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51 終章:あなたがここにいてほしい(7)

「厨房の使い勝手はどうだった?」


 久住が去った後、大きな円形のテーブルの前。 藤川社長が、背の高い、はっきりした顔立ちの男性を連れてフロアに入ってきた。


 その男性 ーー 昔、橋本さんが働いていたレストラン「シルフィード」のオーナー、剣持さんが、笑顔で橋本さんに話しかける。


 「新しく出す店って、ここのことだったんですか?」


 「ああ。お前が連絡くれないからさ、もう来週にはプレオープンだ。あんまりしつこく誘って逃げられても困るから、我慢してたんだけど……」


 藤川社長に剣持さんが視線を送る。


 「藤川さんから、広報動画の撮影をしないか、と。橋本がそこで料理をするから、厨房を使わせてくれないかって、ね。社長さんから連絡もらってさ。俺としても、お前と話すチャンスかな、と思ってさ」


 笑顔から、ふっと、剣持さんが真顔に戻る。


 「もう一度言う。腕の良いシェフが、喉から手が出るほどほしい。

 いや、はっきり言えば、お前の代わりは、俺には思い浮かばない。

 戻ってきてくれないか」

 

 橋本さんは黙っていた。


 「迷いがあるなら、まず来週一週間のプレオープン、厨房に立ってみてくれないか? 藤川社長も含めてけっこうあちこちに宣伝してたら、著名人とかお世話になってる取引先とか、予約が想定より多くはいっちゃってさ。まぁ、うちのシェフ達には頑張ってもらうんだけど……俺を助けると思って、さ。

 お前、今、別の仕事もしてるんだろ? だから、そっちと調整のつく時間帯……今「三河」さんで働いている時間帯だけでいいからさ。それで、もし良ければ今後正式にうちと契約する、そういう話でどうだろう」

 

 橋本さんが、ちらりと、斜め後ろに立つ私に視線を送った。


 「誘っていただけるのは、ありがたいですし、もちろん嬉しいです。俺は剣持さんに散々迷惑をかけた訳ですし……でも、俺は「三河」で……」


 私は、一歩踏み出して、そっと、橋本さんの背中を押した。


 「お気遣い不要ですよ!」 

 

 私の声は、明るいだろうか。

 暗くなってないだろうか。


 「橋本さんの料理は、もっと有名になるべきです。こんな良い話、ないですよ! 素敵なお店で、最高の食材で、腕を振るって……」

 

 泣かないで、最期までちゃんと言うんだ。

 

 「だから、うちのことは、心配しないでください……たくさん、たくさん助けてもらったんですから! 来週にはお母さんも退院だし、それに、藤川社長も、剣持さんも、必要なら「三河」のこと、援助してくれるそうです。だから……」

 

 私は、しっかりと笑顔を作った。


 「頑張ってください、橋本さん。私、これからもずっと、応援してます」

 

 ***


 また警察が面会らしい。

 田島さんは暇なのだろうか。


 「伊藤さん、お元気ですか」


 「まぁ、特に変わりはないですね。だいぶ中の生活にも慣れましたよ。それで、今日はどうされたんです?」


 「今日は、三河杏奈さんの依頼できました」


 「三河さんの?」

 いったいどういうことだろう。


 訝しげな顔をした自分に対して、田島警部補は、久住君の話を始めた。


 彼が作った、味覚に作用する特殊な調味料。ギムネマ酸をベースにしたようだが、より広範囲に味覚をブロックする、そして短時間で効果が消滅する特殊な加工がなされていたらしい。


 そして、彼が最期に言った、誰か、助けてくれ、という言葉と、三河杏奈の話。


 「彼は、そう言ったんですね」


 「ええ、私も、最初はひどい奴だと思っていたのですが……なんだか、ね。取り調べも、拍子抜けするくらい、静かで、穏やかで……。どうも演技とは思えなくてですね。そんなこと考えているうちに、三河さんから、連絡があったわけです」


 三河杏奈、共感覚の少女。


 「彼も、ある意味では、彼自身の性格の被害者だったんじゃないかって。そう言うんです。

 三河さんは、あの力と引き替えに、料理がまったくできないそうです。それはもう練習とか訓練ではどうしようもないくらい。お茶を入れたりとか、お湯を注いだりとか、レンジを使ったりとか、そういう1工程のものは良いらしいのですが、料理をしようとすると、頭の中がばらばらになってしまう、と。


