42 第四章 アイドルとスープ(12) 教授/脳に電撃
警備の仕事は、4時間ほどの代打で済んだ。
杏奈と百瀬さくらは、もう翻訳家の先生に会えただろうか。
新橋駅のSL広場の前で立ち止まり、スーツ姿のおっさんや、ちょっと派手目の女性達に囲まれながら、とりあえずメッセージを送る。JRで東京駅に向かいながら反応を待つことにした。
百瀬さくらの依頼に関する、絵本の翻訳家の件で、藤川社長に電話した際の話を思い出していた。
相続問題の肉じゃがの件でやりとりして以来、直接話すのは久しぶりだった。
ーそう言えば、橋本さんが以前働いていた「シルフィード」のオーナーの剣持さんが、橋本さんと連絡を取りたがってましたよ。もし差し支えなければ、連絡先を教えても良いですか? ー
シルフィードをクビになった後、スマホの契約も解除して別の番号にしたので、確かに今の連絡先は教えていなかった。今思えば、散々お世話になったのに。当時は、久住・ウィルヘルム・来人の件でぼろぼろだったからな……。
改めて謝りたい気持ちもあって、問題ないです、むしろ、自分から連絡します、と伝えていた。藤川社長は、「じゃあ、そういう反応だったと伝えておきます」とのことだった。
東京駅に着く少し前にスマホが震えた。
登録されていない番号。でも、直感的に、シルフィードのオーナーの剣持さんだろうと思った。
東京駅の丸の内駅前広場に出て、折り返す。
はい、剣持です、と懐かしい声。
「ご無沙汰しています、あの……本当に……連絡もせず、すみません」
電話口で、少し、剣持さんが笑ったような。
「橋本、変わったな」
「え?」
「声が、少し落ち着いて、優しくなった。うちに居たときは、もっとずっと尖ってた」
「電話だからじゃないですか? 俺は全然……」
「良いパートナーがいるんだろ?」
「え?」
「ごめんな、藤川さんから、結構色々話は聞いててさ」
一体、どんな話を聞いたのやら。
「その……それで、自分に用事って」
「ああ、長電話は良くないな。詳細は、メールで送るけど、端的に言うとさ。今度、新しい店を出す。「シルフィード」とは違って、シェフはシェフに専念して、ウェイター・ウェイトレスに特色を出そうと思ってる。お前が今やってる形態に近いんじゃないかな。そこで、顔出しを好まない、でも腕の良いシェフが喉から手が出るほどほしい」
それって。
「要するに、俺のところに戻って来てくれないかって話。散々探したんだぜ。まぁ、考えてくれよな」
***
東京駅からすぐ近く。何なら地下通路でつながってもいるけど。新丸の内ビルは、高級ブティックや飲食店が入るエリアとオフィスエリアに分かれていた。
初めて入ったので、全体的な高級感に少し気圧された私と対照的に、百瀬さくらのマネージャーさんは、慣れた感じで受付のお姉さんに話しかけ、一時入館用のQRコードを発行してもらい、私と百瀬さくらに渡す。
高層階の貸し会議室も、重厚な木目のテーブルにベージュの艶やかな絨毯が敷かれ、窓の外には東京駅周辺を見下ろす絶景だった。
そんな豪華な雰囲気も、百瀬さくらは特段珍しくもなさそうに、黒皮張りのオフィスチェアに優雅に座った。住んでる世界の違いを改めて実感しながら、私もその隣にちょこんと座る。
「お待たせしました、いや、お越しいただいてありがとうございます」
腰の低い感じで、中肉中背のツイードのジャケットをきた白髪の男性が会議室に入ってきた。
名刺の肩書きは翻訳者ではなくて、知名度のある関東の私立大学の教授だった。大学の先生が本業なんだ。
「いや、ずいぶん懐かしい仕事の話で驚きましたよ。そう言えば、以前映画の件で事務の方に話はいただいてたみたいですけど。で、あの絵本のどの部分について知りたいんですか?」
なんだか嬉しそうに、教授は、質問をどうぞ、という感じで両手を広げた。
私は、それじゃ担当者から、という百瀬さくらの促しに従い、教授に問題のスープのページを示して、このスープの味を、原作のニュアンスも含めて知りたいことを伝えた。
「ああ、このスープね。よく憶えてますよ。不味そうでしょ」
「そうなんです! やっぱり、美味しくないんですよね」
「おお、分かりますか。嬉しいなぁ。流して読んでしまうと、そこまで気付かないんですけどね」
