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「んっ」
キスした唇を離してから、もう一度チュって彼女の唇に音を立てる。
美優はちょっと顔を赤くして「トモ、だいすき」って僕に笑う。
「じゃあねっ」
「うん」
短いスカートをひるがえし、帰ろうとした美優が、僕に駆け戻って耳元でささやく。
「テスト終わったらエッチしようね」
ふたつに結んだ髪をぴょこんと揺らして、顔の横で小さく手を振る美優。
僕が手を振り返したら、美優は満足そうな笑顔で走って行った。
エッチしようね……か。
誰もいない公園を出て、住宅の間を歩く。
上手なキスの仕方も、エッチの時の避妊の方法も、聞いてもいないのに勇哉が教えてくれた。
だから僕は周りの中学生より、ちょっとだけ上手く女の子を喜ばすことができる。
だけど……だけどそれだけだ。
うさぎみたいにぴょこぴょこ跳ねる美優はかわいいけど、美優じゃなくても僕はいい。
美優が好きかと聞かれても、たぶん僕は答えられない。
少し歩くと踏切の音が聞こえてきた。だけど今日はどこかが違う。
ああ、そうか。空が青いんだ。
テスト一日前の今日は、授業が午前中で終わりだった。
「トモくん?」
ぼーっと通り過ぎる電車を見送っていた僕は、その声に弾かれるようにして振り向いた。
「やっぱりトモくんだ」
自転車に乗ったまま、僕の前でいたずらっぽく微笑む人は、あの小春さんだった。
***
「もう学校終わったの?」
小春さんが自転車を押しながら、僕の隣を歩いている。
真っ昼間に十歳も年上の綺麗なお姉さんと歩く僕。それはまったく予想外の展開だった。
「テスト前は半日なんです」
「なあんだ。サボったわけじゃないんだ」
そう言って小春さんはあっけらかんと笑う。
なんか、意外と……アレだな。
最初会った時はビシッとしたスーツ姿で、この前うちに来た時は女らしいロングスカートをはいていた。でも今日は、黒いタートルネックのニットにデニムのパンツ。
そしてその格好が、一番この人に似合ってるような気がする。もしかして性格も、勇哉の言うとおりに、さっぱりした人なのかもしれない。
「小春さんこそ、仕事は?」
僕の質問に小春さんはふふんと鼻で笑う。
「あたし仕事辞めちゃったからプーなのよ。ちょっと体調崩してね。この前キミの家に行った時に話したけど?」
そうだっけ? あの日僕はかなり動揺していて、肝心なことを何ひとつ聞いてなかったことに今気づく。
「えっと、じゃあ今日は何しにうちに? 宏哉兄さんなら会社のはずだけど?」
「今日はお母さんに会いに。ほら、この前言われたでしょ? 宏哉がいない時でも、気軽に遊びに来てねって」
だからってその言葉通り、兄さんのいない家に来るかな、フツー?
そう思ったけど、小春さんはにこにこしながら、自転車の前かごに載せてある、お弁当らしき包みを指さしている。
「あっ、でも、トモくんもいるなら、お寿司もう一個買ってくるんだった」
「いや、いいです。俺、お寿司嫌いですから」
「えっ、うそ。こんなに美味しいのに……でも、ヒロとおんなじね」
ヒロとおんなじ……ヒロ……小春さんは宏哉のことをヒロって呼ぶんだ。宏哉の……彼女だもんな。
そんな当たり前のことを考えながら、僕は小春さんと歩く。
遠ざかっていく踏切の音。保育園の園庭で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声。
いつもの道を歩いているだけなのに、なんだかいつもと違っていた。