48 終章:あなたがここにいてほしい(4)
眼鏡をかけて、フロアを見つめる。
白を貴重とした重厚な質感の壁に穏やかな色調の絨毯が敷き詰められ、木目の天井から降り注ぐダウンライトの落ち着いた光が、ほんのりとした暖色系のシルクのテーブルクロスを、ワイングラスをはじめとした食器をキラキラと輝かせていた。
何台ものカメラに囲まれたその席に、細身のグレーのスーツを着た久住・ウィルヘルム・来人は悠然と座っていた。司会者の進行に合わせながら、百瀬さくらと軽快なトークを繰り広げていく。さすが、二人ともメディア慣れしている。
意外だったのは、久住が、穏やかに、にこやかに、時にユーモアを交えながら、店の内装や、料理について話す様子は……。単純に楽しそうだった。
この人、料理が好きなんだ。
それなのに、なぜ。
店のコンセプトの紹介、内装の紹介、食材に関する提携先の紹介など、店側が用意したスライドを、時折クイズ形式のようにしながら司会者が進行し、久住が丁寧に解説を加え、百瀬さくらの合いの手が画面に華を添えていた。ほんの30分くらいの収録だったが、編集すればかなり見栄えのする動画に仕上がることが容易に想像できた。
予定通り、10分間の休憩を挟む。百瀬さくらは一度席を立ち、久住はスマホに目を落とした。
レストランの関係者を装って、壁際に立つ田島警部補に視線を送った。田島警部補は、こちらを見ずに、軽く、肩のあたりを人差し指で二回叩いた。
百瀬さくらが休憩から戻り、久住にお辞儀をしながら自分の席に戻る。
「それでは、今日は、こちらのお店のスペシャリテの一つを、お二人に召し上がっていただこうと思います」
一瞬、久住の目つきが鋭くなったのを、私は見逃さなかった。
「このレストランの、シェフになる予定の方の料理、とお聞きしていますが、お名前は」
司会者に久住が尋ねる。
「はい、今回このお店に抜擢された若手の方で、橋本一樹シェフです」
「橋本さん、ですか」
久住の目に、暗い光が灯った。手や肩が、一瞬強ばった。
私は、それを確認すると、眼鏡を外して、後ろを振り返った。
ここからは、料理だけを。
橋本さんの料理の味を見ることだけに、自分の全ての感覚を集中させよう。
私は、昔、これが嫌いだった。みんなと違う自分、私をひとりぼっちにする能力だと思っていた。
でも、それは私の勝手な思いこみだった。
「行きましょう、橋本さん」
私の後ろに立つ橋本さんが、頷いた。
***
「失礼します」
私が、銀色のトレイに乗せて運んできたその料理を、久住・ウィルヘルム・来人は、食い入るように見つめていた。
「当店のシェフ、橋本一樹が作りました、和牛のフィレのマリア・カラス風です」
久住が、橋本さんの名前にぴくりと反応した。
私は、久住の前に、橋本さんの料理を置いた。
白磁の皿に敷き詰められた黒に近い深紅のペリグーソースは夕闇のように、照明を吸収しながら、パイで包まれた牛肉を、赤いサファイヤのように輝かせていた。
久住のプレートには、一人前として、2カットの牛肉がサーブされていた。
「シェフの指示で、私からご説明をさせてください」
一瞬、久住は不思議そうな顔をした。
そして、料理の方に視線を落とす。
「僕の、知っているこのタイプの料理とは、少し味が違うのかな」
「はい。こちらは、デュクセルに椎茸を使用しています。またデュクセルにもソースにも、ごく少量ですが、辛口の日本酒や日本のハーブ、米酢などたくさんの調味料を組み合わせています」
「和牛の甘みやこくは、ともすれば、その力強さが、食べ進んだ時に重たくなる場合がありますね。美味しさが強くなりすぎてしまって、そう、力を入れすぎてしまったスイングや、握りしめすぎてしまった拳のように」
「それを、柔らかくほぐしながら、最期まで美味しく食べられるように……順番に、代わる代わる、調味料達が微笑みかけながら、包み込んでくれる。そんな優しさが詰まった料理です」
久住は、私の説明を聞きながら、頷いていた。
その瞳に映っていたのは、私の予想と全く違った。
そこには、
そうだね、
知ってるよ、
よく分かってるじゃないか。
とでも優しく言うような、ただ静かな同意と、微かに、嬉しそうな、そんな光があった。
その光が、一瞬で真っ黒に染まった。
私の背中の向こう。
そこに立つ、橋本さんの姿を捉えた瞬間に。
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