タイトル未定2026/03/01 08:01
国破れて山河あり、と詠んだのは杜甫だったか、というような考えが浮かんできたのはバスの中での出来事だった。生まれ育った村へ向かう道中である。村を去ってからそれなりの月日が経ち、周囲の様子は一変していた。とはいえ、続けて城春にして草木深し、と詠まれた長安とは真逆の変化だといえる。畑ばかりだった筈の土地には所狭しと家が立ち並んでいるばかりか、今通っている道も当時は無かったものだ。そして市制の施行で今や村ですらない。
一家で村を離れたのは単に都市部へ引っ越すためだけでは無かったらしい。年端もいかぬ小僧だったため詳しくは知らないが、父は兄である本家の長男との折り合いが悪く、勘当されたのだと聞いている。その後暫くは駅を挟んだ隣町であるこの辺りに住んでいたが、中学へ上がる時に一家揃って県外へ移り住んだ。父は何も言わなかったが、隣町程度では近すぎたのではないかと邪推している。なお本家へ顔を出すようなことは終ぞ無かった為、本家の場所は今も知らない。
実家もないそんな土地にやって来たのは偏に、当時の友人に誘われたからに他ならない。彼とはそれこそ村を出てから顔を合わせることは無かったが年に数度の葉書の遣り取りが続いており、先日届いた一枚に通っていた小学校が廃校になり校舎も取り壊されてしまうとあったのだ。古い友人である彼はまさしく故人であるといえよう。かつて李白が孟浩然をそう呼んだように。
バスを降りたのは新しい小学校の前だった。なんでも近くにある別の小学校との統合で出来たものらしい。そして彼が待っていたのもそこだった。軽く会釈程度の挨拶をしそこから母校の方へと歩く。数十年ぶりの再会だというのに随分とそっけないと思われるかもしれないが、どのように接すればいいのか分からなかったのだから仕方ない。そして歩きながら話すうちに少しずつ往時の感覚を思い出し交わす言葉も増えていった。
十分と少し歩いた頃だろうか、母校の前にたどり着き、立ち止まるとともに会話が途切れた。当時のままの学び舎がそこにはあった。数十年ぶりに母校を前にし思いをを馳せるとともにこれが間もなく永久に失われてしまう事を思うと感慨に浸らずには居られなかったのだ。普段からこの光景を見ているであろう彼もまた暫く言葉を発さなかったのは彼にも思うところがあったのか、或いは私を気遣っての事だったかも知れない。
その後少し街を歩いてみたが、どこも見慣れない風景ばかりである。川のある谷を見てやはり地形はそのままだと思ったのも束の間、そこに流れる川は殆ど暗渠となり、僅かに顔を出していた部分も両岸がコンクリートで固められていたのを見て、山河すらその形を保っていないのかと思わずにはいられなかった。
その後停留所に辿り着いた時、駅へ向かうバスが間もなくやってくるらしいと気が付いた。彼があまり長く付き合うことは出来ない、ということは約束を取り付けた時から分かっていたのでこれで帰ることになる。
バスが来るまでの短い間に、次はいつ会うことになるだろうか、という話になった時、彼は少し複雑そうな顔をした。どうしたのかと尋ねようとしたその時、バスがやってきたので話はそこで止めになった。そして発車したバスの窓から彼を見たその時、一瞬だけその姿が揺らいで見えた気がした。だがそう思ったのも束の間バスは交差点を曲がり、彼の姿は見えなくなってしまった。
彼がこの三年程前に死んでいたらしいことを知ったのはそれから暫く経ったときの事である。ではあれは誰だったのかという話になるのだが、色々考えたうえでやはり彼自身であったのだろうと思う。葉書という言葉は元来、何かを紙の端に書き留めたものである端書きに由来するというが、彼と交わしていた葉書がまさしく彼をこの世に繋ぎ止める端書きとなっていたに違いない。そうであれば彼には少し申し訳ない事をしたかもしれないと思いつつも、この文章が彼が生きていたというこの世の端書きの一つになればと思わずにはいられない。
故人(旧友)が故人(死者)であった、というオチですが、なにか情緒の様なものを感じてもらえれば嬉しいです。