 同じなんじゃないかって言うんです。久住は、あの力と引き替えに、料理を食べる過程、料理に関わる過程で、何かノイズになるような事象があると、頭の中がばらばらになって、深い混乱を生じ、頭の中から離れなくなる。それが、橋本さんへの執着・粘着的な、憎しみとして刻まれたのではないかと」

 

 ある種の能力的なギフトは、時に偏りを生む。 


 それは、三河杏奈にとって、他人事とは思えなかったのだろう。

 

 「橋本さんも、久住君も……三河さんは、みんな、救う気なんですかね」


 何にせよ、彼女と出会うことができた人たちは、幸せだった、ということだろう。


 自分も含めて。


 「料理に関わる人にとっては、女神みたいな人かも知れませんね」


 「そうかも知れませんね。前に、牧島警部がそんなこと言ってた気がします」


 田島警部補が笑った。


 「久住君は捕まるんですか?」


 「まさか。そもそもが、特殊な状況でしたから。今回、被害者がでている訳でもないですし。これで立件、逮捕まで持って行くのは困難ですよ。ま、橋本さんをはじめ、料理人さんに危害を加えないよう、経過観察ですね」


 少し、ほっとした自分がいた。


 田島警部補に、ある精神科医の名前と連絡先を伝えた。 


 「誰なんですか?」


 「私の師匠に当たる、精神科医です。もとはと言えば、全ての原因は私にあったのかも知れません。彼の性格だと思い、それを癒す方法を、昔の私は考えられなかった。時間はかかるかも知れませんが、執着や憎しみなら、それを少しずつ薄らげることが、精神療法で可能かも知れません。どうか、彼と先生をつないであげてください」


***


 久住の件から、あっという間に一週間が過ぎた。


 あの後、病院から電話があり、お母さんの退院日が、少しだけ早まって、急いで家に帰って病院に行って、月・火・水と、学校に行きながら色々準備や手続きをして。


 もちろん橋本さんがいないからだけど、一週間、とりあえず完全に「三河」は閉めて、家の方も落ち着いて、久しぶりに土日をお母さんと過ごして。

 

 何だかすごく安心して。


 クタクタになっていた私は、月曜日、生まれてはじめて、学校を理由無く休んだ。


 11月の、穏やかな日差しが「三河」の窓から差し込み、店内を暖かく照らしていた。


 お母さんは、少し心配そうにしていたが、「ちょっと頭が痛いだけだから」と伝え、病院の定期検診に送り出した。


 ボサボサの髪の毛に、黒縁メガネを着け、顔を洗っただけのノーメイクの状態のスウェット姿で、カウンターに座り、ぼんやりと厨房を見つめていた。


 この数ヶ月が、まるで夢だったように。

 

 下書きは、送信できないまま。


 この一週間、スマホを握りしめて、着信や通知がある度に、胸を高鳴らせて、がっかりすることを繰り返し続けた。


 橋本さんからの連絡は、一度もなかった。


 いや、何を期待してるんだか。

 すごく忙しいに決まってる。

 

 厨房に立つ、橋本さんの姿を思い浮かべた。


 もう、橋本さんがここに立つことはないんだ。

 間違ったことはしなかったと思う。正しいことをしたと思う。



 でも、自分のことだけを考えたら。

 わがままを言って言いなら。





 なんてバカなことをしたんだろう。





 こんなに後悔するなんて知らなかった。

 



 私は。

 



 私は、あなたがここにいてほしい。




 

 カウンターに、ぽつぽつと涙が落ちた。

 

 眼鏡を外して、涙を拭った。

 

 駄目だ駄目だ。

 なんて情けないんだ私は。 


 行方不明になったわけでもない、働いている場所は分かるんだから。予約すれば、時間はかかるかもしれないけど、料理を食べに行ける。


 レストランのサイトは、まだ工事中で、予約受付は開始していない。


 開始したら、すぐに予約しますから。

 なんなら、お金も貯めて、通っちゃいますからね。


 もっと大人っぽくなって、百瀬さくらほどじゃなくても、ちゃんと、少しは綺麗になって……そうだ、次に会うときは、あのレストランに似合うようなお洒落な格好をして。


 橋本さんが驚くような、素敵な女性の姿で会いに行くんだから。



 顔を上げた時、玄関のインターホンが鳴った。



次回で最終回です、ここまで読んでいただいた方、本当に本当にありがとうございます。。。

最後に訪れた人は??(まぁ、他に誰が来るんだというところですが、、、)


最終回は31日金曜日に投稿します!

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