急に意気投合した私と教授を、百瀬さくらが異星人でも見るような顔でしげしげと見つめていた。
「この絵本のテーマはね、「台無し」なんです」
「台無し?」
「まぁ、後味悪いタイプの本ですよね。子ども向けじゃないからってのもありますけど。全編を通じて、積み上げたものとか、努力した結果とか、そういうのを、本当に最後の些細なことで台無しにしてしまう、そういうのを繰り返す絵本でね」
「なんか、憂鬱になりそうな絵本ですね」
「そういう感情を引き出すことが目的なんでしょうね。まぁ、最後にそういう気持ちが残れば、作者としては成功なんでしょう」
えー、わざわざそんな……。
「で、ちびと……ああ、若い女性お二人の前で大声で言いにくい単語ですが、しょうふ、ですね。これはエビとトマトです。原典もシュリンプと、ああ、トマトはトマトですけど。ここ、エビとトマトじゃ、原作の陰鬱な雰囲気が出ないんですよ。原作者もわざとやってるようなので」
「あ、やっぱり、エビはそうかなと思ってました。トマトは分からなかったです……」
「で、次の三日月は、そのまんま、バナナでいいと思います。まぁ、そこまでは良いんですけど。さいごの一行ですよね」
「はい、ここが……」
そう、この、猫のような生き物が、木の棒を持って、鍋の中をかき混ぜている絵。そこにはもう一匹、同じ様な生き物が描かれていて、何か、金色にうっすら光る粉のような物を鍋に振りかけているようなのだ。
「これが、ね。最期まで読んでもらうと、後の方でも出てきますが、「げんきになるこな」、とこの猫達は思いこんでますけど、まぁ、毒ですよ。薬物。このスープを不味く、台無しにしてしまうし、後でこの猫達も狂わせてしまう、そういう粉」
ああ、それでか。それで、気持ち悪かったんだ。
美味しさを、全部なくしてしまう。
「あ」
脳の中に、電撃が走ったように、点と点がつながった。
「え? どうしたの?」
「あ、いえ、何でもないです。その、ありがとうございます、多分、スープの味は分かりました」
「ほんと? すごいなぁ。いや、お役に立てたなら何より。あの、それで何ですが……」
おずおずと、教授がバッグから色紙を取り出す。娘さんが、百瀬さくらの大ファンとのことだった。途端に営業アイドルモードに切り替わった百瀬さくらは、きらきらした雰囲気で綺麗なサインを書いていた。
***
新丸ビルの1階、オフィスフロアのソファで、百瀬さくらとマネージャーさんとはお別れとなった。この後、ラジオの収録があるらしい。
「それじゃ、本当に一週間後、飲ませてもらえるのね」
「はい、橋本さんに伝えれば再現できると思います。……その、でも、本当に美味しくないですよ?」
「いいのよ。あのシーンをリアルに掴むために必要な味だから。まぁ、それはそれとして」
え、それはそれとして?
「橋本さんの料理、今日も美味しかった。あれほど美味しい料理は、滅多にないわ。何で料理辞めてたのかしら。もったいない。もっと世の中に評価された方がいいと思うけど」
「あ、はい。そうですよね」
やっぱり、好きな人を誉められるのは、どんなかたちでも嬉しい。
でも。
「ずっと今みたいな感じで続けるつもりかしら? もし、関心があれば、もっと大きな仕事もできると思うけど」
その言葉は、ずしりと響いた。
ビシソワーズを橋本さんの家で飲んだ日から、橋本さんの料理の凄さを、改めて感じていて。
あの男、久住・ウィルヘルム・来人が橋本さんの料理にしたことを暴けば、もう橋本さんは、逃げる必要はなくなる。どこでも堂々と、料理をすることができる。
でも、それは……「三河」からいなくなるってことで。
駄目だ。
それじゃ、結局、私だって、あの男と変わらないじゃないか。
橋本さんに、「三河」に居てほしいなんて。
「そうですね。どこか、素敵なレストランが、橋本さんを求めてくれるなら。それは、素晴らしいことだと思います」
笑おうとして、顔が完全にひきつってしまった。
そんな私を、百瀬さくらは、にこやかに見つめた。
「ま、後はあなた次第じゃないかしら」
読んでいただいてありがとうございます!
なるべく毎週数回の更新をしています、もしよければ評価・ブクマ、感想等いただけたらとっても嬉しいです!




