脅し
「カズヒロ、お前、今日は部屋から出るな」
ハルは唐突にカズヒロにそう告げた。
「何ですか? それ?」
あまりの言葉にカズヒロは思わず聞き返した。
「今日は見回りに出なくていい。事務所にも入るな。俺はヒロ子さんに話がある。お前の事はきっちりあきらめてもらうんだ」ハルはカズヒロに視線も会わせずに言う。
「今までだって、話してきたじゃないですか」
「今日はちょっと違うんだ。いいか、今日は何があってもお前は口をはさむな。顔も出さなくていい。なんならまた、トイレにこもってもかまわないぞ」
言葉は冗談交じりだが、目はとても笑えない表情でハルは言った。
「アツシ、悪いがお前もカズヒロを見ていてくれ。絶対口をはさませるなよ」
そう、アツシにも念を押す。
アツシは返事はしないものの、ハルの顔を見据えている。おそらく了解したのだとハルは受け取った。
やはりヒロ子は今日も現れた。今日は事務所もおかみさんに頼みこんで人払いしてある。
ハルは一人、事務所でヒロ子を待っていた。いつもとの様子の違いに、ヒロ子も戸惑ったようだ。
「どうしたんですか? カズヒロは?」当然、ヒロ子はそう聞いてきた。
「今日はカズヒロは出てきません。俺から、あなたにお話があります」
ハルはそう言って切り出した。
事務所の外ではアツシやカズヒロ、おかみさんが聞き耳を立てている。
「あなたには悪いが、カズヒロはもうあなたに会いません。気が変わることもありません。何より、俺があなたに会わせません。これっきり、あきらめて下さい」
「なんですって?」ヒロ子の目がつりあがる。
「どういうことです? 私はここの組長さんと約束したんです。カズヒロの気が変われば、連れ帰ってもかまわないと」
「もう、カズヒロは気が変わる事はありません。あいつはここで杯を交わしました。半年以上もここになじんできました。見回りも、喧嘩もこなすし、俺に刀まで仕込まれました」
「刀?」
「こいつですよ」ハルは手元の真剣を握り、すらりと鞘を抜いた。
「摸造刀じゃありませんよ。正真正銘の真剣です。人の命さえ奪う事が出来る道具です」
目の前で刀を抜かれて、ヒロ子は息をのんだ。顔色がすっかり変わる。
「俺はカズヒロに、刀の握り方のイロハから、身体にたたき込みました。今だって毎日木刀で稽古をつけています。あいつにはもう、刀の振り方が体に染みついているはずだ。とても堅気には戻れやしません」
「あなたがカズヒロに、こんな物の使い方を教えたんですか?」
「そうです。あいつは堅実型で、確実に腕が上がっています。俺にとっても最高の弟子になる。俺はあいつを手放す気はありません」
「あなたがあの子を堅気に戻れない人間にしたと言うんですか?」
「普通の人間は人を斬る道具の技術なんか持ちやしませんよ」
嘘だ。ハルさんは人を斬る事なんか教えたりしない。
カズヒロは思わず事務所に飛び込みそうになるが、アツシとおかみさんに抑えられて踏みとどまった。アツシが口元に「シッ」と、指をあてる。
「もう、カズヒロの事はあきらめて下さい。あいつはこっちの人間です」
ハルはきっぱりと言い放った。
ヒロ子はやや気が動転しているようだ。いきなり刀を見せつけられて、冷静ではいられなくなっている。
「とりあえず、その物騒なものをしまっていただけませんか?」
平静さを取り戻そうと必死になりながらヒロ子が言う。
「そうですね。こんなもので素人さんを脅かす気はありません」
そう言ってハルも刀をしまう。しかし、ヒロ子の視線はどうしてもしまわれた刀の方へ行ってしまう。
「しかし俺はこんな物をあいつにたたき込むのが役目です。ここがどういう所かあなたにも少しはお解りになったんじゃないですか?」
「……だからこそ、あの子をここから連れ出したいと言ったら?」ヒロ子は気丈に言う。
「言ったはずですよ? 俺はカズヒロを手放さないと。もう、あきらめるしかないんですよ。さっさとここから出て行って下さい」
「いやよ! カズヒロに会わせて!」ヒロ子が叫んだ。
