40 第四章 アイドルとスープ(10)/絶対に
怒涛のラストに向かいます!
「なーんで、嘘ついたんですか」
ビシソワーズを宝物のように自分の前に置いた後、泣きやんだ杏奈は開口一番、俺の方に身を乗り出しながら、俺の顔をのぞきこんで来た。
「自分だって、俺のこと知らないふりしてたろ」
「それとこれは別じゃないですか。私は白状した後だったのに。憶えてるって、言ってくれたら良かったのに」
ふくれている、が怒っていない、というよりは、笑顔をかみ殺しているような、みょうちくりんな表情だった。
機嫌を損ねてないなら良かった。
「ビシソワーズっていって、まぁ、じゃがいもの冷たいスープだよ」
「あー! ずるい! そんなの……」
俺は、あの日の料理紹介の台詞を、誤魔化し半分、軽い気持ちでなぞった。
が、何やらだいぶ効いたようで、赤くなって黙ってしまった。何がどう刺さったのかはよく分からないが。
「……嬉しい」
「え?」
「こんなに嬉しいこと、ないですよ」
「え、あ……そうか」
俺が、昔のこと憶えてたくらいで、そんなに嬉しいもんなのか。
「あー、えーと。いくら冷たいスープっていっても、あんまり放っておくと飲み頃を逃すから」
「だって、もったいなくて。それに、もう、本当に美味しいですよ。すごいです。この時間に食べることを、そして、私が成長して、身体も変わったことも考えて、味を調整してくれたんですよね」
「……何でそこまで分かるんだ?」
「味は、全部覚えてますから。そして、自分の味覚がどう変わったかも、でも橋本さんは、それに合わせて味を作ってくれた。それこそすごいことです。どうやったんですか?」
「杏奈の味の感想は、春からずっと聞いてきた。杏奈がどんな味を、どう感じるかは、だいたい分かったつもり。だから、それに合わせた」
ちょっと、気持ち悪いだろうか、と思ったが。
「……もう……、今日は、本当にもうダメです」
顔は赤いが、怒ってはなさそうだった。
杏奈は視線をスープに落として、スプーンでゆっくり飲み始めた。
それは静かな時間で、それは冷たいじゃがいものスープで、でも、何故か温かい空間だった。
「あはは、やっぱりダメです」
杏奈は最後の一すくいでスプーンを止めて、涙を拭った。
「記憶どおり。ううん、あの日より、美味しい。こんなに美味しい料理は、食べたことがないです」
杏奈が急に正座する。
「橋本さんは、やっぱり、料理を作らなきゃダメです。そして、もっとたくさんの人に知ってもらって、たくさんの人に食べてもらわなきゃ」
杏奈が、真っ直ぐに俺を見つめて、そう言った。
俺は……だが、その視線に苦しさを感じ、目を逸らした。
「いや、もう十分だ。良かった、本当は不安だったんだ、杏奈の期待に応えられないんじゃないかって。あの日より美味しくない物を作ったらどうしようかって」
「……橋本さん。橋本さんは、どうしてこんなに料理が上手なのに……いえ、上手っていうレベルじゃないです。それなのに……その不安は、何ですか? どこから来るんです?」
杏奈が、俺の方に身を乗り出して、真剣な声でそう言った。
「どうすれば、その不安を無くせますか? 私にできることはないですか? 話してください。お願いです」
こんなこと、あっただろうか。
俺のために。俺なんかのために。こんなに真剣に。
誰にも話せなかったこと。馬鹿みたいな、悪い妄想のような、あの男の話。
「俺は……あの男と……あの男の前でダメになった自分を、恐れてる。怖いんだ、また、誰かに不味いものを出すんじゃないかって。あいつが来ると、俺の料理は駄目になるんだ。腕が狂う、味が壊れる」
***
血が、沸騰する。
その表現が相応しいくらい、私は怒っていて、目眩で倒れそうだった。
そう、思い出した、料理研究科兼料理評論家で、動画サイトで数百万の登録者数の、久住・ウィルヘルム・来人。最近は地上波テレビにも出るようになっていたはず。
ハーフの端正なルックスで、関東中心に飲食店を紹介する動画から人気が出て、それからネットテレビ料理番組の味変企画で、意外な、色んな調味料の組み合わせを紹介するコーナーがバズッて、有名食品企業とタイアップした「何でも美味しくなるスパイス」は、かなりのヒット商品になった。
その男が、橋本さんが働いていたシルフィードに来て、ライブ配信をした。
俺が材料の間違いを指摘した。多分、あれで機嫌を損ねたんだと思う。
橋本さんはそう言った。
でも、そんなくだらないことで。
ライブ配信は前後編の約束で、日を改めた後編。橋本さんは「一番美味しいと思う料理」をオーダーされていた。前回が少し険悪に終わったこともあって、とにかく、美味しい物を、と橋本さんは全力を尽くした。
それを、久住・ウィルヘルム・来人は、不味いと言った。
「それが、本当に不味かったんだ。確かに、味見もして、完璧な状態で出したはずだった。なのに、さ」
ネットの、ライブ配信。
少なくない接続数の中、橋本さんは晒し者にされた。
それだけじゃない。その動画が切っ掛けで、橋本さんは店を続けることができなくなった。
さらに、それで終わりじゃなかった。
橋本さんはそれから一度、経歴を伏せて、街のローカル洋食チェーンのキッチン担当で就職した。
橋本さんの腕前で、その店舗の客足が伸び始めた頃、何故か、久住・ウィルヘルム・来人が現れた。
それから数日後、橋本さんの作った料理にクレームが入った。
味がない。
そんなはずは、と駆け寄ったその皿の料理は、確かに、味がなかった。
2回目のクレームが入った時、橋本さんは、辞職した。
もう、自分の料理が信じられなくなっていた。
「なんか、トラウマみたいになっちまったのかなって。あいつが、こないだ来ただろ? だから、俺はまた、腕が狂うかも知れない。馬鹿な話だよな。でも……」
***
「おかしい」
「え?」
「そんなこと、あり得ない」
杏奈が、真剣な目で俺を見つめた。
「私がいます。私が見ています。橋本さんの料理が、お客さんの口に入るまで、絶対美味しいって」
あ。
そうか、杏奈がいれば。
「調べましょう。私、今、人生で一番怒ってます。絶対に許しません。あの男が、橋本さんの料理に何をしたか、絶対に解き明かしてみせます」
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