聡次郎
新入りは十代の少年。そう聞いた時はハルも戸惑ったが、実際に聡次郎に会うとその若さに驚いてしまう。
親を亡くして間もないせいか、表情が途方に暮れている。それが余計に幼く見せているのかもしれない。
カズヒロの時は憧れが先に立って希望に満ちた目をしていたが、聡次郎は他にすがる所もなく、必死に自分の行き先を探しているかのようだ。行き場がないというより、心の置き場が見つからずにいるのだろう。
正直、組長の話しを聞いた時は断ろうと思っていたが、聡次郎の姿を見てハルは気が変わった。
こいつの面倒を見てみよう。少なくともしばらくの間は様子を見てもいいだろう。何故かそんな気になった。
翌日、聡次郎とうまくいかなかったという親戚の家に連絡を入れてみたが、散々文句といい訳は繰り返すものの、結局聡次郎を連れ帰るとは言わなかった。むしろ、二度と連絡をよこすなとさえ言っていた。
これでは聡次郎に話すわけにもいかない。このままここで暮らさせるのが、いちばん平和にまとまりそうだ。ハルは腹を決めた。
若いだけあって順応性は高かった。その日のうちにハルに懐いたし、反応も素直だ。数日間、組の雑用をこなすうちにすっかり組になじんでいる。本人は行き場のない中で必死なのだろうが、あっという間にその場に溶け込んでしまえるのは、やはり若さなのだろう。
しかしハルは、聡次郎の才能に気が付いた。剣道をやっていたせいで、筋がいいのはもちろんだが、実際に刀を持たせたときの姿勢も動きも目を見張るものがあった。初めは単純に喜んでいたが、何度か喧嘩を重ねるうちに、ハルは聡次郎に深刻な問題がある事に気付いてしまった。
「あいつはおそらく、天才です」ハルも少し、興奮していた。
「天才?」あまりのハルのいいように、組長やアツシも戸惑う。
「あいつは初めて刀を見た時も全く脅えなかった。むしろ綺麗だと見とれていたぐらいだ。初めて握った時もまるで緊張していなかった。むしろ動きに切れが増していた。刀の重さがかえって体になじんでいるんだ。あれは教わった理屈なんかじゃない。生まれついての才能だ。天から才能が与えられているんだ」
弟分について語っている気がしない。まるで、素晴らしい刀を見つけて、その特徴を説明している気分だ。
「あいつが自分の事に気づかないままここに来たのは俺達にとっては運が良かった。他の組織や、殺しのプロの元へ行っていたらと思うとぞっとする」ハルの腕に鳥肌が立った。
「それほどの才能か」組長が唖然とする。ハルは頷いた。
「あいつは組の最大の武器になるかもしれない。しかしとんでもないもろ刃の剣にもなりうる」
「問題があるのか?」アツシが聞いた。
「大アリだ。心がついていってない。若い分素直なのはいいが、あいつは結構気が小さそうだ。刃物の本当の恐ろしさも分かっていない。それでいて生死のやり取りをする時の恐怖感だけは本能的に感じ取っている。もともとあいつは心に逃げ場をなくしてここに来たが、あいつの才能がそれをさらに悪化させている」
「あの若さじゃな……。落ち着いていろと言う方が無理だ」
アツシは以前、刀を握った時の事を思い出していた。
「しかも悪い事に、あいつも頭に血がのぼる性質だ。カッとなりやすい」
ハルが苦々しげに言う。
三人は黙り込んだ。カズヒロの事を思い出さずにはいられない。
「とにかく、しばらくあいつに刀は持たせられない。もう少し心が成長するのを待たないと、とんでもない事が起きそうだ。俺も腕を上げないといけない。しばらくあいつに抜かれる訳にはいかなくなった」
刀を遠ざけると、やはり聡次郎は次々に問題を起こした。
組長に反発を強め、妹の富士子にちょっかいを出し、喧嘩のたびに暴れ回り、常に傷が絶えない状態になった。
ハルも焦っていた。今のうちに少しでも腕を上げておかなくてはならない。刀の腕ももちろんだが、今度こそ、自分に呑まれるような真似は出来ない。聡次郎をカズヒロの二の舞にはしたくなかった。
