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それでも世界はブラックだった  作者: 菊日和静
第1章 プログラマーから魔技師へ転職しました
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第01話 文字通りのデスマーチ

異世界であっても社畜のように働くリーマン物語です。

 デスマーチ。


 死の行軍と称されるそれは、IT業界においては開発納期が迫った過酷な労働環境を意味している。過労死が珍しくないこのご時世において、大企業が過労死をした従業員を出せばたちまちニュースとして大々的に取り上げられ、政治家たちはあれこれと過労死をしないように法整備や注意勧告をしているにも関わらず、未だに過労死する社員という名前の畜生は後を絶たない。


 そんな過労で倒れる若者に対して世間は「今の若者は軟弱だ!」「そんなので自殺を選ぶなんて心が弱い証拠だ!」という声を聞くことも少なくない。

 実際、上司たちの世代では残業時間がとんでもないことになっていた自慢話のようなことも聞くことがあるが、少々突っ込んで話を聞けば残業時間も凄まじいが休憩時間も凄かったようで、いやいや、今時の若者は休憩時間もそこそこで同じような残業時間を強いられていることを考えれば、若者が軟弱になったのではなく、より濃密的に体力や時間を奪う労働環境が過酷になったことが伺えるというものだ。

 結局のところ、デスマーチを経験して過労死する人間というものは、その人の人間性が問題というよりも、ほぼほぼ周りの環境が人を死に追いやるのだ。


 責任ある環境が人を育てるように。

 過酷な責任を課す環境が人を殺す。


 これを乗り越えなければ後がないという意識を植え付け、強制的な環境下で脅迫的なまでの同調意識を植え付け、自分が病んだら他の人に迷惑がかかるという重圧を与え、締め切りまでに仕事を終えなければという焦燥感に溢れ、唯一安心して休められるのはトイレと家のベッドの上だけという環境。

 そして休日はゆっくり休めるかと思いきや、スケジュールが厳しいということで休日出勤を強いられた日には意識も遠のいて来るというものだ。朝起きれば仕事に行かねばならず、家に帰ってきても明日は仕事だから早く寝なければならない。

 そんな生活を数ヶ月間すれば心なんてあっという間に磨耗する。


 削られ、ひび割れ、粉々になって塵も残らない。


 ……これだけ言えば、労働の過酷さというものが、少しは伝わってくれるというものだろう。

 もしかしたら「社畜乙!」とか言う輩もいるかもしれないが、一つだけ助言があるとしたら、そんなことを言っていた自分が明日は我が身になっているかもしれないと言うことだ。

 そんなこと有り得るわけがないと笑い飛ばすかもしれないが、人の世の未来なんてものは全くわからないもので、事実、自分とて最初はデスマーチなんて大げさに言っているだけだと思っていた時代があったぐらいであり、デスマーチを実際に経験した後では「二度とこんなことやってたまるか!!」とデスマーチの恐ろしさを身を以て苦い体験をしたのだ。

 しかもデスマーチの何が恐ろしいかって、二度としないと誓ったはずなのに、二度どころじゃすまない回数をこなしているところだ。


 ……本当にどうしてこうなったのだろうか?

 

 いや原因はわかっている。というかわかりきっている。現実を直視したくないだけで、現実を直視しても痛みしかなく、今更すぎて口の出すのすら躊躇われるからだ。

 まず最初に問題があったのは「見積もりの甘さ」だ。

 見積もりというものは、クライアント――お客様の出す要望に対して、開発側は要望に沿ったシステム構築や画面を考え、それらが一体どの程度の規模であり、開発期間がどの程度かを算出し、開発費を見積もりする作業だ。

 この見積もりによって、適正な人数と期間で開発できれば、予定通りのスケジュールで終わることが可能であることを示すわけだが、クライアント側も予算は無限ではなく、なのに達成したい要望はできるだけ高度なものを要求するわけだから、最終的にはお互いが『合意できるライン』がどの程度のものに落とし込めるかが重要となって来る。

 ちなみに、見積もりする当初は当たり前のことであるが、定時上がりを基本として考え、ある程度の余裕(バッファ)を含めて見積もっていたのだ。

 だというのに、競合他社に勝つために説明に行った営業が勝手に見積もりを下げて仕事を勝ち取ってきて、帰ってきた後「厳しいスケジュールになるかもしれないが、私はあなた達ならきっとやり遂げられると確信しています!」としたり顔で言い切った時、こいつの頭はきっとお花畑でできているに違いないと確信した。

