41 第四章 アイドルとスープ(11)/告白したの?/英会話
百瀬さくらが、カウンターから厨房の方をのぞき込んでいるのを、私はジト目で見つめていた。
結局、百瀬さくら案件の絵本の翻訳家は、サツキさん経由でアポイントを取ることができた。
一応、依頼者である百瀬さくらに、調査の方針を伝えたところ、一緒に行くと言って聞かず、またもや日曜日の午前中、橋本さんとの朝ご飯の時間を邪魔されることになった。
アポイントは10時30分。東京駅の新丸の内ビルの会議室。先方が別件で編集者と打ち合わせがあり、そのついでに30分ほど時間が取れるということだった。
「杏奈、出来上がったから、運ぶの手伝って」
「あ、はーい」
橋本さんの声で、私はテーブル席から立ち上がって、厨房に向かう。
なんだか、百瀬さくらの視線を強く感じた。
厨房についてきやしないかと思ったけど、カウンターから微動だにせず、厨房で動く私と橋本さんの様子を見つめているようだった。
でも、やっぱり美人だなぁ。今日は黒のタイト目のニットに細身のジーンズというシンプルな格好だったけど、カウンターに座る姿は雑誌かドラマの1シーンのようだった。
前回同様、百瀬さくらとマネージャーさんの分の朝食を並べる。豚汁にブリの照り焼き、ほうれん草のお浸しみ卵と納豆。この豚汁がまた、昨日の洋食に使っていたブイヨンが隠し味に使われていて、麹味噌と混ざり合った複雑なまろやかさ。ブリ照りの醤油ダレも刻みショウガが混ぜられていて、甘みをきりっとひきしめている。もう、眼鏡を外してずっと見ていたい……。
ふと、百瀬さくらが、私と橋本さんを交互に眺めていることに気付いた。
「……どうかされました?」
「なんか、二人、先日より親密そうね」
橋本さんがむせてお冷やを飲んでいる。
「え?」
「ああ、ごめんなさい。職業柄、人の声のトーンとか、雰囲気に敏感で。ふーん」
な、何だって言うの?
そりゃ、私は……。
先日、橋本さんの家に行ったのと、何より、橋本さんが、小学生時代の私のことを覚えていて、おまけにあのスープまで再現してくれて。その日は、家に帰った後、しばらく寝れずにジタバタしていた。
もう私の好意メーターは、すっかり振り切れてるけど……。
橋本さんは……分からない。
でも、先週よりずっと元気になって、うん、自惚れじゃなければ、なんか前よりもっと優しくなった気がする。
いや、でも、まさか、逆に小学生みたいに見えてるなんてことはないだろうか……。
「ま、所詮、偶像は現実に及ばないのよね」
どういうこと?
よく分からないことを口走ったかと思うと、百瀬さくらは、いただきます、と言って食事をはじめ、おいしー、ほんと天才、と繰り返していた。
よく分からないけど、そこは共感。
***
踏んだり蹴ったりだ……。橋本さんと、翻訳者さんのところに行って、帰りは丸ビル周辺か東京駅でご飯食べて……ちょっとデートっぽい感じになるんじゃないかと思っていたのに。
「山手線なんか乗るの、久しぶりだわ」
百瀬さくらとマネージャーさんと3人で、駅のホームに立つことになるとは。
とても珍しいことに、橋本さんが、普段働いている警備の会社から急に連絡があって、手伝いに行くことになってしまった。普段融通を利かせてもらっているから、ほんとごめん、終わったら連絡する、と言って、橋本さんは急ぎ足で「三河」を後にした。
「告白したの?」
「は?」
電車に乗り込むなり、サングラス姿の百瀬さくらが急にとんでもないことを口走る。
「な、なんでそんな話になるんです?」
「関係性が変わったっぽかったから。そうなのかなと思って。ハズレ?」
「ハズレに決まってます!」
「ふーん、じゃあ、その手前って感じか」
「ま、マネージャーさん……ちょっと……」
「駄目ですよ、人のプライベートを」
