第4章 例えば樹海を泳ぐ魚のように、ゆったりとした時間をください。
とうとう予定の日がやってきた。
手術が始まる。
私たちの会話はその後も途切れ途切れで少しだけだった。
話すたびに優はくしゃっとした笑みを浮かべてから会話をやめた。
なんてゆうかむしろ私を安心させるために笑っているような、少し無理をしているような不思議な微笑みだった。私はいつもつられて笑った。笑っていないとバランスが崩れるようなきがしたから――。
私は祈るような気持ちだった。
優は麻酔をかけられ、ベッドに寝かされて手術室へ運ばれていった。
私が手術室の前までついていったわけではないけれど、ちゃんとそれぐらいは知っている。
優は部屋から出て行くときこっちを見て笑った。
私は少し泣きそうになった。
でも、泣くわけにはいかないから精一杯笑った。
すごい泣き笑いになっていたと思う。
でも優は少し嬉しそうだった。
私は優が手術をしている間全くの一人だ。
優がいなかったとき自分はこんな生活をしていたんだと思った。
誰とも話さない時間は異様に長く感じて、数時間が数週間のようだった。
――優が退院しても、たまに遊びに来てくれると嬉しいな。
そう思った。だけど優は来ないだろう。
だって私は本当に意地っ張りで全然優の『友達』にはなれなかったから。
後三日たてば私の病室から優は消えて、私だけが残る。
ちょっと淋しいかもしれない。
そんなことを考えていた。
現在時刻11:30。もうそろそろ優は病室に帰ってくる。
そんなときだった。
不意にコンコンという音がして、ドアが開いた。
女の人が入ってきた。
「優君いますか?」
私にそう問い掛けた。
今までの優への見舞い客とはちょっと違う。
少女って感じよりも、女の人といったほうが正しそうなちょっと大人っぽいけどお洒落じゃなくて、髪もボサボサっとした、地味なかんじの人だ。
「今手術中なんですけど・・・」
私の声は我ながら少し固いなと思った。
「じゃあ、貴方でいいわ。お喋りしない?」
「・・・はぁ」
普段の私なら「帰ってよ」というはずだった。
でもこの日は優がいなくてほんの少しタイクツだったからつきあってもいいと思った。
それになんか雰囲気がちょっと空気と違って気になった。具体的には言えないけれど、何かがちがう。風景と馴染んでいないのだ。
「名前、アスカさんであってるわよね」
「――っ!!」
この人はなんで私の名前をしっているのだろう。
驚きすぎて口から言葉が出てこなかった。
「優と仲良いの?」
「・・・まだ合ったことないんですよ」
本当に驚いた。私の事を知っているだけでも十分驚くことなのに、実は優にもあったことがないらしい。話してみるとわけのわからない、得体の知れない不気味な感じで逃げ出したくなった。
「私と話したこと、後悔してるでしょう」
「何で分かった」
私は思わず布団を握り締めて少し後ろへ後ず去った。
「顔にそう書いてあるわよ」
「・・・・・・」
私は隠し事をしたことがなかった。今まで親以外と話すことがほとんどなかったから隠す必要がなかったのだ。最近優とばかりいたせいで自分がなにもわからないと言うことをすっかり忘れていた。
「あなたは・・・っ」
またカチャリとドアの音がした。
何が入ってくるかと私は気を引き締めた。
いつものちょっと見ようによってはへらへらとした笑顔がそこにはあった。
人が来てこれほど安心したのは初めてだった。
「優君ね?初めまして。以後お見知りおきを、なんてね。そんなに長く知っておく必要はないわ。忘れたかったら私が消えた後すぐに忘れて」
「・・・?初めまして」
優のこんなに隙のない姿は見たことがない。笑顔だけど少し強張っていた。
「私長話は嫌いなの。要点だけ言うわね。とりあえず人は私を預言者とか運命を握る者とかそんな呼び方をするわ」
そう言っていろいろなことを一時間弱くらいかけて説丁寧に説明した。
私は常識を知らない方だと思うけれど、こんな常識を持っている人はまずいないというような話だった。要点だけを軽く説明すると、このままだととりあえずマズイということだ。
なんでも、人にはやっぱり決められた運命というやつが存在するらしい。その運命だと私たちの関係はもっと違うものになっているはずだった。けれど予定と違う方向に進んできている。これがどんどん違うほうにいってしまうと、狂ったものの帳尻を合わせるために予定が全て変わってしまう。もう書き換えが始まっていてそれは確実に他人を傷つける結果になるそうだ。けれどまだやり直せる。でもやり直すと私と優は今より不幸になる。自分はよく考えて選ぶチャンスを与えにきた。
他にも細かいことをいろいろ言っていたけれど、はっきりした予定だけは教えてくれなかった。
私たちの選択肢はいくらでもある。
嘘だって笑い飛ばすのもありだろうし、世界中を不幸にしても自分たちだけが幸せなんて思うのも自由だ。今日見たのが幻だって思うのだって可能かもしれない。
優と私の間に流れる沈黙はすごく軽いものだった。
私はこんな面白いことに遭遇するのはもちろん初めてで、それは優も同じようだった。
すっかりこの状況を楽しんでいた。
遊び半分。おふざけ半分。
まさにそんな感じ。
だって、それで誰かが不幸になるなんて嘘に決まってる。
誰かが気を利かせてつまらなかった私に運んできたプレゼントだと思った。
私たちはもとの運命に向かうことにした。
それは
「外に遊びに行くこと」
私は街中を歩いたことがなかったから、本当にそれは魅力的な話で私からそうしたいと頼み込んだ。
優もここ何日か外に出ていなかったので嬉しそうだった。
私たちは明日外に遊びに行くことにした。