「魔術との婚約を破棄して、君と婚約したいと思う」
君の魔術を見たとき、その異質さに魅入られた。
君の魔術を分析したとき、僕は魔術の見方を180度変えることとなった。
君がいたから、ここまで魔術を究められた。
君がいたから、魔術以外の奥深さを知った。
君の隣でなら、いつもは色褪せた世界にも興味を持てた。
恐ろしく強大な何かから君を守れるようになりたくて、強さを渇望した。
全部ぜんぶ、君がいたから。
だから、もし、君が嫌でないのなら――
**♪**
魔術学院1年生のミアは、今、困っていた。
教室に行くには避けて通れない場所に、人だかりができていたのだ。
おそらくは、魔光掲示板を見ているのだろう。
魔光掲示板にどんな文字列が並んでいるかは見なくても想像がつく。
アレだ。
成績が振るわない学生諸君がなるべく見たくない、アレ。
ちなみにこれはミアにも突き刺さるブーメランだ。
入学後はじめての定期試験から少し日が経ち、採点もそろそろ終わっているはずである。
掲示されるのは上位入賞者のランキング、名前、各科目の得点のみで、上位入賞しなかった場合は、掲示と同日のホームルームで渡される成績表ではじめて点数を知ることとなる、らしい。
なので、ミアの点数が晒されることはないはずだが、ミアの名前が掲示されていないことだけでも大問題だった。
なんとかして教室へ行きたい。
そのためには人の隙間を通り抜けねばならない。
まあ、ここで立ち尽くしていてもメンタルが削られていくことに変わりはないか。
そう腹をくくり、ミアは人ごみに突っ込んだ。
「あーあ、2位か」
「お前なぁ、ちょっとは喜べよ」
「まったく喜ばしくないからね。オレを負かした人が増えたんだから」
……なにも聞きたくない。
ただこんなに人と近づいたらそりゃどうしても会話は聞こえてしまう。
「あれー、入学試験で首席だった子、ランク外?」
「え、そうなの!?」
……今いちばん聞きたくない会話が聞こえてきて、ミアは耳をふさぎたくなった。
「彼女の名前って、ミアのはずよね?」
「少なくとも、ミアという名前の上位入賞者はいないね」
「名前を覚え間違えたのかしら……」
いえ、入学試験トップはミアで合っております!
記憶違いじゃありません!
と、ミアは心の中で悲鳴を上げた。
――何を隠そう、というか正直ミア自身、できることなら隠していたいのだが。
ミアは入学試験である初級魔術の試験では、すごくいい成績を残した。しかし、中級魔術の学習ではミアは落ちこぼれになってしまった。
誰より先に初級魔術をカンペキにし、中級魔術の学習に取り掛かっていたにもかかわらず、同学年の誰もが中級魔術に成功してもなお、できる兆しすら見えないのだ。
今回の試験の実技課題は、中級魔術。
わざわざ見ずとも、結果が最悪なのは、ミア自身よくよく理解していた。
今の惨状は同学年には知れ渡っているから、噂をしていた彼女らは他学年の生徒なのだろう。
定期試験のタイミングも、結果の掲示タイミングも、全学年共通なのかもしれない。
「ふー……」
これ以上他人の話が聞こえないように頭を思考で満たしながら、ミアはようやく人ごみを通り抜けた。
深呼吸をしながら、ミアはふと思う。
そういえば1位は誰だったんだろう?
新しい校舎に作り付けられた最新の魔光掲示板は遠くからでも文字が見やすいようになっているので、人ごみの真ん中まで戻らずとも簡単に確かめられるが、見に行く気は起きなかった。
*♪*
ミアは教室に入ると、さっそく自分の席で魔術の練習を始めた。
今日の一限目は魔術実習。教室も座学用ではなく実習用なので、早く教室に着けば練習時間ができる。
「……はぁ」
今日も変わらず中級魔術は成功する兆しすら見えない。
初級魔術は教わったその日から完璧にできたにもかかわらず、だ。
自他ともに認める、早熟の天才。
ミアは自分のことをそう評していた。
この学院の入学試験は、筆記ももちろんあるが、一番重要視されるのは実技試験だ。「魔術を習得できるのはここだけ」というのを利用し、実際にその場で初級魔術を学ばせ、使わせる。
ふつうは成功しないが、失敗の仕方で才能の有無はだいたいわかるのだとか。
でもって才能ある者は時間をかければ中級魔術まではマスターできる。はずだったのだ、といつだか教師が教えてくれた。
なのに! ミアは! 初級魔術は爆速で習得したくせにどうあがいても中級魔術が習得できない!
