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夕暮れ空  作者: 貫雪
1/11

カズヒロ

「カズヒロに、会わせて下さい」


 その女性は哀願するように言った。暑い盛りをようやく過ぎて、夕暮れの風が心地よく感じられるようになったばかりの頃の事だった。


 ハルは困ったような顔をし、アツシはため息をついていた。静江は


「とにかく奥へ」

と言って、女性を自室の方へと伴って行った。


 そんな風にしてその女性、ヒロ子はこの、華風組とかかわりを持ってしまった。



 その年の春に華風組は若い青年を新しく迎えていた。名をカズヒロと言った。


 カズヒロは街で組の中でも腕っ節自慢のハルに助けられたのが縁で、ちょくちょくハルに付きまとっていたらしかったが、ついには


「俺もハルさんと同じ華風組に入りたい」

 と言いだし、ハルを頼って半ば押し掛けるようにやってきた。


 ハルのお節介は元からのもので、特別カズヒロに良くしてやった訳でもないのだろうが、カバン一つでハルのそばから離れずにいるカズヒロに、とうとうハルが根負けしてしまったようだ。


 カズヒロがハルを頼ったのは結局正解で、ハルは組長やおかみさんからの信頼の厚い男だったので、本人の決意が固く、ハルが面倒を見るのならと、比較的すんなりとカズヒロの組み入りが認められた。


 カズヒロは多少血の気の多いところはあるものの、素直で真っ直ぐな気性を持っていた。


 ハルの世話焼きは今に始まった事ではなく、若い新入りはたいていハルの世話を受けていたので、それはごく自然なことと皆、受け止めていたが、ハルの親友のアツシから見れば、今度の新入りはハルと相性がよさそうだと何となく思っていた。実際ハルも


「カズヒロとは気が会うな。稽古をつけても真っ直ぐで余計な癖がない。おかげで飲みこみもいいようだ」と言っていた。


 ハル……春治は刀が得意ないわゆる「刀使い」で、新入りが入るたび、見込みのありそうな者には木刀の使い方を教えてやるのが常だった。こればかりは相性があるらしく、教えた者皆が腕を上げる訳ではなかったが、最低限の身を守るための所作はハルが丁寧に教え込むので、喧嘩騒ぎの多い昨今では組の事情からも、ハルの稽古は必要不可欠なものだった。その中でもカズヒロは呑み込みが良い方らしく


「ひょっとしたらゆっくり教え込んで行けば、あいつに刀を持たせられるかもしれない」

 とハルは言っていた。



 ハルは稽古はつけても、簡単に刀を持たせるような事はしなかった。


 刀を使って身を守れるかは技量が大きくものを言ったし、そもそもこんな世界にいる割に、ハルは刀で人を傷つける事をことさら嫌っていた。


「日本刀は本来一刀両断で物を切る、一発勝負のための物だ。次々と人を襲うような道具じゃない。自らの身を守るのが本来の使い方なんじゃないかと俺は思ってる」


 そんな考えの持ち主なので、ほとんどが護身術程度の稽古になるのだが、それでも実戦で役に立つ以上、ハルの稽古に異を唱える者はいなかった。


 そのハルにそこまで言わせるのだから、カズヒロはハルとの相性だけではなく、ハルの目にかなう何かがあるのだろう。ハルの親友のアツシはそっちの道の事は解らないので、かえってハルのやり方を受け入れる事が出来た。


 一方ハルはハルでアツシに一目置いていた。


 周りには見回りや喧嘩にあまり出る事のないアツシをとやかく言うものもいるが、アツシの根回しがどれほど自分達の役に立っているのかは、組長の様子を見ていれば解る事だ。まだ若い組長をアツシやおかみさんがどれほど支えているかは、少し組の様子に気を配れば解る事なのだが、どうしても目に見えやすい腕っ節に皆関心が集まりがちで、何かとアツシは低く見られてしまう。


 しかしそれにもかかわらず、自分の役目に忠実なアツシをハルには自分には無い能力として、むしろアツシを尊敬さえしていた。


 そう言うハルと相性のいいカズヒロは、アツシにとっても可愛い弟分だ。ハルのように直接世話を焼く訳ではないが、ハルとカズヒロの稽古の時間が多く取れるように気を使ったり、組長にもカズヒロに目を配ってもらえるように、進言したりしていた。


「本当にアツシのおかげで、俺は動きやすい。無駄な喧嘩や、くだらないやりあいもしないで済む。カズヒロ達にゆっくり稽古を付けられるのも、お前の采配のおかげだ」

 ハルはアツシによくこう言っていた。


 もちろん、色々と陰口をたたかれるアツシを気遣ってのこともあろうが、やはりハルはアツシに感謝していた。


「いざとなればお前の腕っ節があるから、俺も安心して根回しできるんだ。お前はここの重鎮だよ」


 アツシはアツシでいつもこう返していた。互いに相手の良さを認める事が出来る、唯一無二の存在として二人は認めあっていて、そんな二人に年若い組長が支えられていたのが、その頃の華風組だった。