 それでもまぁ仕事に有り付けないのはもっと苦しくなるわけで、こんなことを言い出す営業なんて慣れたもので、多少期間が短くなっても余裕をなくした分は残業をいくらかすればいいと思っていた。


 次に発生した問題は「仕様変更」だ。

 仕様変更というのは、当初決めた仕様――例えばAの画面はBとCのボタンがあって、こういった動作をしますと決めたものがあったとする。それで当初は合意が取れていたはずなのに、開発が進むにつれてクライアント側が「やはりこうしたい」「こうした方がより良いものになる」「すみません。間違えました」など多様な理由から変更を要求することだ。

 当然、変更をお願いしたわけだから、こちらとしては当初の予定が崩されたことになる。その仕様部分に関する見積もりを見直すことになるのだが、大幅に変更される部分に関しては期間延長を願うが、細かすぎて大幅に狂いが出ない場合は予定は変更しないことも多い。


 これがいけなかった。

 ポイント・オブ・ノー・リターンがあったのだとしたら、ここだったのだろう。


 その後もクライアントは仕様変更を続け、その度にこちらの負担は増え続けた。

 しかも、クライアント側も意思統一できていないのか、仕様変更したと思ったら、再度前の仕様に戻して欲しいと言い出してきて、正直「もっと考えてから仕様出してこいボケが!」と毒づくぐらい心が荒れてきていた。

 仕様変更する度にこちらは開発のやり直しとテストをやり直した。

 クライアント側にも進捗状況を示すために、中間成果物を提出したりするが、度重なる仕様変更のせいで、誤った仕様でこちらが提出してしまい「仕様が違いますので今後は気をつけてください!」とお叱りの言葉を受けることになった。元々はそっちのせいだろうがと殺意すら芽生えたが、確かにこちらのミスではあるので粛々と受け入れたが、そのせいで開発側は萎縮してしまって強く言えなくなり、仕様変更に対してのスケジュール変更を言い出しづらい空気になってしまった。

 

 それ以降はドミノ倒しを見ているかのようだった。

 増え続ける残業、体調不良により倒れる仕事仲間、新規参入する人間のスキル不足、終わりだけ決まっているスケジュール、etc……。

 典型的な炎上案件の見本がそこにあった。

 原因をあげればキリがないが、きっと炎上案件になる原因の対策なんて簡単なものなのだ。きちんとクライアントと意思疎通を図り、スケジュール通り進んでいるかを管理し、社員の体調を気遣う。


 これだけでいいのに。

 これだけすらできなかった。


 話が長くなってしまったが、これでようやく自分がどのような状況にあるかわかってもらえただろう。

 まさしく自分はそんなデスマーチ真っ最中の社畜であり、珍しく明日は休日でゆっくり休んで撮り溜めたアニメを消化して美味しい料理を食べようとぼんやり思っていたのだ。

 死ぬつもりなんてさらさらなかった。

 これでもデスマーチ中でも体調を気遣っていたし、多少は慣れていたから大丈夫だと安心しきっていた。

 そんな気の緩みが祟ったのだろう。

 ぼんやりと明日の楽しみを妄想しながら赤信号が青信号に変わるのを待っていた。変わったと思っていた。

 気付いた時には――横断歩道を赤信号で渡っていた。

 プップーというクラクションの音がけたたましく鳴り響く。

 うるさいな。こんな夜なのに迷惑を考えろよ。まったく働いていない頭と本能が危機を認識したのは、目の前に煌々と光るライトが目に入ってからだ。それでも、反射的に避けようとしたわけだが、あまりに突然のことで足がもつれてその場に倒れた。端から見てもまず助からない状況になったに違いない。

 まったくデスマーチ――死の行進とはよく言ったものだ。

 死ぬつもりのない人間すら死に誘うのだから。


 死の覚悟なんてまるでできていない。

 明日はせっかくの休日なのだ。楽しみさえあった。

 なのに、人の命というのはこんなに呆気なく消えてしまう。

 あぁ、畜生。これが走馬灯というやつか。

 人生を振り返るほどのものではないが、つまらない考えだけは浮かび消えていく。

 せめて死に際の願いが叶うことがあるとするのであれば、今ここで一つだけ願っておこう。

 ぜひとも来世ではデスマーチをするようなブラック会社だけには勤めませんように。冗談でもなんでもなく、いや、マジでお願いします。


 というわけで、自分こと零一(れいはじめ)はデスマーチによって死んだ。

 話はここで終わる。

 話はここから――始まる。


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