前代未聞で、教師もさじを投げてしまい、実技以外の授業をすべて受けられるように配慮はするもののミアが卒業資格を得るのは難しいかもしれないとまで言われてしまった。
魔術も、魔術を使う人も、魔術を使う仕事も好きだからここまでやってきたのに。
もし卒業資格が得られなければ、ミアは魔術を使う仕事へ就くことができなくなる。
それは、少し嫌だった。
現実逃避に初級魔術の水球をふよふよさせてぼーっとしていると、肩をとんとたたかれた。
「ねえ」
「うひゃぁっ!?」
なんとか濡れることは回避した。
が、わざとでないにせよ、いきなり驚かせて来るのはいただけない。
「なんでわざわざ後ろから……」
ストレス軽減のために小声で文句を零しつつミアは後ろを向く。
顔の整った少年の無機質な瞳がミアを見ていた。
「ねえ、君、なんで初級魔術はすごいのに中級魔術ができないの?」
「ワタシが聞きたいですわネー」
おっといけない、綺麗な声でコンプレックスをド直球に刺されてついつい怒りで片言に。
無機質な瞳はまだミアをじっと見ている。
「な、なに?」
「……君の凄まじい初級魔術を分析したおかげで、僕は中級魔術を極めることができたんだ。なのに、その君を差し置いて僕が1位? それすら受け入れがたいのに、あまつさえ、君が中級魔術の成功すらできていない? おかしい。看過できない。こんなことが起こっていいはずがないんだ」
1位はあんたか、とミアは思った。
「――だから、君さえよければ中級魔術の成功まで練習に付き合いたい」
1位に気をとられていて、反応が遅れた。
「え?」
*♪*
ちょうど本鈴が鳴ってしまい、彼は「それじゃあ、考えといて」とだけ言ってさっさと席に戻ってしまった。
ミアはめずらしく授業に集中できなかった。
まあそこまで実害はないだろう。今まではまじめに聞いてきたが、これは中級魔術を前提にした授業なので、中級魔術を使えないミアがまじめに聞いたところで聞かなかった場合と大差ないだろうとは以前から思っていた。
代わりにはじめてクラスメイトの魔術を見てみた。
まだ声をかけてきた少年が本当に1位なのかも、少年の名すらも知らない。
けれど少年が優秀であることは一目見ればすぐにわかった。
ある程度有望な者しか入学できないここで、一目見ればわかるほど群を抜いて秀でている。
――それは、「本物の天才」なのではないか。
ただ他人より初級魔術の習得が早かっただけで、中級魔術すら扱えないミアとは違う、本物の。
「おおアリー、さすがだな」
「……どうも」
先生が少年の名を呼んでいた。アリーというのか。
練習タイムなので、先生は生徒の間を気まぐれに歩いて声をかけているようだ。
――休み時間に少年の名前が1位であるかを確かめて、本当だったら、彼の誘いに乗ってもいい。むしろ願ってもない誘いだと、ミアは思い始めていた。
どうせ練習をすることには変わりないし、先生もさじを投げてしまった現状に向き合ってくれる人ができるというのはありがたいことだった。それが羨む天才であればなおさら貴重だ。天才がわざわざ自分に構ってくれる状況に悪い気はしない。
魅力的な誘いだった。
万が一1位というのが噓であっても、誘いに乗ってしまいたくなるくらいには。
もっとも、不要な嘘をわざわざつく人間と関わりたくはないので、嘘だったらきっぱり断るつもりではいたが。
「どうしたんだミア? ぼーっとしているなんて珍しい」
「あ、いや、なんでも」
いつのまにか先生が目の前にいた。
「そうか」
日頃の行いのおかげか、先生は深く気にせず別の生徒に声をかけに行ってくれた。
……これからもまじめに頑張ろう。
そのためにも、できるものなら中級魔術を習得したい。
さっそく次の休み時間にミアが魔光掲示板を見に行くと、当然だが「1位 アリー」と表示されていた。なんと実技は満点、筆記も高得点だった。
「あの、よければ練習付き合ってほしいです」
どこか遠くを見ていたアリーにミアは声をかける。
少しして焦点が合い、アリーはふにゃりと笑った。
「よかった。ま、すぐ終わると思うから」
すぐ終わる?と疑問を持ったが、またもや本鈴が鳴ってしまい、尋ねられなかった。
天才ゆえに、先生には見えなかった解決の糸口が見えているのかもしれない。アリーが視線の先に何を見ているのか、ミアはわからないし、だから天才に魅力を感じているのかもしれなかった。
*♪*
「まずは場所を変えよう。あまり見られたくはないんだ」
放課後、そう言うアリーについて行く。
「はい、ここが僕がいつも練習してる場所」
「わぁ……!」
あたりを見回し、ミアは目を輝かせた。
おそらく旧校舎の教室だろう。
根拠は、人気の無さと、残る設備と、ホコリっぽさ。そして、いつだか、ミアたちが使っている校舎が、最近作られた新校舎だと聞いたからだ。
独特の寂寥感や暗さのある場所。
世界にふたりぼっち取り残されたかのような感覚。
秘密の場所を教えてもらった喜び。
そのどれもがミアにとって新鮮で、心惹かれるものだった。
普段見る景色とまったく違うここが、心動かされる体験が、普段過ごす場所から遠くない位置にあったと今までミアは知らなかった。
周囲にキラキラのエフェクトを漂わせるミアを、アリーは見る。いつもと表情に変わりはないが、どことなくジト目のようだ。
「案内しといてなんだけど、ここ、そんなにいい場所?」
「いい場所でしょう! 他人に魔術を見られないのもいいし、なにより雰囲気がすてき」
「ほーそういうもんなのか」
「逆に雰囲気に魅力を感じてないなら何故に旧校舎を選んだ!? ほかに選択肢あったんじゃ?」
「成り行き」
淡々とアリーは言う。
そういうこともあるのか。あるのか?
