43 第四章 アイドルとスープ(13)これの逆/最悪の行為
田島警部補は、相変わらずの体格の良さで、面会室がいつもより小さく感じた。
「もう、事件について話すことは何もないですよ」
「いえいえ、それはもう十分うかがったので。今日はですね……」
田島警部補がクリアファイルから何やら写真を取り出す。
ハーフのような、端正なルックスの、細身の男が写っていた。
「この人知ってます?」
「……いえ、ちょっと分からないですね」
何かの捜査をしているのか。何故自分に?
「じゃあ、これならどうですか」
「!」
さっきの写真をだいぶ若くした印象の写真。だが、目つきの、何とも言えない緊張感をはらんだ、その写真は。
「昔、伊藤さんが勤めていた病院を受診した形跡があったので。もしかしたら、と思って。伊藤さんが、先日、三河杏奈さんに話していた、気をつけるべき人って、この人じゃないですか?」
今日の面会は、警察からの強い依頼で無立会だった。
小さい声で、田島警部補に問いかける。
「久住君、何かしたんですか?」
「いえ、少し気になることがあって。彼、今は登録者数百万のインフルエンサーなんですよ」
「それはすごい」
「料理研究家兼料理評論家、で有名なんですけどね」
「ええ、彼の力を生かすとしたら、その道でしょうね」
「彼がお店を紹介すると、お客さんもかなり増えるんですが……そのうちのいくつかの店から……いえ、正確にはその店で働いていた料理人から、「クビに追い込まれた」って訴えがあって」
おっと、これは。
「何もね、もちろん証拠なんてなくて、何かの逆恨みかな、と。普通なら警察も関わるような話じゃないんですが」
「橋本さんも、やられた可能性がある、と?」
「さすが、話が早くて助かります」
田島警部補がため息をついた。
「同じ様なことが、2度、3度と続くなら、それはもう偶然と考えるのは、難しいですからね」
***
百瀬さくらとの約束の日曜日の午前中に向けて、俺と杏奈は営業日の夜をいつもより長めに使って作業をしていた。
スープ自体はあっさり完成した。ただし、美味しいバージョンの。
それを、台無しにする作業に、非常に手間取っていた。素材自体は、普通のものなので、調味料をろくに使わなくても、美味しくなくはないものになってしまう。杏奈が、すでに味を特定していたので、一週間あれば余裕だと思っていたが……。
料理を不味くするって、こんなに難しかったのか。単に薄めてみたりするだけじゃ、目的の台無し感にはたどり着けない。
杏奈が、ホワイトボードに描いた味覚の図とにらめっこしている。
ふと、杏奈が机の上の調味料の一つを手に取った。あれは、昨日買ってきた……久住・ウィルヘルム・来人が企業とコラボした、「何でも美味しくする」調味料。
確かに、良くできていた。いわゆるグルタミン酸系の調味料に、いくつかスパイスや甘みを加えて、そう、杏奈の味覚の図形で言えば、料理の味をいずれも美味しい方向に引き伸ばすような、そんな効果があった。
「これの、逆」
あんながぽつりと呟いた。
「え?」
「橋本さん、分かりました」
杏奈が、店の奥の調味料棚の方に行き、二つの瓶を持ってきた。今週、珍しい調味料や食用添加物を扱うお店から仕入れてきたものの一部だった。
それから、少しして、杏奈がスープを運んできた。
「橋本さん、これを飲んでみてください」
見た目は、何も変わらない、俺の作ったスープ。
一口すする。
「まぁ、美味しいと思うけど? 甘めのスープだけどな」
「少し待ってください」
「?」
「……もう一回飲んでください」
「あ、ああ」
ごほっ、ごほっ。
「え?」
何だ、これ。
薄めた、味のない……無臭の泥でも飲んでるみたいだ。いや、ほんの少しの塩味と、エビの魚介類臭さ、ほんのりとした苦さだけが口に残り、いっそう気持ちが悪い。
こんなの食べられたもんじゃない。
!
いや、俺は、これを知ってる。
この味を、知ってる。
「これは……」
「これが、絵本のスープの答えで……」
杏奈が、静かに、だが、確かに怒っていた。
「そして、あの男が……久住・ウィルヘルム・来人が、橋本さんの料理を台無しにした、最悪の行為そのものです」
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