていた。ぞくりとキサは肩を震わせ、慌てて追いかける。
アヤトは水路の傍で立ち止まり、それから奥にたたずむ建物を指さした。
「つぎ、アクアツアー。水族館のような巨大水槽の中を、乗り物に乗って巡るってやつだった。覚えてる?」
「ええ。今でも水路の水は抜けてないのね」
「ああ。――『いる』からね、今も」
「魚が?」
「もちろん。それ以外も」
「それ以外?」
キサは目をあげてアヤトを見上げる。ぢゃぷん、と大きめの水音がして、思わずキサは飛び上がった。
「謎の影。何度か見たっていうやつがいたらしい。どんな影なのかはわからない。でも、『今もいる』。そういう噂」
いうなり、アヤトは踵を返す。ぢゃぷん。また水音がした。キサは怖くなったが、メモに集中することで今の音を聞こえなかったふりをして、アヤトの後を追いかけた。
アヤトが次に立ち止まったのは、夕日を照り返して立つ大きな建物だ。朽ちかけた鏡張りの壁が何とも言えず不気味である。
「ミラーハウス。古今東西、鏡にまつわる怪談は多いけど――これも例にもれずって感じだね。このミラーハウスで何者かが入れ替わって、別人のように『人が変わって』出てくる。そんな噂がある」
「全面鏡張りの迷路だったわよね、ここ」
「今も鏡は残ってるよ。俺も君も何度入った覚えはあるけど――入れ替わってるのかな」
「ちょっと。変なこと言わないで」
非難するようにアヤトの肩を叩く。キサの抗議に、彼はくつりと笑うと、踵を返して歩き出した。
次に立ち止まったのは、汚れて朽ちたメリーゴーラウンドの前。黄昏時の暗がりに浮かび上がる馬車や馬の崩れかけたオブジェは、もうそれだけで恐怖を感じる。
「……これが夜中動き出したら、そりゃ綺麗だろうねぇ」
アヤトはぼそりと呟くので、思わずキサはせき込んだ。
「ちょっとアヤト、正気?」
「どういう意味かな」
「だって……」
「そういう噂なんだよ。夜になるとひとりでに回り出すメリーゴーラウンド。明かりがつき、往年の華やかさを取り戻そうとするかのように、過去に戻ろうとするかのように、メリーゴーラウンドは動き出す。とても美しい、らしいよ?」
キサの返事を待たず歩き出すアヤト。そんな彼は、もしかすると過去から背を向けたいのかもしれない。
柄にもない、とキサはかぶりを振って、後を追いかけた。
そう離れていない場所で立ち止まって上を見上げているアヤトに追いつき、キサは隣に立って同じ方向を見上げる。
あったのは観覧車だ。真下までいくと全体が見えないから、あえてここで立ち止まったのだろう。
「観覧車にも怖いうわさはある。近くへ行くと、だして、とちいさな声がする。誰か閉じ込められたって事故の話は聞かないけど、過去、肝試し目的でここに忍び込んだ人の動画を見たら、聞こえたよ、確かに。『だして』って声が」
「ちょっと、冗談でも嘘でもそんなこと……」
「本当なんだけどな。ちなみにその人、それから一度も動画の配信をしてない。どうなったんだろうね」
「ちょっと!」
「――ただ若干、冗談でも嘘でも、たちが悪そうなものはある」
すっと声のトーンを下げたアヤトは、少し歩調を速めた。コンパスの大きな彼の早歩きは、キサにとっては小走りだ。途中、立ち止まってまってくれたアヤトに感謝しながら、キサはすっかり暗くなった周囲の気配を圧倒するかのようにたたずむ、その建物を見上げた。
三角屋根の、西洋風の城のような建物。
「ドリームキャッスル。もともと、アトラクションとして新築された建物だ。
ここには拷問部屋があると言われている」
どぎつい言葉が聞こえて、思わずキサは振り返った。
「……え、っと、何って?」
「拷問部屋」
「『拷問器具展示室』じゃなくて?」
「……ここ、来てくれたおともだちに、王子様やお姫様の体験をしてもらうアトラクションじゃなかったっけ。そんなもん展示して誰が得するの」
「拷問部屋なんてもっと得する人いないじゃない!」
「そうだよね。……そうなんだ」
黒くそびえたつ城に向かって歩き出しながら、アヤトはうなずく。
「誰が得するんだろう、そんなものを作って」
「ちょっと、アヤト?」
「なのに、事実記録が残ってるんだよ。
この『裏野ドリームランド』の閉鎖より前に、近隣の港から謎のコンテナが運営会社名義で輸入されているんだ。そしてその中身は、全部ここに運び込まれた」
「それが全部拷問器具で、だから、ここには事実拷問部屋があるっていうの? でも、それはちょっと考えすぎじゃ……」
「そうかな。そうだといいんだけど。でも事実この遊園地、何人か行方不明者が出てるんだよね」
「…………」
「問題なのは拷問部屋が『あること』でなく、その拷問部屋が『使われているかもしれない』ことだと思わない?」
言いながら、アヤトは正面扉を掴み、ゆっくりと押した。
ぎぎぎ、という重苦しい音を立てて、分厚い扉が開いていく。
そして、ぱっくりと口を開けたそこを覗き込み、アヤトはちらりとキサを振り返った。
「ところで、このドリームキャッスルは外からだけじゃなく、中に入ってみる光景も、結構いいフォトスポットなんだけど。
怖いならこの場で待ってた方がいいよ?」