そんなことをミアが思っていると、アリーは備えられた椅子のひとつに腰掛けた。
「さ、ミアも座って」
「……うん」
おずおずとミアも腰を下ろす。向かい合わせの位置だった。
真剣な様子でアリーは話し出した。
「君の魔術を分析してわかったことを話そうか。まず、君の初級魔術の習得が速かったのは、――の~~を△△で……」
「ちょっと待って何言ってるか全然わかんない」
まじめに遮らず聞くつもりでいたミアは、あまりに理解が追いつかずつい遮ってしまった。
アリーはきょとんとしてから、口に手を当てた。言葉を選んでいるようだ。気分を害してはいなさそうだった。
「ええと、前提として、僕たちも習った魔術発動までの手順の通説は、ものすごく大雑把なんだ。実際にはもっと細かく条件を満たすと魔術は発動する。――君の初級魔術の習得が速かったのは『初級魔術の発動に必要がないのに難しい手順』をカットしていたから。そして、この手順は中級魔術には必須なんだ」
「手順? どんな?」
大量に湧いてきた疑問をいったん全部捨てて、中級魔術の習得に必要そうな問いだけを口に出した。
「やっぱり無自覚か。……今から教えるから安心して。カットしていた手順を反復練習して身につけてから、ほかの手順と合わせて順番にこなして中級魔術を発動させる。そういう流れになるだろう」
そういう言い方をされると、今まで途方もない目標だった中級魔術が実現可能なものに見えてきた気がする。
手順のやり方を教える手際もすごく良くて、自分と彼の差を強く実感させられる。ミアの口から思わず羨望の言葉が漏れた。
「……なんか、すごいね」
「ミアの魔術があったからはじまったことだ。それに、まだ検証が足りないしね」
「もしかして私を実験台にしてる?」
「否定はしない」
一瞬ミアは何か文句を言おうと思ったが、救世主でしかないアリーに対して文句を言うなど無理だった。
「そういえば、アリーはこの発見を先生に話したの?」
代わりにさっき浮かんだ疑問を口に出せば、アリーは「いや」と首を横に振った。
「下手に広めれば揉め事の種にしかならないから、今のところ話す気はないな。誰かに伝えるとしても、検証が済んでから、論文という形でにしたい」
「そうなんだ」
視野の広さについてもミアはアリーに及ばないらしかった。
*♪*
手順を実践するのはなかなか難しく、そこそこの期間、放課後を2人きりで過ごしていた。
練習を続けながら、駄弁ったり、たまに初級魔術を彼に見せたり、逆に練習しながら彼の魔術をちらっと見たり、駄弁ったりと、アリーとの時間はすごく有益だった。
同時に、アリーのすごさを間近で見せつけられていく。
たとえ中級魔術を習得できたとしても、もちろん大きな進歩ではあるものの、依然として自力で分析をして学年1位となったアリーとの隔絶は大きいのだ――首席入学をしたことが現状の理解を妨げていたのか、ミアはそんな当然のことに今になってようやく気付いた。
多少はミアも彼の役に立っているのかもしれないが、基本は時間を奪ってばかりのはずだ。あくまで「中級魔術の成功まで練習に付き合いたい」というアリーの厚意に甘えさせてもらっているだけ。
彼に迷惑でしかないと知っていても、この2人きりの時間が、もう少し続いてほしい。できることなら、ずっと。
そう思わずにはいられなかった。
そうして日々が流れ――
「アリー、お前が他人に目をかけるなんて珍しいな?」
「そうかもな」
授業中にそんな会話を拾ってしまい、慌てて集中しなおすこともあったりなかったりして。
「ん、いいんじゃない?」
ついに中級魔術の成功する兆しが見えてきた。
「あとはこれを通しでやるだけ、だったよね」
「うん」
いくら放課後の時間が続いてほしいとはいえ、中級魔術を習得するのも同じくらい大事だ。
ひとつひとつ丁寧に手順をこなしていき――
深呼吸して、最後の手順をしようとしたそのときだった。
「……ゔっ」
手から黒い靄があふれ出し、ほぼ同時にミアの視界が真っ暗になった。
「ミア……っ!?」
*♪*
目を開けると、知らないメイドさんがミアを心配そうにのぞき込んでいた。
「ミアさま……!」
「ん」
よく考えれば、背中の感触はふかふかで、どうやらベッドで寝かされていたようだった。
「えっと、ここは……」
「起きられたのですね! アーウェルぼっちゃまをお呼びしてまいります」
アーウェル?
