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「いってきまぁす」
十八歳の僕は、毎日電車に乗って高校へ通う。
「あ、トモくん。悪いけど、帰りにカイのおむつ買ってきてくれない?」
「えー、また?」
玄関先でヒーローになりきって、僕の足に蹴りを入れ続けている海斗を振り払い、七海さんに言う。
「だってあたし、コレだもーん」
七海さんは、まだ膨らんでもいないお腹をわざとらしくさする。
二人目の子供がお腹にできたって話は二日前に聞いたけど、それを武器にやたらと僕を使い回すのはやめて欲しい。
「トモ、買ってきてやりなさいよ。七ちゃんは今が一番大事な時なんだから」
母さんはこの嫁さんを、やたら甘やかしてると僕は思う。でもまぁ、うまくいってるみたいだから、これでよしとするか。
「わかったよ。いってきます」
「いってらっしゃーい」
なんとなく釈然としないまま、ひとつ年上のお義姉さんと、三歳になる甥っ子に見送られて、僕は家を出た。
いつものように踏切を渡る。
毎日同じ顔ぶれが行き交う朝の風景。
ぎりぎり引っかかるように受かった第一志望の高校は、入ってからがきつかった。
周りのレベルが高すぎて、授業について行くのがやっとという現実。
無理してこの学校に入ったことを恐ろしく後悔したけど、落ちこぼれるのはシャクだし、必死で勉強していたら、いつの間にか卒業の時期を迎えていた。
まぁ、やっぱり僕は『やればできる子』だったと、昔の担任の言葉を思い出してみたり。
「トモ!」
中学校の校門前で美優に会う。
「あ、寝癖立ってる」
「時間なかったんだよ」
「今度あたしが髪切ってあげようか?」
「遠慮しとく」
「なによー、これでもあたし、美容師志望なんだからねー」
たわいもない話をしながら、僕は毎朝、美優と駅まで並んで歩く。
別々の高校に通い始めてから、三年間ずっと。
帰りに待ち合わせして会うことも、日曜日にデートすることも、手をつなぐことも、もちろんキスすることもないけれど……。
「あたしこの前、啓介に会ったよ」
野球が強くて有名な、私立高校に通ってるはずの啓介とは、卒業以来会ってなかった。
「なんか超キレイな女の子と歩いてて、あたしに気づいたら『彼女なんだー』って、にやけながら教えてくれた」
「へぇ……」
「トモに会ったら、よろしく言っといてだって」
なにがよろしくなんだか……。
「じゃあ今度また啓介に会ったら、俺からもよろしくって言っといて」
「自分で言えばいいのに」
美優がくすくす笑っている。そして思い出したように、僕に振り向いて言った。
「そういえばさ、そろそろこっちに帰ってくるんだよね?」
「え、誰が?」
「トモの一番上のお兄さんと奥さん。キレイな人だったよねぇ、お兄さんの奥さんも」
胸が少しドキドキするのは、美優が突然その話をふったから。
そう自分に言い聞かせている僕の顔を、美優がいたずらっぽくのぞきこむ。
「トモさー、実はちょっと好きだったんじゃない?」
「だ、誰をだよ?」
「お兄さんの彼女」
「ま、まさか」
「トモって絶対浮気できないタイプだね。嘘つくの超下手だもん。かわいー」
何か言い返そうとしたけど、すべてお見通しのような顔をしてる美優の隣で、僕はあっさりあきらめる。
「でも今は違うから」
穏やかに微笑む美優を見ながら僕は思う。
ほんとにあれは恋だったのか……。
今になってはそんなことさえ曖昧だ。僕はもう二度と、人を好きになれないとまで思っていたのに。