そのうち、聡次郎が富士子に気のある様子が見えて来た。富士子が絡むと一層頭に血がのぼるのが一目でわかる。まるで事態があの頃に帰っていくようだ。ハルは聡次郎から目を放せなくなった。
ある日、襲われそうになった富士子を聡次郎が助けに駆け出すのをハルは見た。
聡次郎にカズヒロの姿がちらつく。周りの見えていない目をしている。思わずハルも飛び出す。
「やめろ!聡次郎」
何も考えられなかった。目の前の二人に怪我を負わせたくない。ただそれだけだった。身体が勝手に動いていた。
気付けば腕に傷を負っていたが、ハルはその時何かを手に入れた。
直前までちらついていたカズヒロの姿が消え去った。ハルは無意識のうちに聡次郎にカズヒロの姿を重ね合せていたらしい。その事に、今気が付いた。自分に呑まれまいと肩肘張っていたはずが、すでにカズヒロの幻に呑まれていた事に気が付いた。
俺は昔の俺じゃない。あいつもカズヒロじゃない。聡次郎だ。
聡次郎は自分を抑える方法が知りたいと言って来た。カズヒロのように、性分だからとあきらめたりはしなかった。
俺だって立ち向かえる。聡次郎にも、自分にも。俺が自分に呑まれなければ、そして、もう、呑まれない自信がある。今の内ならば聡次郎の刃を跳ね返せるだろう。しかしこいつに手加減はできない。そんな事の出来る相手じゃない。ひょっとしたらこいつに大怪我をさせるかもしれない。
それでも俺は、こいつを信じてやりたい。きっと乗り越えてくれる。
ハルは全力で聡次郎に立ちはだかった。技は勿論、挑発さえも使った。出来うる限りの弱点を突いた。そして聡次郎は、無事に乗り越えてくれた。聡次郎はハルよりもずっと早く、自分を乗り越えるすべを身につけたのだ。
ハルは心から満足していた。聡次郎にも、自分自身にも。
ところが今度は聡次郎と富士子の間の事が問題になった。組長が身内の情に駆られて反対しだしたのだ。聡次郎はここを出されれば生きるすべはないに等しい。自分はここでの聡次郎の親代わりだ。
組長はとうとう正面切って聡次郎に懇願した。富士子だけはこの世界の者とは一緒にしたくないと言って来たらしい。
そうなると今度は聡次郎と自分の姿が重なってくる。想う相手をこの世界に縛り付けたくないと悩む気持ちは、ハルには痛いほどわかる。しかもそこには肉親の情と言う、いかんともしがたいものが絡んでくるのだ。
聡次郎が明らかに不安定になるのが分かった。以前、自分がヒロ子をはねつけておきながら、感情に流された事が脳裏によみがえる。これは自分が乗り越えられなかった問題だ。どうすればいいのかハル自身が解らなかった。
しかし富士子の覚悟は固かったようだ。組長の身内の情さえものともせずに見せた。こういう時はどれほど若くても女の方が強い事をまざまざと思い知らされた。
その覚悟を聡次郎も受け入れた。富士子の覚悟を何よりも信じた。聡次郎の方が、相手を信じて守りきろうとする心は、ハルよりもずっと強いものがあるようだ。
ハルは聡次郎が誇らしかった。聡次郎の方が自分よりもずっと格上だ。才能は勿論、男としても十分格が上だ。
ヒロ子を傷つけ、突き放すしかできなかった自分のふがいなさが二人を見ると一層悔まれたが、今更どうしようもない。彼女はきっと幸せでいるだろうと、思うほかないのだ。
守る者を得た自信が、聡次郎を一層高みに登らせた。聡次郎はハルを鮮やかに追い抜いて行った。
木刀ではすでにハルを上回っている。お互い癖や、呼吸をよく知っているので、それなりに互角に打ち合えるが、おそらく実力では聡次郎の方が上だろう。今やハルの方が聡次郎に挑んでいる。
たとえ真剣でやりあったとしても、聡次郎と互角に渡り合えるか、ハルにはすでに自信が無かった。
組の裏口で途方に暮れていた少年は、とうとうここまで成長していた。
ハルは自分は本当に弟分に……弟子に恵まれていると思った。最後まで勇敢だったカズヒロ。ここまで大きく成長を遂げた聡次郎。しかも聡次郎はまだまだ強くなるだろう。
自分は聡次郎を追いかけながら、見届けて行くのだろうな。ハルはそう思っていた。
自らの身が、斬り倒される、その瞬間まで。