頭にハテナを浮かべながらも、起き上がっていいか聞きそびれたのでぼーっとしていると、足音が近づいてきた。
「意識が戻ってよかった……!」
「え、アリー!?」
「中級魔術の発動直前に急に倒れたから、うちに連絡して運んでもらった。たぶんうちの医者のほうが魔術関連を診るのうまいから」
「お褒めにあずかり光栄です」
どうやらアリーと医者がやってきたらしい。
もしかしなくてもアーウェルぼっちゃまと呼ばれていたのはアリーだろう。
そういえば魔術学院は愛称を名乗ることもできた気がする。
状況も、わからないなりに理解した。
視界が真っ暗になったあのときにミアは意識を失い、ここに運ばれたのだろう。
医師はミアの様子を見て言った。
「特に異常はなさそうですね、意識を失っていたのも数時間程度ですしそこまで状況は悪くなさそうです。起きても大丈夫ですよ」
ミアは身体を起こし、あたりを見回した。
たしかにここは保健室ではない。
アリーの家なのだろうか。
「ミアさん。お伝えしなければならないことがあります――」
医者が深刻そうな顔でミアを見ていた。
ミアは混乱しつつも、その真剣な空気に、とりあえず医者の話を聞こうと心に決めた。
「――おそらく呪いの類で、あなたは中級以上の魔術を使えないように縛られています」
目の前が真っ暗になったような気がした。
あくまで「気がした」だけなのは、さっき本物のブラックアウトを経験したばかりだからわかっていたが、それでも。
医者が告げてきたそれは――ミアが魔術系の道に進める可能性を、完全に閉ざしてしまうひと言だったのだから。
「僕が……君が中級魔術を使えるように、あるいは中級魔術と同等な力と卒業資格を得られるように、なんとか……なんとかしてみせるよ」
よっぽどミアがひどい顔をしていたのか、アリーは不可能にしか思えないことを若干震えた声で言ってきた。
励まそうとしてくれているのかもしれない。
胸がじんわり暖かくなった。
「ありがとう。でも……」
これ以上、足を引っ張り続けるのは。
そう言葉にしようとしたところで、ドアが開いて、また別の従者さんらしき人が現れた。
「おぼっちゃま、こちらにいらっしゃったんですね! そろそろ政治学の講義のお時間ですよ」
「おい、ちょっと待ってく……」
「はーい、行きますよー」
抵抗もむなしくアリーは従者さん(推定)にずるずると引きずられていく。
「ちょっと、だから待てって……また放課後に!」
「う、うん!」
状況の理解が追い付かないままミアがなんとか返事すると、アリーはふにゃりと笑って連行を受け入れた。
医者とメイドの反応を見るに日常茶飯事のようだ。
「あの、えっと……ありがとうございました」
ドアが閉まってから、ふたりに頭を下げると、メイドはにこりと笑った。
「お気になさらず。他ならぬアーウェルぼっちゃまの頼みですし、助けられる人がいたら助けるのは当然のことですから」
「それに、あなたの場合は病気ではなく、ただ呪いか何かで封印されていたものを無理やりやってしまった反動によるものだったので、なにも特別な処置はできませんでした」
「私が意識を失った理由が、封印されたものをやってしまった反動? だとわかるだけでもすごいと思います」
こんなにすごいのに、なにもできなかった……という顔をされると、正直、調子が狂う。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが呪いかどうかも、封印を解く方法も、反動が意識を失うだけかどうかもわかりませんでしたからね……。けれど、今とくに異常がないなら、また中級魔術をやろうとしない限り大丈夫でしょう。どうか無理だけはなさらないでください」
「……じゃあ、今から帰って魔術史の勉強をしても倒れはしないということでしょうか?」
とりあえず座学のほうを究めるつもりでがむしゃらに勉強していたかった。
そうでないと何かに押しつぶされてしまいそうだった。
なので、勉強してもいいかミアが尋ねると、医者はうなずく。
