氷室辰巳の選択~因縁の転校生~
『努力すれば凡人だって天才に勝てる』
誰しも、どこかで一度はこんな言葉を耳にしたことがあるだろう。
しかし、これは必ずしも正解とは言えない。
なぜなら、天才だって努力するからだ。
どちらもしっかりと努力したとすれば、よっぽど運が良くない限り、凡人は天才には勝てない。
なぜなら元々持っているものが違うのだから…。
それでも、かつて――中学時代までの俺は、『努力すればやり方と運次第で凡人も天才に勝てる』と思うくらいには前向きな性格をしていた。
…まぁ、様々な策を弄したまっとうな頭脳戦や心理戦なら天才やら金持ちやら権力者にだって負ける気がしないと思い込んでいただけなのだが…。
中学生時代の俺は、特に頭がいいわけでも、運動神経がいいわけでも、ましてや何かの分野で特別な才能があったわけでもない。
ただ少し小細工を弄して他人を出しぬくのが上手かったに過ぎなかった。
『世の中やり方次第。持って生まれたものの差なんてやり方一つで簡単に埋められる。』
当時の俺はそんなことを自慢気に口走っていた。
“奴”に手も足も出ず、惨敗を喫するまでは…。
「それにしても君みたいな頑張って努力してる凡人は可哀そうだよね。だって僕みたいな『元々持っている人間』が同じように努力したらもう勝てなくなっちゃうんだから。
――君って、僕みたいな『元々いろいろと持ってる』のに努力したり工夫する人間を語る上での最高の噛ませ犬だよね。」
“奴”は長くサラサラとした長髪をかき上げながら、ニヤニヤしながら人を小馬鹿にしたような嫌味ったらしい口調で貶してきた。
そして。完膚無きまでに打ちのめされた後に、嘲笑交じりに投げかけられたその言葉は、俺の心をへし折り、俺の性格をさらにひねくれさせるには十分だった……。
※※※※
「――ろ、氷室!!」
「んあ?」
大声で名前を呼ばれ、急に現実に引き戻される。
……しまった、寝てたのか。
一学期が終わり、夏休み明け初日の授業。未だ夏休み中の自堕落な生活が抜けきっていない俺は、誰もが恐れる大井先生の授業にも関わらず、ガッツリと眠ってしまっていたようだ。
とりあえず、現状を確認しようと周りを見渡してみよう。
「よお、氷室。私の授業で居眠りかますとは、なかなか度胸があるじゃねぇか!ああ?」
少し離れた位置には心配そうにこちらを見やる習志野。
後ろからは呆れた表情でため息を漏らす巨乳…市川。
そして…目の前には…目を細めて上から睨みを利かせている我らがボス、大井先生の姿が……
「せ、先生、僕はただ少し長めの瞬きをしていただけで、決して寝ていたわけでは……」
「ほう、そうか。それならこの私が直々にもっと長い瞬きができるように手を貸して――」
「すみませんでした!!」
手をポキポキさせながらさらに目を細めるボスの姿に、勢いよく立ち上がってお手本のような謝罪を繰り出してやった。
――とりあえず謝っておけば被害は最小限に済むはずだ。まぁ、最悪廊下に立たされるくらい――
「謝って住むなら警察なんていらねぇんだよ!」
「ぐはっ!」
とても教師が発したと思えないセリフを叫びながら、俺の腹に渾身のボディブローを打ちこんできた。
完全に謝り損だった。
「今回はしっかり謝ったことだし、一発で勘弁しておいてやろう。本来なら病院送りだぞ?――さっさと廊下に立ってろ!」
……マジで謝っておいて良かった!
