28 第三章 強盗とグラタン(10)/ひったくりと卵かけご飯
(前回から)
サツキが帰った後、警視庁の田島警部補が、完成したグラタンを取りにきましたが…
田島警部補:警視庁強行犯係の警察官
「何か、一悶着ありました?」
田島警部補が、「三河」に入るなり、私と橋本さんの顔を交互に見つめる。
私が、少し前に届いた業務用の卵が大量に入った段ボールを店の入り口から移動しようとしていたところ、田島警部補が到着し、開口一番、この台詞だった。
田島警部補の背中の方からは、通行人のがやがやした声が聞こえてきた。今日は、少し先の笑店街の方でイベントがあって、人通りが普段より多い。
「いえ、ちょっと前に来客があっただけです。何か、変ですか?」
「いえ、何となく、三河さんが空手の一試合でも終えた後のような気配を醸し出していたので。変なことを言ってすみません。職業柄、殺気はその残り香まで気になっちゃうタイプでして」
さすが警察官……鋭い……。
「杏奈が苦手なタイプの女性が来てたんですよ」
「橋本さんのせいですからね!」
「へ? 何で俺のせいなんだよ……」
「何でもありません!」
田島警部補が、ははぁ、と声を漏らす。きっと概ね正しい推理が完成しているに違いない。
「もう、そんなことは良いんです、田島警部補に渡しましょうよ」
私は、不毛な会話を切り上げて、例のグラタンを引き渡す話に流れを戻す。
橋本さんが少し深みのある、2人前ほどの分量が入ったグラタン皿を持ってきた。
「とても良い匂いがしますね」
「今日、なるべく早く食べさせてあげて欲しいんです。時間が経つと風味も変化するので。提供前に800Wのレンジで2分加熱してください。それで想定の味になると思います」
私が加熱のタイミングと時間を伝えると、田島警部補は大きくうなずき、了解しましたと言った。
ラップをして、アルミホイルで更に全体を包む。田島警部補はそれを小型の紙箱に入れた上、頑丈そうなクーラーボックスに入れた。
田島警部補が玄関の引き戸を開ける。
「それでは、追って結果は……」
誰か! ひったくり!
店先から女性の叫び声が響いた。
「何だ?」
田島警部補に続いて、私と橋本さんも玄関先に駆け出た。店の前を、白いTシャツと黒ズボンの男が駆け抜けていく。
田島警部補がクーラーボックスを置いて駆け出す。
「橋本さん!」
私は、生産者さんに申し訳ないと思いつつ、卵を一つ橋本さんに手渡す。
「……了解」
察した橋本さんが、田島警部補の後を追いながら、逃げていく男めがけて卵を投げつけた。
卵は、男の右肩辺りに命中して、飛び散る。
全く意に介さず、男はすごい速度で走り、駅前笑店街に向かう人混みに飛び込んで行き、ジグザグに駆け抜けて行く。田島警部補もラグビー選手の様に早いけど、人混みを突き飛ばす訳にも行かず、なかなか距離を詰められない。
「橋本さん、お店を見てて下さい!」
私は、店の自転車に鍵を差し込んで田島警部補の後を追った。
***
日曜12時15分。
いつも通りの時間に出てきた金持ち婆さん。
計画通りだった。足のつかない、徒歩でのひったくり。
上品な小型のバッグの中には、札の詰まった財布と小物。
しかし、どこのどいつだ、卵を投げつけやがった。
路地裏。帽子を脱ぎ、白いTシャツも脱いで、リュックから、全く違う黄色のTシャツを出して着替える。リュックはリバーシブルで黒から灰色の面に変える。戦利品もリュックの中に詰め込んだ。髪と首筋にはねた卵が気持ち悪いが、タオルで拭いて、一呼吸整え、駅前商店街の雑踏の中に戻る。
後は、のんびり、徒歩で隣駅まで移動して、防犯カメラを避けて……。
俺の右肩をがっしりした腕が掴んだ。
「考えたじゃないか。本当なら、成功してたぞ」
振り向くと、ラグビー選手のような男が、俺のことを睨みつけていた。
***
「まぁ、卵かけご飯みたいな? そういうことだろ?」
「はい、そうです」
「ちょっと、意味が分からないが……」
管轄の警察官にひったくり犯を引き渡し、田島警部補が、「三河」にグラタンを取りに戻ってきた。
「杏奈は、見ただけでもある程度、料理の味が分かるじゃないですか。だから、俺に渡した卵の味を追っかけたんだろ」
「さすがに、ちょっと見つけにくかったですけどね……何か、頭の普段使わない部分使った感じで疲れました」
田島警部補の頭の上にはてなマークが浮かんで見えるほど、なお一層分からなくなったという表情である。
「そこまで考えて、卵を渡したんですか?」
「まぁ……橋本さんなら分かるかなーって」
「当たんなかったら格好悪かったけどな」
そうですねー、と杏奈が笑う。
一拍置いて、田島警部補が豪快に笑った。
「いやはや、今回の件、最大の収穫は、お二人と知り合えたことかも知れません。ああ、時間がまずい。それではまた」
田島警部補がクーラーボックスを抱えて、急いで出て行った。
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