するとハルがヒロ子の腕をつかんで後ろ手に回してしまう。動こうとすると痛みが走って、ヒロ子にはどうする事も出来ない。
「俺の腕っ節はあなたも知ってるはずだ。いつまでもここにいると、痛い目に会う事になりますよ」
「放してよ……」
「だったらここには二度と来ないでください。それとも本当に痛い目に会いますか?」
そう言ってハルはヒロ子をいったん離したが、すぐさま近寄ると
「それとも、別の怖い目に会いたいですか?」そう言ってヒロ子を睨んだ。
ヒロ子はがくがくと震えながら事務所の出入り口の戸に目をやった。ハルはすかさずその戸を開けると
「帰って下さい」
そう言ってヒロ子を促した。ヒロ子は外に飛び出していく。
「姉さん!」慌ててカズヒロも後を追って行った。
「えらく荒っぽい手を使ったな。お前らしくもない」アツシがハルに声をかけた。
「お前も後を追ってくれ。カズヒロだけじゃ心配だ」
今はあれこれ言われたくないということか。
アツシもそう受け取って、カズヒロの後を追った。
「お手間をおかけしました」ハルはおかみさんにそう言って頭を下げる。
「ハル、あんたがここまでするなんてよほどの事ね」
「このくらいじゃないと、あの人は懲りてくれませんから」ハルが答える。
「ヒロ子さんの事じゃないわ。あんたの事よ」
おかみさんの心配そうな言葉に、ハルは返事をしなかった。
カズヒロは戻ってくるなり、ハルに詰め寄った。
「ハルさん、いくらなんでもあれじゃやり過ぎだ。姉さんは堅気なんです。刀を見せられただけでも縮み上がったはずです。なのにあんな態度を取られて、どれだけ姉さんを傷つけたのか分かってるんですか?」
「重々承知の上だよ。あの人もこれで二度と、ここに近付いたりしないはずだ」
「脅した事を言ってるんじゃないんです。姉さんはハルさんにあんな事言われたくなかったはずです。大体ハルさんは嘘をついたじゃないですか」
「嘘じゃないさ。ほとんどが現実だよ。俺はお前に刀を教え、ここでの生き方を教えている。俺がお前を堅気に戻れなくしたんだ」
「ここにいるのは俺の意思です。だいたいやり方が汚いですよ。姉さんを振るのに俺をダシにするなんて」
「そこまで分かってるなら話が早い。お前をダシにしてここに通って来たのはお前の姉さんの方だろう?」
カズヒロはカッとなってハルにつかみかかろうとするが、ハルはあっさりと身をかわしてしまう。
「なんで、姉さんを侮辱されなきゃならないんです?」カズヒロは怒りで震えながら言う。
「姉さんはいつだって自分の事は二の次にして来た。いつだって俺の事で頭がいっぱいで、自分の望みを叶えようなんてした事が無かったんだ。俺をダシにしてまでハルさんに会いに来るなんて、こんなこと初めてだったのに」
ハルをつかみ損ねて、行き場を失った手を睨みつける。
「それがそもそもの間違いだ。俺みたいな男に近付けば、世間は見る目が変わる。お前は侮辱だというが、このままじゃヒロ子さんはそういう目で見られる事になるんだぞ。お前、それに耐えられるか?」
カズヒロは虚をつかれた。正直そこまで頭が回っていなかった。
「ヒロ子さんはお前を迎えに来た。しかしお前は拒絶して、おまけに組の男に脅された。それで泣く泣くあきらめたんだ。これなら他人もとやかくは言わないだろう。もう、それでいいじゃないか」
「姉さんの気持ちはどうなるんです」
「そのうち落ち着くさ。それにあれだけの美人、他の男がほっとくもんか。お前も戻ってこないとなれば、彼女もあきらめて周りに目を向けるようになるだろう。そうすれば俺よりマシな男はゴマンといるさ」
ここまで聞けばカズヒロにも分かる。やっぱりハルさんも姉さんの事を想ってるんだ。それも自分が考えていたよりも深く。そこまで姉さんの事を考えて、あそこまでひどい態度を取ったんだろう。
「ハルさんみたいな男、そうざらにはいませんよ」カズヒロは素直に言う。
「それに、姉さんだってハルさんが考えているほど、簡単な女じゃありませんよ。今度の傷は深いかもしれない」
カズヒロは気の重い声を出して言った。