15 肉じゃがの記憶(8)/上手く作ったらどうする気なの
(前回から)藤川家も何やら事情があるようで…一方橋本は、杏奈宅に泊まることに。二人きりでお泊りはまずいのでは、とドギマギする橋本です。
申し出を断られた藤川浩二は、意外にも笑っていた。
「だと思った。ま、いいよ、分かった。今まで、何人も料理人が挑戦してきたけど、誰も成功してない。でも、何か、あんたらはやらかしそうなんだよな」
「良い線行ってるってことですか?」
「この匂いは、だいぶ近いよ。お袋の肉じゃがの匂いに。でも、何か違うんだよな。何かもう一つ、うちの家の感じが足りないんだよな」
あれ?
もしかして。
「食べたいんですか?」
「そりゃあさ、もう二度と食べられないと思ってた味だぜ。それに……なあ、もし完成したら、兄貴に食わせるんだろ?」
「個人情報は話せないですね。兄貴ってのも、誰のことか分かりませんし。今日は、うちの新しい肉じゃがレシピの話をした認識ですが」
「冷静だなぁ。じゃ、こっちは勝手に兄貴の行動を捕捉させてもらう」
「何で、肉じゃが作り、止めようとしてたんです?」
「自分だけ情報を得ようって? そりゃずるいだろ」
藤川浩二は、「三河」に背を向けた。
***
「ちょっと」
路上駐車中の車に乗り込もうとした藤川浩二は、声の主の方に顔を向けた。
「警察かと思った」
「そうね、ここは駐車禁止よ」
「立場上、警察関係は、小さなことでもまずいんだよな」
「じゃあ、妹で良かったわね」
藤川香苗は、兄である藤川浩二をにらみつけた。
「ちゃんと、止めさせてきたんでしょうね」
「いや、放っとくことにした」
「万一、上手く作ったらどうする気なの」
「上手く作っちゃいそうなんだよ」
「それじゃ、なおさらダメじゃない!」
「路駐、まずいから車乗れよ。お互い、社会的な立場があるだろ」
「私は反対よ。卓兄さんが、思い出すかも知れない……そしたら……」
「思い出してもらおうぜ、もういい加減」
藤川浩二は妹の、少し白髪の混じり始めた髪を見つめた。
「じゃないと、みんな、あの家に帰れないじゃないか。このままずっと喧嘩してるつもりか?」
***
「肉じゃが、多めに作っちまったから、朝飯にしてくれよな。残りの味については……来週営業しながら考えようぜ」
時計は20時30分。明日月曜日の仕事もある。さぁ、自宅に帰ろう。
そう思って席を立った橋本のシャツの裾が、何かに引っぱられた。
「……?」
振り向くと、杏奈が裾を掴んでいた。
「その……今日、泊まっていってくれませんか?」
はぁ?
***
「……橋本さんがいたから怖くなかったけど……一人はちょっと怖いです」
「さっきのおっさんは、もう帰ったぞ」
「それは分かってますけど……」
まぁ、それはそうか。店舗兼住居の広い家に一人、不安もあるだろうし、一日、人につきまとわれ、監視されていたっていうのは、相手が分かった今でも、気分は良くない。
とはいえ、なぁ……。
子供扱いしてはいるものの、女性一人の家に泊まるのは……。
困った顔を察したのか、杏奈が裾を掴む手をぱっと放して笑顔を見せる。
「な、なーんて。嘘です。明日お仕事ですよね? 困らせてすみません……」
あー、もう。
それは逆にずるいだろう。
「女将さん的に良いの?」
「え?」
「俺のことは怖くないのかよ」
「……どういう意味ですか?」
……。
なるほど、完全に、男として見てないってことだな。
いやまぁ、良いんだけど。世の中、悪い男もいるから気をつけないといけないと思うんだけどなぁ。
「俺のこと、何も知らないだろ? よく考えてみな。俺、単なる常連客だぜ? 実はすげー悪いやつだったら、大変だろ? 知らない人についていっちゃいけないって習ったろ」
「じゃあ、教えてください。橋本さんのこと。私、まだ、料理がとんでもなく上手ってことしか知りません」
橋本はため息をついた。
「……今日だけな。俺はそこの小上がりで寝るから……あと、女将さんにちゃんと言っといて。事情とか」
「もう了解とってます。二階のお母さんの部屋使って良いそうです。布団もありますから、あ、あとお風呂も使ってください。化粧水とかいります?」
ええ……??
女将さん、良いのかよ、信用しすぎじゃない?
「ん?あ、電話……お母さん」
杏奈がスマホを橋本に差し出す。
「橋本さんと話したいって」
橋本の背筋を冷たい汗が伝う。
「……ど…どうも……」
「あー橋本さん! お店のこと、本当にありがとう、なんてお礼を言っていいか……」
大きな声で感謝を告げられ、橋本は拍子抜けした。
「いえ、入院中に……勝手に厨房使ったりして、すみません。杏奈さんにも接客させたり……」
「いいのよ、こっちからお願いしてることだから。今日の話も聞いたから、申し訳ないけど、何があるか分からないし……私の部屋は使ってちょうだい。それに……」
それに?
「良い厨房でしょう?」
「……!」
「しばらく、使っていて欲しいの。家と同じで、使っていない厨房もまた、朽ちてしまうものだから」
まさか、俺が料理に未練があるって、気付いて?
「それとね、橋本さんが、間違っても、何か間違ったことをするような人じゃないって、親として信じてるので」
ぞくり。
「あ、はは……」
橋本は、どうも、と言ってスマホを杏奈に返した。
「何か言ってました?」
「……杏奈に、何か危険なことが起きないよう、よろしく、と」
橋本は、額の汗を軽く拭った。
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肉じゃがの件は、後数回で解決見込みです。。。