「そうなりますね。倒れたばかりのタイミングで不慣れな場所に長くいるのも重圧でしょうし、慣れた場所に戻るのは良い判断でしょう。どちらにお住まいですか?」
「寮です」
「ではわたくしが責任もってお送りいたします」
さっきミアを起こしてくれたメイドが片手を上げる。
ここが地図のどこなのかも、帰り道もあまりわかっていないので、ありがたい申し出だった。
「ありがとうございます……!」
「アーウェルぼっちゃまにはミアさまが帰りたがったら送るよう仰せつかっておりましたので、お礼は直接アーウェルぼっちゃまにお伝えするのがよろしいかと」
「そうなんですね、でも実際に送ってくださるあなたにも感謝したいです」
メイドに向き直って言えば、メイドはにこりと笑った。
「でしたら、感謝のお言葉ありがたく頂戴いたします」
*♪*
静かに魔導車が動き出す。
前後に向かい合って計4人くらい座れそうな内装だ。
メイドとミアは向かい合って座っていた。
「あの、気になってたんですけど、アリーは本当の名前はアーウェルなんですか?」
「そうです。顔を知られていないかつ三男とはいえ、大貴族の血を引く者ですから、アーウェルさまの名前はそれなりに知られています。学院の『身分に関係なく学ぶ』という理念が果たされないとの懸念がありまして」
そういえばアリーの所作はやたらと綺麗だったとミアは今になって気付く。
ミアの家は貧乏ではないが、高位貴族でもない。
目を伏せた。
「……学院の理念があるとはいえ、その、私、無礼でしたでしょうか」
「原則的に良いこととは言えませんが、今日のことでミアさまが責められることはございません。学院内と同じように接したまでのことでしょうし、アーウェルさまもそれを望んでおられたかと思います。わたくしどもも同じです」
「え?」
ミアは困惑した。
アリーがそれを望んでいた、までは理解できる。
急に態度を変えられ疎遠になってしまったら誰だって嫌だろう。
けれど、メイドも同じ……?
「あのアーウェルぼっちゃまがまさか女の子を屋敷に連れて来るだなんて、それも『2人きりで過ごされていた最中に倒れたから』なんて! 本当に驚きましたし、嬉しかったです」
「『あの』?」
「昔から魔術にしか興味がなくて、いずれはどなたかと結婚しなければならない事実を目の当たりにしても『魔術と結婚する!』と聞かなくて、婚約証書まで書かれていたんですよ」
「魔術との、ですか?」
すごい。魔術への熱意がすごいとは思っていたが、まさかそこまでとは。
ミアも魔術に強い興味は持っているが、アリーと同じくらい結婚圧がかかっていた場合、それを跳ねのけるほどではない気がする。
「はい。だからこそ、ミアさまを連れてきたのはすごく特別なことでして」
「最初は私が使う魔術が気になったみたいでした。だから平常運転かもしれません」
「アーウェルぼっちゃまが特定の誰かの魔術に興味を示すなんてこと自体がまったく平常運転ではありませんが、話の続きが気になるので追及はしないでおきます」
「たしかに私の他に誰かに話しかけていた記憶はないですね、私もあまり周りが見えていないタイプなので見落としがあるかもしれませんが……ええと、でも、一緒に放課後に魔術の練習をしているなかで……」
そこまで言って、メイドがどこまで事情を知っているのかわからないことに気付いた。
「……ええと、アリーが、『ミアの魔術をおかげで魔術の理解が進んだのにミアが落ちこぼれているのは受け入れがたい、だから一緒に練習しよう』と誘ってくれたんです。で、練習する最中、いろいろ雑談に応じてくれました」
「うーん、話の最初から最後まで現実味のないことで埋め尽くされていますね、本当にアーウェルぼっちゃまなのでしょうか」
「逆にどういう内容だったら現実味があるのでしょう……?」
「ずっとひとりでブツブツ魔術のことばかりやっていて、魔術以外には完全に無関心そうなのになぜか教わった知識や技術はしっかり身についている、とかでしょうかね」