自分の行動が間違っていなかったことを再確認しながら、俺は授業の残り時間を廊下で過ごした。
キンコーンカーンコーン
しばらくぼーっとしていると、授業の終わりを告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
教室の中からはガタガタと椅子を引く音が聞こえてくる。
どうやら授業が終わったらしい。
「とりあえず先生に謝りに行っとくか。」
面倒臭いが、あの人の怒りをさらに買うよりはマシだ…。
そう思い、しぶしぶ教室に入ろうと、扉に手をかけると、
「たっくん!大丈夫ですか!?」
俺が開く前に扉は勢いよく開かれ、一人の女子生徒が飛び出してきた。
「たっくん、怪我はないですか?痛みは?病院行かなくて大丈夫ですか?」
その少女、習志野栞は一人テンパりながら俺の体を案じている。
「いや、とりあえず今のお前よりはよっぽど大丈夫だ。」
「そうですか!それなら良かったです!」
普段通りの俺に安心したのか、習志野は少し落ち着いた様子で笑った。
――一応皮肉のつもりで言ったんだが…。まぁ、この純粋さがこいつのいいところでもあるんだが。
そんな自分のパートナーの姿に思わず苦笑してしまう。
……ふと、背後から視線を感じ、嫌な予感しかしないが、恐る恐る振り返ってみる。
「氷室、お前はよっぽど私の拳を体感したいようだな!お前は廊下に立ちながら、私を怒らせる方法でも考えてたのか?あ?」
案の定、そこには冷酷な目をした大井先生が佇んでいた。
「いや、俺は習志野に容態を報告していただけで、別に――」
「黙れ」
「ごふっ!」
「たっくん!!」
いい終わる前に、本日2発目のボディブローを喰らう派目になった。
一日二度怒らせると最早言い訳すら許されないらしい。
この情報はうちのクラスにとっては重要なものになるだろう。
「お前には罰として反省文を書いてもらう。」
「反省文って…」
『小学生じゃないんだから』と言おうとしたところで、先生の殺意のこもった目を向けられ、寸前のことろでその言葉を飲みこんだ。
「…すぐに書かせていただきます。」
「おう。」
素直に返事をすると、大井先生はカッコよく踵を返して職員室に向かっていった。
※※※※
「というわけで、今現在、俺はこうして反省文を書いている、というわけだ。だからお前らなんかに構ってる暇はない。さっさと帰って二人仲良く遊んでろ。」
大井先生から追加で言い渡された反省文を書きあげるという重要ミッションに取りかかろうとしていると、二人の男女がしつこく話しかけてきた。
「誰がこんな奴と仲良く遊ぶもんですか!!っていうか重大ニュースなんだからちゃんと聞きなさいよ!!」
その二人の女子の方、圧倒的な巨乳がトレードマークの美少女、市川凛が不服そうに反論してきた。
「辰巳君は相変わらずツンツンしてるねぇ。まぁ、そのツンツンしてるところも良いんだけどね。あっ、勿論貴重な巨乳ツンデレ枠の凛ちゃんのことも大好きだよ♪」
男の方、葛西寛人もそのチャラそうな外見といつも通りのヘラヘラした口調で冗談交じりに言い返す。
…そして、いつも通り、市川をからかった挙句、彼女の怒りを買って殴られている。
「皆さん、たっくんの邪魔しないでください。今集中してるところなんですから。早く反省文を終わらせてもらわないと私との夫婦の時間が減ってしまうじゃないですか!」
そんな二人を割って入る我がパートナー、習志野も平常運転だ。
(一々訂正するのも面倒だし、最後の一言は聞かなかったことにしておこう。)
――相変わらず騒がしい連中だ。まぁ、最近はこんな光景にもすっかり慣れてきたわけだが…。
「…まぁ、いい。どうせ用件が終わるまで大人しくなりそうにないしな。――用があるならさっさと言え。」
俺はそんな彼女達に諦めが籠った目を向けながら、聞き返す。
無視し続けてもこいつらはお構いなしだ。
経験上、この場合はさっさと用件を済ませておいた方が早い。
「さすが、辰巳君。物分かりが良くて助かるよ。」
「ふん、どうせ聞くなら最初から聞いておきなさいよね。」
市川はトゲのある言い方をしつつも、顔はどこか嬉しそうだ。
こいつ、どんだけ喋りたかったんだよ…。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど…あんた隣のクラスに転校生が来るって話知ってる?」
市川が身を乗り出しながら質問してくる。
おかげで俺は視線が彼女の胸にいかないように、自分の煩悩に打ち勝つので精一杯だ。
「いや、知らん。」
何とか欲望に打ち勝ち、市川から視線を反らしながら返答する。
「ほらぁ、だから言ったじゃん。辰巳君がそんな情報をいち早く入手してるわけないじゃん。辰巳君が知ってるなら僕達みんな知ってるよ。」
「おい葛西、お前は俺に喧嘩を売りに来たのか?もしそうならお前にもボディブロー喰らわしてやるぞ…大井先生のな。」
「ははっ、そりゃ怖い。」
なぜだろう。こいつと喋っていると自然と拳に力が入る。こいつはそのうち痛い目に遭うだろう。いや、痛い目に遭え!
