20
「トモっ! 受験票は忘れず持った? 胃薬は飲んだんでしょうね? あんたすぐお腹痛くなるんだから」
朝から母さんは、自分が受験するかのように落ち着かない。
「ちゃんと持ったから大丈夫だよ。じゃあね」
「ちょっとトモ! あんたなら絶対受かるからね! 落ち着くのよ!」
落ち着くのはそっちだろう? まったく……母親ってのは、ほんとに。
そう思いながら靴を履いていると、家の電話が鳴った。
「はい。えっ、勇哉? あんたねぇ、全然連絡もよこさないで……え、今朝? ちょっと勇哉、何言って……」
電話口で騒いでいる母さん。こんな朝にもめごとは勘弁してよ?
「どうしたの?」
電話を置いて、呆然と突っ立っている母さんに聞く。
「赤ちゃん、産まれたって……今朝、三千五百グラムの……元気な男の子」
「え、マジで?」
「やだ、どうしよう。おむつ買わなくちゃ……ミルクと、あとベビーベッドも……」
「何言ってんの? そんなもんいらないでしょ?」
「いるのよ! 退院したらうちに同居するって!」
「はぁ?」
「ちょっとちょっと! お父さん!」
母さんはもう僕のことなんてどうでもいいように、父さんのもとへ駆けて行った。
マフラーを首にぐるっと巻いて、門を開けて庭から出る。
勇哉が奥さんと赤ちゃんを連れてうちに来るって……また面倒なことにならなきゃいいけど。
そんなことを考えながら歩き出したら、寒そうに白い息を吐きながら立っている、美優の姿が見えた。
「美優?」
「あ、おはよ。トモ」
美優がちょっとはにかんだように笑う。
「頑張ろうね。試験」
「待ってたの?」
「ね、途中まで一緒に行っていい?」
美優は遠慮がちに隣に並んで、僕の顔をちらっと見上げる。
この角度から見る美優の顔が、一番可愛いってこと、僕以外の男はたぶん知らない。
「トモと一緒に行けたら、美優、すっごく頑張れそうな気がする」
「気のせいだよ」
「ううん、絶対」
美優のかすかに震える指先が、僕の親指をきゅっと握る。
「……いい? このくらいなら」
「ん……いい、けど」
美優があんまり嬉しそうに笑うから、僕は思わずその手を握りしめた。
「いいよな……今日くらい」
「……うん。今日だけ……ね」
僕たちは恋人同士でもなんでもない。
失恋して、なんとなく人恋しくなって、だからってまた美優に流されるなんて、絶対ダメだと思う。
だけど……こうやって美優と歩いていると、なぜかすごく落ち着いた。
美優の手はとてもあったかくて、精神安定剤より効き目があった。