おぅ、わりと辛辣。
だけど。
「ご明察です。座学の態度と試験の点はおっしゃるとおりですね」
「そうなんですね。……あの、私から申し上げていいことなのか判断が付きませんが、どうかアーウェルさまの話し相手でいてあげて下さいませんか」
「私としても、アリーと過ごす時間はすごく楽しくて、充実していて、ずっと続いてほしいと思っていますから、断る理由はないのですが……ご迷惑ではないのでしょうか」
落ちこぼれが、天才の時間を奪い続ける。
それだけでじゅうぶん分不相応なのに、身分差もだなんて。
「そんなまさか! ……あ、着きましたね」
「本当ですね。ありがとうございました」
「どういたしまして」
強く否定されて驚きつつも、とりあえず礼を告げて降りる。
メイドさんはにこやかに感謝を受け取ってくれたあと、真剣な表情になった。
「――それと、アーウェルさまはミアさまなど多少なりとも好ましく思っているはずです。そうでなければ屋敷に連れてきたりなどしません。このわたくしが保証いたします」
「!」
「それでは、ご自愛くださいませ。失礼いたします」
にこりと笑って再び魔導車に乗り込むメイドさん。
ミアも寮に戻り、机に向かった。
けれどあまり集中できない。
あまりにも色々なことがありすぎた。
頭をぼんやりと占めるのは、主に今後のアリーとの関係について。
そうだ、アリーは「また放課後に!」と言っていた。
おそらくは、明日の放課後に今後について話すことになるのだろう。
中級魔術を成功させられそうだったあの瞬間、ミアは明日からただの同級生に戻っても仕方ないと思っていた。けれど、今は――
*♪*
緊張しながらも放課後を待つ。
「それで、今後のことなんだけど……」
いつものように集まると、さっそくアリーは口を開いた。
その表情から感情は読めない。
ミアは言葉を遮るように声を上げた。
「あの! 私、アリーがよければ放課後はアリーと一緒に過ごしていたいと思ってて!」
「!」
「私が卒業資格を取るのは無理だろうし、取れなかったら在学中しか魔術の勉強はできないわけだけど……アリーと過ごす時間がいちばん有益で、楽しかったの! アリーと話すのも、アリーの魔術を見るのも、この旧校舎の雰囲気も、全部、大好きだから! だから、この放課後だけでもそばに居させてほしい!」
そこまで言ってから、ミアは口を押さえた。
「…………あ」
しまった、昨日から言いたい言いたいと思い続けていたがこんなに一気に言うつもりではなかったのに!
というか、この時間が続いてほしいと思い過ぎて変なことまで口走っていやしないだろうか。
そんなふうにミアは内心慌てながら、アリーの反応をうかがう。
アリーはきょとんとしたあと、目じりを下げた。
「嬉しいこと言ってくれるね。念押しするようだけどさ、ちょっと荒っぽい魔術もやるつもりだけど、それでも?」
「え! いいの? ってか今までとは違う魔術もやるの? 楽しみにしてていい?」
「……杞憂だったか」
「ん、今なんて言った?」
「なんでもないよ。僕も君と話すのは楽しかったから、これからもよろしく」
「うん!」
ミアは笑顔で差し出された手を取って握った。
アリーは少し照れ臭そうに笑っていた。
彼の手は、少しだけミアより大きくて、少しだけ冷たかった。
手が離れる。
「ところで、卒業資格に関してなんだけどさ、これからは中級魔術そのものが試験になることはないらしいんだ」
「へ、そうなの?」
「これ、去年の試験範囲。『~~をしなさい。習ったとおりに中級魔術を応用したらできるはずです』みたいな試験が続くみたいで、なら初級魔術を応用しまくれば突破できる可能性はゼロではないんだよね。ほかにやりたいことも増えたからそればかりに注力はできないけど、今後はこの方向性で研究してみようかなと」
「え、諦めてなかったんだ……」
そこまでしてもらうのはさすがに申し訳ない。