それはそうと、転校生か…。
そんな情報聞いていないが、時期的には二学期が始まったばかりの今なら、なくはない話だよな。
「うーん、氷室なら何か知ってると思ったんだけど…。」
「いや、むしろ何で俺なら知ってると思ったんだよ。お前の中での俺って、そんなにゴシップ情報に詳しいキャラなのか?」
「いやいや、あんたがゴシップ通なら世の中の半分以上がゴシップ通よ。」
こいつ、なかなか失礼だな。だが、友達がおらず、普段の情報源が乏しい俺としては全く反論できない!
「ただ、その転校生があんたと同じ中学の学区らしいから、もしかしたら何か知ってるかもって思っただけよ。」
「なるほど。まぁ、どっちにしても基本的に他人には興味なかったし、よっぽど有名人じゃないとしらねぇけどな。」
実際、中学時代で今でもしっかり覚えている奴なんて両手で数えられるくらいの奴しかいない。
「なんだ、やっぱり辰巳君って中学時代からひねくれたぼっちだったんだ。」
「おい、お前やっぱり喧嘩売ってんだろ。」
「でも珍しいですね。確かこの学校って基本的に編入は認めてないはずなんですが…。」
俺が今度こそはと思い、葛西を大井先生の下へと連行しようとしていると、ふと、今まで黙っていた習志野が口を開いた。
「習志野、お前がそんなこと知ってるなんて意外だな。ちょっと見直したわ。」
「と、と当然です!たっくんが通うと聞いてから、この学校のことは入念に調査しましたからね!他のことは知りませんが、たっくん絡みのことならおおよそ把握しています!!」
「お、おう、そうか。」
予想外の人物からこの学園の新事実を知らされ、少し驚いた。
当の習志野は急に褒められたからか、少し慌てつつも得意気に、思わずひきつった表情になってしまうような理由を口にした。
……まぁ、それはともかく、編入認めてない学校に転校ってことは、その転校生ってのは相当すごい奴なんだろうな。
同じ中学で有能な奴……。
「まぁ、本当に転校生が来るのかもわからねぇし、今からあれこれ考えても仕方ねぇだろ。」
俺は自分に言い聞かせるようにそう言った。
同じ中学、そして優秀な人間…一人思い当たる奴がいたのを無理矢理考えないようにするために…。
しかし、数日後。嫌な予感は的中した。
「何だ?なんかやけに人だかりができてねぇか?」
昼休み。ふと教室に出た俺は、隣のクラスの前がやけに賑わっていることに気付き、隣を歩く習志野に問いかける。
「今日隣のクラスに転校生が来たらしいですよ。昨日のホームルームで先生が言ってたじゃないですか。」
そう言えば、昨日のホームルームはずっと寝てたんだったな。
(勿論、先生には見つかり、再び反省文を書く羽目になったのだが…。)
「マジか。まぁ、若干気になるが、この人だかりの中無理して見る程じゃないな。」
「そうですね。また今度見ましょう。」
そう言って、俺達は人だかりを避けるようにして、隣のクラスを通り過ぎようとした。
しかし……
「あれ?氷室君じゃないか!」
人だかりの中から急に俺の名前を呼び声が聞こえた。
その場で立ち止まり振り返ると、その声は「ちょっとごめんよ」と言いながらこちらに近づいてきた。
「!!」
そして、その声の主を目にした俺は驚きのあまり目を見開き、絶句した。
――男のくせにサラサラとしている長髪、前髪をかき上げる仕草、肌は少し浅黒いが整った顔立ち、そして、独特の嫌味ったらしく挑発的な口調……。
「やぁ、中学の時以来だね、氷室君。」
「……酒々井!!」
気付けば、俺は改めて笑みを浮かべて話しかけてくるその男を――中学時代、俺の心をへし折ってくれた因縁の相手を――敵意を込めた目で睨みつけていた…。




