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「智哉くんはね、『やればできる子』だと思うんです」
進路面談の日、担任の女性教師は、僕と母さんに向かってそんなことを言った。
『やればできる子』……僕は今まで『やらなくてもできる子』だと、自分のこと思ってた。
「志望校、変えるって言ってたわね?」
「はい」
今さら美優と一緒の高校なんて行けるわけないし。
「そうね、この前のテストはちょっとまずかったけど、二年生の内申はよかったんだし、今からでも頑張れば……」
「相南高校は行けます?」
「えっ……」
僕が口にした、ここら辺ではトップの学校名に、担任は言葉を詰まらせ、母さんはあきれた顔で僕を見た。
「どうせなら、トップ目指した方がいいと思って」
「あんたは無理に決まってるでしょ! あの学校入るのに、宏哉がどれだけ勉強したか……」
横から口出しする母さんを無視して言う。
「先生、無理ですか?」
「目標は確かに高い方がいいけど……でももうそろそろ、志望校はちゃんと決めないといけないし……」
「じゃあ志望校は相南にします。俺は『やればできる子』なんでしょ? 先生」
中三を受け持つのが初めての、まだ若い担任は、困ったような顔で笑った。
高校なんてどこでもいいって、今でもやっぱり思ってる。
だけどちょっとだけ、自分の意思ってものを宣言してみたかった。
それと勇哉が言っていた「トモも、出来の悪い息子じゃない」って言葉が、本当かどうか確かめてみたかっただけ。
学歴なんかで、出来が良いとか悪いとか、決まるわけないってわかっているけど。
学校の教室は、相変わらず居心地が悪かった。
合唱コンクールの打ち上げに、クラスで僕だけ誘ってもらえないとか、教室で配られるプリントが、さりげなく僕だけ回ってこないとか……これって世間で言う「イジメ」ってやつなんじゃないかって思う。
僕が自殺でもする時は、お前ら全員の名前遺書に書いてやるからな、なんて死ぬ気もないのに考えてみる。
教室では「全然気にしてない」って態度をとりながら。
ああ、こんなところが美優の言う「トモのムカつくところ」なのかもしれないな。
休み時間も放課後も、土曜日も日曜日も、やることがないから勉強した。
だから幸か不幸か、塾の無料体験で受けた模擬テストでは、人生で最高にいい点を取った。
このままいくとマジで相南行けちゃうかもなんて思い始めた頃、僕はいつもの踏切で、久しぶりにあの人に会った。
「よっ、元気?」
小春さんに会うのは、あのバッティングセンターに行った日以来だ。
あれから小春さんは家に遊びに来なくなったから。
「元気ですよ。俺は」
「うん。よしよし」
小春さんはにこにこ笑いながら、僕の頭をくしゃっとなでる。
子供扱い……なんかすごくムカつくんだけど。
「なんで最近、うちに来ないの?」
小春さんは自転車に乗っていて、スーパーかどこかの帰りみたいだった。
「宏哉とケンカでもした?」
「してないよぉ?」
マフラーをずらして口元を見せて、小春さんは白い息を吐く。
「じゃあ、どうして?」
小春さんは何も答えなかったけど、その微妙な表情から「あれのせいなのかな」って思った。
子供が産めない小春さん。
子供なんて、いないならいなくてもいいじゃないかって思うけど、きっとそんな簡単なことではないんだろう。
結婚する前から、孫の話なんかしちゃってる母さん。
保育園の子供の声を聞いて、泣いたって言う小春さん。
僕は大人の気持ちも、女の人の気持ちも、なにひとつわからない。
「あそこ、行きません?」
「え?」
「スカッとするとこ」
一瞬きょとんとした小春さんが、ぷっと吹き出すように笑った。
「迷惑なんでしょ?」
「あれはウソ」
そう。迷惑なんかじゃ全然なかった。
小春さんが、元気のない僕を心配して誘ってくれたって、本当はちゃんとわかってた。
それなのにすねたような態度をとった僕は、どうしようもないコドモだった。
「俺、おごりますよ?」
「お母さんからお小遣いもらってるような子に、おごってもらうなんてできません」
そんなことを言いながらおかしそうに笑っている小春さんのことを、僕はなんとなく可愛いって思う。
十歳も年上なのに。
お姉さんみたいな、先生みたいな、でも友達みたいな不思議な人。
小春さんと並んで歩いていると、憂鬱な気分が消えていった。