 ハルはカズヒロを良く面倒見ていた。もともと世話やきなハルだが、カズヒロとはうまが合う上に稽古の仕込み甲斐もあったらしい。目を見張るようなメキメキとした伸び方はないが、確実に一歩づつ階段を上って行くような充実感が感じられる。仕込む側としては実に手ごたえのある伸び方だ。


「お前は典型的なコツコツ型だな。こっちの世界でなくても上手くやれたんじゃないのか?」

 そうハルはカズヒロに聞いたが


「うまくやれていたら、いくらハルさんがここにいるからって、飛びこんできたりしませんよ。やっぱり俺、ここの居心地がいいみたいです」と答える。


「地道にやれるやつだと思うんだがな。まあ、お前なりに色々あったんだろうが」


「そうですよ。それに俺、早く独りで生きるのに慣れてしまいたいんです」


「人って奴はそうそう一人じゃ生きられないもんさ。ここだって、決して一人で生きる場所じゃない。みんなで守りあって生きているんだ。独りよがりは通用しないぞ」


「分かってますよ。ここを追い出されちゃ、行くところがなくなる。肝に銘じます」


 カズヒロは素直に言う。彼の一番の長所はこの素直さだろう。人の言う事に耳を傾けるので、面倒の見甲斐のある弟分なのだ。だからハルもついついカズヒロには目をかけたくなってしまう。


 カズヒロが来て三月もたつと、だいぶ木刀の打ち込み方もさまになってきた。ハルはいよいよカズヒロに刀を持たせる。


 初めは恐る恐る振っていたカズヒロも、慣れて来るにつれて身体が言う事を聞いてくるようになった。ハルもカズヒロのペースに合わせて、少しずつ身の守り方を教えていく。


 初めての喧嘩の時は、脅えが先に立ってハルの陰に隠れるのが精いっぱいのようだったが、二度、三度と場数を踏むうちにしっかりと戦力になってきた。こうして夏を迎える頃には、カズヒロも組にすっかり慣れて、組の一員として認められる存在になっていた。ハルももちろん喜んではいたが


「ただ、お前はすぐにかっとなる所がある。そこが一番心配だ。慣れて来た今が一番危ない気がする。喧嘩のさなかで冷静さを失いすぎるなよ」と言っておいた。


「自分でも分かってるんですが……こればっかりは性分で」


 カズヒロもそこだけは自分でもどうにもできずにいるようだ。


 性格は簡単に直せるものじゃない。それは良く解るだけにハルはカズヒロの気性が心配ではあったが、出来うる限り自分が守ってやるのが一番いいだろうと、カズヒロに気を使っていた。


 だが、アツシとしては常にカズヒロをかばいながら刀を振るっているハルの方が心配だった。


「ハル、お前の腕は良く知っているが、喧嘩は突発的な事も良く起こるんじゃないか?カズヒロは時には引っ込めて、お前も自分の身を考えて行動しろよ」


「十分気をつけているさ。あいつは今、やっと自信が付いてきたところだ。ここでせっかく付いた自信を失わせたくないんだよ」ハルはつい、カズヒロをかばう口調になる。


「カズヒロだってお前にかばわれっぱなしじゃいつか辛くなるぞ。なるべく冷静になれる工夫をさせた方がいい」


 こんな会話をしていると、周りの物が茶々を入れて来る。


「ハルに一番かばわれているのはアツシじゃないか。ハルの陰から出てこない癖によく言えたもんだ」


 しかしこんな時でもアツシは余計な反論はしない。組の中での喧嘩騒ぎはご法度だ。しかしそれで不快な思いを強く感じるのは、ハルや、カズヒロの方であった。


「俺にアツシさんの半分の我慢強さがあればなあ」カズヒロは言う。


「アツシは我慢しているんじゃない。自分が一番活かせるやり方をしている自信があるから、無駄な挑発に乗らないんだ。あれがあいつの武器なんだよ。俺達が刀を握るのと同じさ」


「それは俺にも必要な武器ってことでしょうか?」


「そうさ。俺にも、お前にもだ。俺達がそれを手に入れれば、あいつの負担はずっと少なくなる。そう言う事の意味を考えながら、俺は刀を振るいたいんだ」ハルは考え深げに答える。


「お前にもそう言う事を教えられるようになりたいんだ。冷静になるってのは我慢じゃない。常に自分にのまれない心を鍛えるってことなのさ。そのために俺達は稽古をしているんだ。きっと手に入れられるはずだ。俺達の武器が」


 それがハルの刀を持つ時の姿勢だった。


 そんなハルの真摯な姿勢に、誰もが信頼を寄せ、親しみを感じてしまうのだ。


 ここに来てよかった。カズヒロはつくづくそう思っていた。ハルを頼って良かったと。



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