ミアはもう卒業資格を諦めていた。もともと魔術系の就職が決まらなければ実家で適当な進路に放り込まれることになっていたはずだったから、ゆっくり覚悟を決めるつもりでいたのだ。
首席入学できたから浮かれてしまったが、あらかじめ受験時にそういうことは決めていた。就活シーズンまで忘れているつもりだったけれど、この時点でほぼほぼ卒業不可能なのが見えてしまったから、なんと年単位でうじうじしてもなお覚悟を決めるまでの時間の余裕はある。
神妙な表情をするミアに気づいたのか、アリーは微笑を浮かべた。
「だって魔術って面白いからさ。全ては僕の興味本位。ミアが気に病む必要はないよ」
「そういえばアリーって魔術と婚約するレベルの魔術オタクだったわー……」
「え。どこから聞いた? ……といっても可能性は2択だしほぼ1択か」
アリーの声がやや低くなり、目も細められる。
ミアは慌ててあわあわと両手を振った。
「処罰はやめてね!?」
「そんなことはしないって」
アリーは苦笑いした。
「…………こっちは証書を用意するレベルで断固反対してたのに、両親はまだ僕の結婚を諦めてないんだよね。将来的には誰かと結婚しろって口酸っぱく言われてる」
「大変そうだね」
返事をしつつも、ミアの脳内ではさっきの言葉が頭をめぐっていた。
――「だって魔術って面白いからさ」
嘘ではないだろうけれど、もしかしたら興味本位が100パーセントではなく多少はミアを慮る気持ちがあったのかもしれない。そして、ミアを困らせないためにあえて自分の興味本位だと言い切ったのかもしれない。
だったらいいな、とミアは思って、直後、自分自身の思考に疑問を持った。
*♪*
結局、初級魔術の応用はそこそこ上手くいき、いくつかの実技試験では入賞もできたが、「中級魔術ができないのに卒業資格を与えることはできない」という結論だった。
あの日以降、中級魔術は一度もやっていない。もしやれば倒れるだけでは済まないかもしれないし、やらなければ倒れないのだから、やらない方がいいと判断した。
卒業資格は得られず、学院を出た後は魔術に関われない。
わかっていたことだ。
だからめいっぱい勉強した。筆記試験では何度か1位を取るほどに。
だからめいっぱいアリーとの放課後の時間を楽しんだ。
アリーはどうやら戦闘にも興味を持ったらしくたしかに荒っぽい練習もしていたが、魔術の精度は荒っぽいとは対極で、そのギャップが見ていて楽しかった。
たまに不可抗力で一緒に出掛けることもあったりした。
充実した目まぐるしい日々はあっという間に過ぎていき、就活シーズンが目前に迫っていた。
「就活シーズンって自由登校になるんだよね? アリーは登校する?」
「しない。というか、諸々の兼ね合いでたぶんできないと思う」
「そっか」
――それは、楽しい放課後の時間の終わりが近いことも意味していた。
*♪*
終わることを惜しむ気持ちが強まっても、時間の進みは変わらず早い。
「明日から就活シーズンか」
「片付けも終わったね」
旧校舎のいつもの教室。
いろいろなものを持ち込んでいたが、だいたい初期状態に戻せた。
椅子に向かい合わせに――はじめてここへ来た時と同じように座る。
ミアは夕陽が差し込む教室をぼんやり眺めていた。
見慣れた景色にだんだん変わったこの教室が、再び見慣れない場所に戻る――それが、アリーと過ごせる時間が終わってしまうことを象徴的に示していて、胸が締め付けられそうだった。
この時間にタイムリミットがあることはとっくの昔に知っていた。
もし卒業資格を得られたところで、学院生活もこの時間も終わってしまうのだから。
だから、覚悟は決めてきたつもりだったのに。
「楽しかったなぁ……ずっと、ずっと。あっという間に終わっちゃうんだね。もっとアリーと一緒にいたかった」
「本当に、そう思ってる?」
「え疑ってる? 逆になんでここで嘘つくの!?」
「や、えと、疑いをかけたいわけじゃなくて」
ミアはアリーの様子がいつもと何となく違う気がした。
アリーもこの時間を惜しんでいるのだろうか。
だったらいいな。だったらいいな?