「だって、さ。貴重なサンプルじゃない。アイドルのチャームが効かない場合って、どういう時なのかって。私、サングラス外してて、50代くらいまでの男性に、二度見三度見されないこと何て無いんだけど、橋本さん、最初の挨拶の時以外、ほとんど私に関心向けてなかった」
「それと告白がどう関係あるんです?」
アイドルって、本当に良く分からない。いや、この人が変なのか。
「だって、橋本さん、あなたのことばかり見てたわ。だからそういうことかなって」
……。
「え?」
「は? 気付いてないの? あなた、鈍感って言われない?」
「は、橋本さんですよ? その……私のことは子供扱いしてて……」
「あなた、思い込みが強いって言われない? まぁ、そうか。片思いの方がかえって気持ちが強いこともあるからね。参考になったわ」
あはは、と百瀬さくらが無邪気な顔で笑った。 なんだか、完全にからかわれた気分だ。いや、でも、こんな展開なら、橋本さんが今日一緒じゃなかったのは良かったかも。こんな変な話、橋本さんの前でされたらたまったものじゃない。
すっかり機嫌を損ねた私は、電車を降りて東京駅の雑踏の中、丸の内方面の改札を出るまで無言でマネージャーさんの背中を追って歩いた。
東京駅の赤煉瓦側。色んな雑誌やドラマの撮影でも使われている、丸の内駅前広場。今日も、ウェディングドレスを着た女性と、タキシード姿の男性が、カメラマンの声がけに従って次々とポーズを作っていた。
結婚式の前撮りかな。素敵だなー、と眺めていると、ふと、英語で話しかけられた気がした。
声の方に振り向くと、白人の中年女性二人組が、スマホの地図を片手に、地下鉄丸の内線の乗り場を教えて欲しいと言う。
スマホの地図を見ながら、英語で、少し丁寧に道案内をすると、イメージがつかめたようで、二人はお礼を言って東京駅の方に去っていった。
「……あなた、英語話せるの?」
「言語系は昔から得意なんです。塾でも子ども向けに教えてて、日常会話くらいなら……」
料理が完全にできないから、それとの才能の交換なんじゃないか、と特に最近、そう思うようになってきた。
「今度、私とオンラインで英会話してくれない?」
「は?」
今度は一体何を言い出すんだ、このアイドルは。
「まだ内緒だけど、来年、海外の仕事を増やす予定なの。ただね……」
「百瀬は、外国人の前だと緊張して上手く英語が話せないんです」
「なんか、あなたなら緊張しなそう。ちゃんとお礼するから」
百瀬さくらが、不意に近づいてきて、ひょいと私の眼鏡を外した。
「私、結構あなたの顔も好きなのよね。三河杏奈さん」
至近距離で、少しミステリアスな笑顔を浮かべる、超有名アイドル。
眼鏡を外しても、もう視界一杯がキラキラ輝いて、何なら背景に花が咲いているように錯覚する勢いだった。
あの漫画の表現は誇張じゃないんだ。
完全にドキドキしてしまって、女子で良かったと思いつつ、これに反応しない橋本さんって、やっぱりどうなってるんだろう、と疑問が湧いた。
ー だって、橋本さん、あなたのことばかり見てたわ ー
いやいやいやいやいや。
それはない、そんな都合の良い話があるものか。
***
このときは、変な人だな、やっぱりテレビや動画の印象じゃ、人って分からないもんだな、というくらいに思っていた。
結果として、百瀬さくらには、とってもお世話になった。
彼女の存在がなかったら、私はあの男を取り逃がしていたかも知れない。だから、この巡り合わせには、そして、英会話を通じて彼女と仲良くなれたことには、後々すごく感謝した。
ついでに、ちょっと年上の、長いおつき合いになる友人になるなんて。でもそれはまた別の話だけど。
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