浮舟亭
お暇潰しにどうぞ~(^-^)
早朝のまだいくらか冷たい空気の中を滑るようにして、雲ひとつ無い青空から飛来した小さな竜が、宿屋の軒先に吊り下げられた屋号を示す看板の上にパサリと翼を休める姿が目に留まり、玄関先でホウキを手に掃き掃除をしていた少年が、屋内でモップがけをしている相方に報せるべく声を張り上げた。
「ターマタマタマー、おーいタマ!伝書竜が来たぁ!」
変声期前の少年特有の透き通った声が戸口に響き渡る。
すると数拍置いて宿の奥からパタパタと軽い足音が聞こえ、呼び出した方と同じ年頃の少年がモップ片手に姿を現した。
もう片方の手にはあるものが握られている。
「誰の竜?ミケ、早いとこ手紙を受け取ってやれよ」
「ヨシヨシ。あ、その干し肉くれ」
使役するため人間によく馴らされた竜は甘えた声でクルルと一声鳴いた後、ご褒美の干し肉をパクリと口にくわえるとタマと呼ばれた少年の頭の上に居場所を変更。
クルルックー。
更に嬉しそうに鳴いてからあむあむと肉の咀嚼を開始し始めた。
「あーこいつ、コム兄ィのとこのドットだ。んじゃー手紙の差出人はコム兄ィで決まりだな」
「チクショー、なんだよオマエ。いつもいつも人の頭の上に乗っかりやがって、降りろよ!コラ!!」
「やっぱ、ちびっこくても竜だよな。キラキラしたもんが好きなんだろー?おまけにフカフカしてっから、タマの頭を巣か何かと思ってんじゃね?」
「うがー!!」
そのタマと呼ばれた少年の髪色は実に派手なものだった。
柔らかそうなウェーブのかかった銀灰色の地毛に純白のメッシュが混じり、キラキラキラキラと光を反射しまくって遠目にもなかり目立つのだ。
「派手さ加減ならミケの頭だってたいして変わんねーだろー!」
「いやホラ、そこはやっぱ光り具合というか?」
そして相方に指摘を受けたもう一人の少年の方はといえば、なんと左右の頭部でオレンジと白、ついでに前髪がピンクというキテレツ極まりない配色の髪色をしており、かなり長さがあるその髪をツインテールに結っているため、こちらは一見どころかニ見三見しても少女にしか見えない。
ちなみにどちらの髪も天然物だ。
「その手紙、何て書いてあんだ?」
「どれどれえーと…『月末辺りに帰還するから、いつもの部屋を使えるようにしといてくれ』だってさー」
「ああ、“出稼ぎ組”が帰って来んのか。ハイネのおっちゃんに知らせとこうぜ。いちおーあれでも浮舟亭の亭主だし?」
「だなー」
二人の子供は顔を見合わせてクスリと笑った。
そして“いちおーあれでも”と言われた亭主は現在、厨房で調理器具を相手に格闘していた。
「……卵は…ちと焦げたが、まぁ食えんこたぁない。スープは…塩が足りんか?とと、塩が無ぇ。んじゃあ代わりに酢か粒辛子でも入れて味を変えてみ」
「「━━━━━おっちゃん、やめてくれぇええっ!!」」
調理場に立つ男の恐ろしい呟きを耳で拾い上げた少年二人は、血相を変えて自分達の保護者兼雇用主に詰め寄った。
「朝飯ならオレらが作るし!ハイネのおっちゃんは皿でも数えててくれればイイからさ!」
「そうそう、ミケが!」
「オマエも手伝え、タマ!!」
「味見は任せろ!」
「お前ら…、そんなに俺の飯が嫌かよ…」
厨房に駆け込んで来るなり息の合った漫才師のようなやり取りを交わし始めた従業員二人を目にして、“いちおー”の亭主を務める男はガックリと肩を落とした。
「俺のマズ飯のせいで宿の客足が遠退いちまってんのは、まぁしょうがねえ…。だがせめて身内に食わしてやれる程度の腕は磨こうと思ってだな……」
ハイネは無精髭がトレードマークという冴えない風采の四十ではあるものの、案外と世話焼きでお人好しな一面があり、訳あって同居するに至った身寄りの無い天涯孤独の従業員達からは大層なつかれている。
「気にすんなって、おっちゃん。いずれオレ達がおっちゃんを食わしてやれるようになるからさ!」
「そーそー。あと五年もすりゃ老若男女を問わず引っ掛けて来れるようになるって。オレはどっちかってゆーと年上美人が好みだけど、ミケなら男もイケる!」
「おっちゃんは寸止めで現場に乱入して『オウオウ、俺様のナワバリでよくもフザケた真似をしてくれたなあ!』つって凄んでくれりゃあイイからさ!」