変にそれた思考を振り払って、あらためてアリーの様子を見る。
アリーは言葉を選んでいるようだった。
「……確認したかったんだ」
そして、ぴらりと紙を取り出して見せてきた。
『こんやくしょうしょ
ぼくは魔術とけっこんします
こんやくをここにしょうします
アーウェル』
書かれている文字を見て、ミアはピンときた。
いつだかメイドが言っていた「婚約証書」はこれなのだろう。
魔術の文字だけやたら綺麗なあたり、当時から筋金入りの魔術好きだったのか。
「前提として、何よりミアの意思が優先されるんだけど」
証書に見入っていたミアは、ただならぬ雰囲気にアリーを見た。
目が合う。視線が交差する。
「僕は――魔術との婚約を破棄して、君と婚約したいと思う」
ミアの視界がぼやけた。
頬を熱い涙がつたう。
「えっちょっと待って泣くほど嫌――」
「違う、嬉しいの。すごく」
早口で焦りが乗ったアリーの声を遮る。
アリーの申し出があって、どう返答するか頭をフル回転させてはじめて、ミアは彼に対する不思議な感情が何なのかがわかったのだ。
「……私、ずっと、アリーが好きだったみたい」
ごく単純な結論だった。
逆になぜ今までわからなかったのだろう、と思うくらいに。
もしかしたら、無意識のうちに、わからないように誤魔化していたのかもしれない。今だって、この分不相応な想いを口に出すことに、それがもたらす未来に、抵抗や不安はある。
でも。
魔術への向き合い方も、奇跡としか思えない才能も、筋が通ってるのに変な矜持も、笑いのツボも、何を考えているか読めない瞳も、そういえば整っている顔も、どことなく感情が読める無表情も、綺麗な声も、なんだかんだずっと気にかけてくれている優しいところも、甘いものを食べるとちょっと嬉しそうなところも。
何もかも。
どうしようもなく――。
居住まい正して、せいいっぱいの礼をとった。
「私も、同じ気持ちです」
固まったままミアを注視するアリー。
その瞳が揺らめき、頬がほのかに色づいた。
アリーの手から、はらりと証書が落ちる。
ミアはそんなアリーを、窓から差し込む夕陽に照らされる美しいアリーを瞳に映して、これまた固まっていた。
少ししてアリーの方がハッとなり、慌ててハンカチをミアに差し出した。
「あ、ありがとう」
ミアはおそるおそる涙を拭う。
変に力が抜けてしまったのか手が震えていた。
「……それじゃあ、証書はもう必要ないね」
アリーが目を細め、落ちた証書にちらりと目をやると、証書は魔術の炎に包まれて跡形もなく消え去った。
「燃やしてよかったの?」
「だって『魔術以外との結婚はしない!!』って紙だし、僕はミアとは結婚したいから」
言いながら、さっきまで向かいにいたアリーが隣に座ってくる。
「……アリー、これって夢じゃない?」
「その言葉そっくりそのまま返したいくらいなんだけど」
どちらともなく手を握った。
その温かさと震えは、夢ではなさそうだった。
「本当に、ほんとうに夢みたい。私、魔術はできなくても、アリーの魔術が見続けられるなら、それで十分に幸せ……」
そこまで言って少し不安要素が頭をよぎった。
「まさか魔術との婚約を破棄したから魔術もやめる、とか言わないよねそれは嫌だよ!?」
「君がやめろと言わない限りは絶対にやめないよ。重ねてになるけど、あの証書を燃やしたのは、なにがなんでも結婚は拒むという鋼の意思を捨てた比喩みたいなものだから。……あと脅しみたいになりかねないから言うタイミングに迷ってたんだけど、僕の権限をフル活用して、ミアが限定的に魔術の研究を続けられる許可証を作ったから」
「え!?」
アリーはカードのようなものを取り出した。
「そうだ、この許可証は形が自在に変えられるから、婚約できたあかつきには一時的な婚約指輪にしようと思っていたんだった」
カードが光に包まれて、リングに変わった。
アリーがリングをはめてくれる。
その手つきが優しくて、胸が高鳴った。
目を伏せる。
婚約を申し出られたあの瞬間に胸を占めていた、いろんな不安。
微かにはなっても消えてはいないそれに、ミアは意識を向けた。
……大丈夫。
「きっと私、高位貴族としての振る舞いに不足があったりとか、いろいろ障壁があると思うの。でも、アリーがいてくれるなら、頑張れる気がする。……不束者だけど、よろしくね」
「僕もだよ。君がいたから今の僕があるし、君がいてくれるならこれからも頑張れる。こちらこそよろしく」
手を繋ぎ、肩を寄せ、しみじみ思い出と幸せに浸る。
最後の放課後は、想定していたよりすごくすごく素敵な時間だった。
「……ちなみにだけどさ、許可証なんてあるなら頑張らなくても最初からその制度を使えばよかったんじゃ?」
「いや、むしろ成績の良さは最重要だった。新設したんだよ」
「え、アリーってそんなに権力あったの!?」
「まだ権力ある人に物申せる程度だよ。会って訴えたんだ。本来なら中級以上の魔術でしか起こせない現象を初級魔術で再現してみせるほどの技量を持っていて、そもそも入学試験を突破して魔術を学ぶ資格は得ていた人間が、『中級魔術ができない』という理由だけで魔術と関われなくなるのはおかしいんじゃないのか? 限定的にでも許可は与えるべきでは? って」
「……なんというか、こういう特例を通せるってわりと法整備は間に合ってないのかな」
「そりゃあ、入学試験を突破したのに中級魔術を使えない人間はミア以外いなかったからね」
「そういえばそうだった!?」