にこやかにトンでもない台詞を吐いた子供二人の頭の上に、特大のゲンコツが落ちたのは、まあ当然だろう。
「クソガキ共が。てめえら俺に美人局をやれっつってんのか!!」
「イテテ…やだなー、ジョーダンに決まってんだろー?なあミケ」
「なぁ?オレは男はお断りの方針で行くぜ」
のらりくらりとした会話の応酬はいつもの事。
そしてこの二人は苦労の多い生い立ちから、声変わり前のお子様とは思えない程に擦れていた。
「いいか、タマ、ミケ。お前らのその手の冗談はシャレにならんから絶対にヤメロ」
ここで亭主が顔付きを真剣なものに切り替えた。
語る語気にも厳しい叱責の響きが混じる。
「だいたいお前ら、テメエの顔がどんなに非常識な面なのか解ってんのか!!」
「「…………」」
子供二人は揃って視線をさ迷わせた。
『非常識な面』とはあんまりな表現ではあるが、実際そんな感じなので反論も出来ない。
タマとミケの二人は現在の環境に落ち着くまで、あちこちの国で路上生活を送るいわゆる路上生活者だった。
生き延びるためやむなく犯罪紛いの行為にも手を染めながら、なるべくひっそりと目立たぬよう必死になって命を繋ぐ日々。
一度奴隷商人に捕らえられ自分達の容貌に法外な値が付けられた事を知ってからは、殊更慎重に振る舞うようになり、あえて見た目を汚し偽装してやり過ごす事も覚えた。
そこから更に、逃げたり捕まったり売られたりを何度も繰り返し、たまたま自由の身でいた時に知り合ったハイネを金蔓認定。その帰郷に同行する形で現在住む町に移住、現在に至る。(ダイジェスト版により細部は割愛!)
そして話は戻るのだが、子供二人の見た目、コレが問題だった。
二人の子供と出逢った当時、ハイネは自分の拾った浮浪児のあまりの汚れっぷりに丸洗いを実行し、高級品である石鹸を惜しみ無く使って磨き上げた結果、この世のものとも思えない美貌(笑)の生き物を顕現させてしまう。
容姿が整っている、などという生易しいものではない。
汚れきって元の色が判らなくなっていた髪は非常識なまでに派手な色彩を取り戻し、いくらか陽に焼けている肌も一皮剥けて白さが際立つ有り様。
そして、なんと言ってもその“顔”。
お伽噺の中にしか存在していないはずの妖精か仙女を彷彿とさせる、儚げな(大笑い)美貌が目の前に二つも現れたのだ。
細い頤にすっきりとした鼻梁、程よい厚みの唇。溢れんばかりに大きな瞳が、小さな面の上に絶妙な間隔で配置された奇跡のような生き物×2。
丸洗いされ素っ裸で無邪気にジャレ合う二人の子供を見たハイネは思った。
『━━━あ、これダメだ』
素顔を晒したこいつらを連れ歩けば自分は一発で人拐いか何かと勘違いされる、と。
よくて人買い、最悪どこかの御曹子を拉致って来たに違いないと、官憲に付き出される恐れすらある。
さりとてここで放り出すのは問題外、タチの悪い人間の餌食になっておしまいだ。となれば━━━━。
『拾った猫はきちんと最後まで面倒をみるべし』
この後、ハイネの育ての親の家訓が如何なく発揮されたのは言うまでもなかった。
危険物よろしくタマミケの顔をフードやストールで隠しながら人目を避けて旅を続け、半年程前にハイネの故郷であるジグラッドに辿り着いてからは、義母の形見である宿屋を再開させた。
━━━させたのだが。
資金繰りや経営方面の手腕はさておき、宿の要ともいうべきハイネの料理の腕前がズタボロ過ぎた。
一度は料理人を雇ってみたものの、隣で食事処を営む店の味に対抗しきれずそちらに客が流れたため、経費の問題上お抱え料理人はやむなく解雇。
現在のところ浮舟亭に宿泊する客のほとんどが素泊まりで、食事の際は隣の【火竜のカマド】を利用している。
ハイネの幼馴染でもある女将は「浮舟亭のお客が流れて来るお陰で、ウチの売り上げは上々。持ちつ持たれつ!」と上機嫌だったのだが、「どのへんが“持たれつ”なのか」とハイネが余計な一言を言ったところ、夜の閉店間際に酔い潰れて足腰の立たなくなった常連客を押し付けられ、酔っぱらいの介抱をさせられた上で宿代まで踏み倒されて終わった。
教訓。~障らぬ女将に祟り無し~